10月15日放送

高橋紀子さん 「ほっかいどう元気びと」で毎週おひとりおひとりにお話を聞かせていただきながら、思わずぐっと胸が熱くなることがある。様々なことを想定してインタビューに臨むが、言葉が胸に飛び込んでくるのは、当然だが全く予期していない答えを聞けた時。
 今回もそうだった。10月15日放送のゲストは、43年の歴史を持つ「赤平手話の会」の会長を務めて12年という手話通訳者の高橋紀子さん 65歳。今年春に制定された「赤平市思いやりあふれる手話言語条例」を地域の力で支える活動の先頭に立つ人だ。
 会の様子を訊き、手話を学ぶようになったきっかけを訊き、手話通訳者の認定試験に何度もチャレンジして資格を取得した経験を伺った後で、手話の難しさに話が及んだ時だ。日本語は語彙も多く複雑で感情を表す言葉にも微妙な違いがある。その膨大な言葉の意味を手話でやりとりするのは大変でしょうというこちらの思いに対して、高橋さんは、“スイッチ”というキーワードを使ってこんな表現をされた。
 「試験だと全然出来なかったりするけど、この人にこれを伝えたいと思うと私はスイッチが入るみたいなんですよね」
 認定試験では難解な手話が、目の前の人にこれを伝えようと思うとスイッチが入り、理解して貰えるような表現が出来たり、相手の気持ちが分かることで読み取れたりもする。そういう不思議な経験をいつもしているというのだ。思わず胸がじんとし、うるっときてしまう。なぜその言葉が響いたのだろう。改めてこの文章を書きながら分かったのは、高橋さんの「伝えたい」という思いの強さ、その純度の高いエネルギーが伝わってきて心に染みたのだ。日本語の意味を手話という言語に変換させて“翻訳する”というテクニックも勿論大事なのだろうが、それ以上に高橋さんが大事にされているのは、「伝え合いたい、分かり合いたい」という人と人との根源的な繋がりの喜び。誰に頼まれたわけでもなくこの活動を続けているその理由をも感じられ、それこそ、「人の話を聴く」醍醐味を今回も存分に感じさせていただいた。

 空知管内では赤平市が初という「手話言語条例」は、手話を「言語」として普及させるために自治体が制定しているもので、2013年に初めて鳥取県が、2番目に北海道の石狩市が名乗りを上げ、現在までに70以上の自治体で成立し、道内では今回の赤平市が13番目になるという。条例文を見ると、「ろう者にとって、手話は大切な言語です」という表現があり、そのために「市民に手話の理解を広げ、手話を必要とする市民が安心して生活ができる環境を整えること」を目的としている。条例で取り組むということは、そういった環境がなかなか整ってこなかった現状がこの国にはあるということであり、実際に、「日本語が身に付かない」などの理由で手話が事実上禁止された時代もあり、聴覚障がいを持つ人達にとっての辛い時代も続いていたという背景もあっての今なのだ。
 そんな中での40年以上の「赤平手話の会」の活動には様々な思いや葛藤もあるに違いないのだが、高橋さんは、「とにかく楽しく、皆が話をしたいという気持ちで和気あいあいと続けてきました」と、仲間の大切さを第一にしてきた様子をとても嬉しそうに話す。そして、「私がお役に立とうという気持ちではなく、通じ合えるのがほんとうに嬉しい」と、当たり前の活動をしてきただけなのだということを何度も言葉にされていた。
 手話を習い始めた当初は全く使いこなせず、認定試験を受けたらもっと上手くなるのかとチャレンジしてもなかなか手話を“聞き取る”ことが出来ず、失敗を重ねながら覚えてきたと高橋さん。そんな自分を見て、「私でも出来るかな」と思う人が次に続いてくれたら嬉しいと、地域に手話が広がっていく将来への夢も語ってくれた。

高橋紀子さん 高橋さんのこれまでを遡ると、専門学校で保育を学んで札幌で保育士として勤め、その後、東北福祉大学の通信教育部社会福祉課に学び、結婚で赤平に戻ってからは赤平市役所の母子父子自立支援員として地域の人のサポートをされている。一瞬で人の心を打つような“平等感覚”はどのように培われたのだろう。収録後にさらに伺ってみると、20歳の頃の気づきをこう紐解き始める。
 「知的障がい者施設に勤めた時に、この子達の幸せは何なのだろうと考えて、考えて、ようやく自分の中で出た答えが、“一般社会で共に生きること”。その後に社会に広く定着してきた“ノーマライゼーション”だったんです」
 そして、そのために何が出来るかとさらに考え、「自分は何も出来ないけれど、いつか私もお母さんになる。その時に人を差別しない子供を育てよう。そうすればまたその子達が親になって差別しない子供を育てることが出来る。そう思ったのが原点だったかもしれません」と。親御さんはどう高橋さんを育てられたのか・・・さらに幼い頃の記憶をたぐり寄せる。「平等意識は小さい時からあったような気がします・・・」と言いながら、何かを思い出したように、「あ・・・父だったかもしれない」と一言。こちらもワクワクしながら高橋さんの“赤平幼少時代”の記憶に同行し、次の言葉を聞く。
 「まだまだ差別も残る時代、あの子とは遊んじゃいけないといった言葉や空気が漂う中で、父は、『あの子と遊びたいの?自分が遊びたいと思うのなら、遊びなさい』と言うような人でした。そんなふうに言ってくれたことがもっと深い原点だったんだと・・・今、話していて気づきました」

 ほんの数分の会話でも心が満たされることがある。言語が伝わる以上に、その人の中の泉の源泉のようなものに触れることが出来、深いところで繋がれたと思う時などがそうだ。
 18歳で全盲ろうとなるが、母親の考案した指点字で人とのコミュニケーションを獲得し、東京大学教授として日本のバリアフリー研究の第一人者となる福島 智さんは、「私のように光と音がない状態は、ものすごく魂をむしばむ状態であり、人と関わり合うことは、食べ物や飲み物や空気と同じくらい重要だ」と表現されている。そして、言葉をやりとりする方法を得ることの必要性に加えて、「純粋に言葉だけで存在することはあり得なくて、現実の行動とか、具体的な生き様と繋がって初めて言葉の意味がある。行動と結びついた言葉だけが信頼できる」と話されている。(「致知」2015年2月号 致知出版社 対談記事より)
 真のコミュニケーションは、言葉をただ伝達手段として使うことではない。高橋さんのお話を聞きながら心が熱くなったのは、手話という言語であれ、音として成り立つ日本語という言語であれ、外国の言語であれ、大事なことは同じところにあるという、改めて大切なことに触れたからなのだと書きながら腑に落ちている。

 「ほっかいどう元気びと」ホームページの表頁。高橋さんとのツーショット写真で表している手話は「LOVE」。世界のどこへ行っても通じる手話なのだそう。
 やはり、大切なのは「愛」。それは世界共通。そして、ひとりひとりがその言語の意味と行動を結びつけることに尽きるのだろうと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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