10月22日放送

菊地雅子さん 「アール・ブリュット」という言葉がある。1945年にフランス人画家のジャン・デュビュッフェが表現したもので、日本語では「生(き)の芸術」などと訳され、正規の芸術教育を受けていない人による、技巧や流行に囚われない自由で無垢な表現を讃えて称するとのこと。その区分け自体も1つに囚われず様々な解釈がなされているが、例えば、障がい者によって生み出される創作もそのひとつ。ここ数年では、「北海道アールブリュットネットワーク協議会」の活動も始まっており、今後益々いろいろな場面で注目されるカテゴリーになっていくのだろうと思う。
 今回の「ほっかいどう元気びと」は、そんな“アール・ブリュット”の精神を北海道の山あいの小さな町で少しずつ浸透させて来た人。「社会福祉法人 当麻かたるべの森」アートディレクターの菊地雅子さん 52歳。17年に渡るその活動から見えてきたこと、そして、ご自身がその取り組みで得てきた喜びを伺った。

 菊地さんが携わっている「かたるべの森美術館」は、「社会福祉法人 当麻かたるべの森」が運営する障がい者のための福祉事業所で、現在、主に知的障がいを持つ10代から50代の人達の芸術活動をサポートしているという。菊地さんは、彼ら彼女らに日々寄り添い、表現される絵や陶芸などの創作物をアートとして効果的に展示したり、時には商品化に繋げたりと、まさに、“アール・ブリュット”の才能を引き出して世の中に紹介する橋渡しの役割をされている。
 前回の「ほっかいどう元気びと」で、私はゲストから“「伝えたい」という思いの強さ、その純度の高いエネルギーが伝わってきた”とこの後記に書いたが、今回も同じような心地よい“熱風”に吹かれたような思いがして、同じように胸が熱くなった。
 前回の高橋紀子さんは、人と人、その思いを伝え合いたいと願う「手話通訳者」であり、今回の菊地さんはハンディキャップを持つ人の芸術を世に伝えたいと願う「アートディレクター」。どちらも純粋な願いが強く伝わってくる。その“願い”の先にあるものは、“障がいのある無しにかかわらず、ひとりひとりの存在価値を認めることの出来る成熟した社会”。そんな、人としての根源的な方向性を大事にしながらゴールのイメージにぶれがないという「ふたりの元気びと」の共通項を感じ、地方のあちこちでそういう人達が自然体で頑張っている息吹を伝えなくてはと、問いかける温度も高くなる。
 菊地さんは、この活動を通して自分がみるみる変わっていったと、質問に対してご自身の内面の変化を紐解き、思いを溢れさせる。美術大学で染色を専門に芸術を学び、東京でもアート関連の仕事に取り組んで来たのだそうだが、当麻町で知的障がいの人たちの絵や創作に関わるようになった当初は、自身の中のアカデミックな常識や完成度や構成へのこだわりが邪魔をして、うまくいかないことも多々あったという。
 試行錯誤をしながら彼らや彼女らに寄り添い、待つということが出来るにつれてそれらをひとつずつ外していけたと語る菊地さん、「彼らの中から出てくるものに私は何を感じるのか?それを感じるためには自分がニュートラルになっていなければならない」と気づき、さらにひとつひとつそれまでの“枠”のようなものを外していったその先に、「この人はこの人のままでいいのだ」という気づきがあり、同時に「私は私のままでいいのだ」という気づきに繋がって、ほんとうに幸せな心持になったのだという。
 今現在、当麻の「かたるべの森」を拠点に、いわゆる「アール・ブリュット」の活動に力を注いでいるのは、その菊地さんご自身が感じた幸せの感覚を障がい者施設の外の人たちにも広く感じて貰いたいという熱い思い。そして、一般社会の中でも自分自身を存分に生きられていない人達が少なくないこの時代に、「あなたはあなたのままでいいのだ」という思いをひとりでも多くの人に持ってほしいという優しい願いが言葉になっていった。

菊地雅子さん 収録後も尚も対話が続く中で強く共感したのが、「なにもお金を生まなくても、その人の中から生み出される表現そのものに価値がある」という価値観。
 経済重視の今の社会に“お金を生み出さないもの”は価値が無いと切り捨てられてしまう傾向は、“損か得か”の薄ら寒い空気を作り出し、居場所をも奪うことに繋がってしまう。
 人の価値は“生産性”で測られるものではないのだということ、存在そのものに価値や意味があるのだということを、大人は、地域は、ひとりひとりは何らかの方法で伝え続けなければならない。そのためのひとつの“伝達手段”になり得るのがアートだ。芸術というものは面白いもので、言葉を発することが苦手な人やコミュニケーションの取れない人の中からほとばしるように出てくるものを掬い取ることが出来れば、その創作物に接する人に確実に何かが届くのだと菊地さんは言う。目に見えない何か。それはきっと、一般社会で生きる私達が、“常識”という枠に縛られる日々の中で心の奥底に押し込めていた“何か”だ。
 菊地さんは、「私のほうが沢山のものを貰っている」と力を込めて語っていたが、“強い国”づくりがじわじわと進められている今の時代にあって、そんな、お金には換えられないギフトの価値を、地方で、市井の人が手作りでコツコツと育てている息吹とともに広めることが、何かを少しずつ変えることに繋がっていくのかもしれない・・・そんなことを強く感じさせていただいた。

 前回のこの欄で、全盲ろうで東京大学の教授をされている福島 智さんの言葉をご紹介したが、NHKテレビでのインタビューの中でも興味深い表現をされていた。
 「指点字でコミュニケーションを獲得した時は母親や友達と話が出来てすごく嬉しかったが、しばらくすると寂しく、孤独を感じるようになった」と。
 なぜなら、言葉が断続的にあってもそれはコミュニケーションとは言えない。「それは、自分が皆から切り離されている絶対的な孤独。壺の中に入ったような感じ」と表現し、その時湧いた渇望をこう言葉にされていた。「壺から出て、皆と同じ空間にいたいのだ」と。
 その後、言葉だけでなく周囲の状況をも指点字で詳しく伝えて貰うというサポートでそれが可能になり、「自分にとっての架け橋が出来、開放に繋がった」と心境を語っていた。
 アートディレクターとして知的障がいなどのハンディキャップを持つ人に寄り添う菊地さんの取り組みは、うまく思いを表現出来なくて孤独の中にいる人の“壺の蓋”をまずは開けるという大切な役割なのだろうと思う。そして、この取り組みはまだ始まったばかり、ひとつひとつがこれからのための挑戦ですと話されていたが、蓋を取ったその後にどんなふうに外の空気と混ぜ合わせ、融合させ、繋いでいけばいいのか、その「生(き)の芸術」をどう広げていくのかということは、そのままこれからの私達の社会が試されることに繋がるのだと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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