7月30日放送

 今年のカルチャーナイト7.21は、道新文化センター主催で『羊と鋼の森』(宮下奈都著 文藝春秋)を朗読した。春先からあれこれと構成し、森のイメージの音色をカンテレ講師の佐藤美津子さんに付けて貰い、音合わせをし、トムラウシにも“ロケ班”に行くなど入魂の日々だったので、私の“熱い”夏はこれにてほぼ終了。物語の森の清々しい残像を心地よく噛み締めている今日この頃だ。
 何度も声に出して読んでいて気がついたことがある。この物語の主人公外村くんは、17歳でピアノの調律の音と出会い、一生の仕事として自分のものにしていくのだが、山の中で生まれ育った一見素朴で素直で不器用なこの青年は実はもの凄く自我が強いということだ。文章は外村くんの一人称で語られるが、「僕は」という自己の思いがこれでもかこれでもかと吐露される。他の人にその思いを表現して伝えることが苦手なだけに、その分、心の中は自我が渦巻き過ぎて、自分で息苦しくしているところがなんとももどかしく、切なくなるほど。回りの人にも「めんどくさいよ、とむらくん」と言われ、「そうか、僕はめんどくさいのか・・・」とまたへこんでしまう。そうなのだ・・・人が青年期を脱して人として成長するということは、自我と世界との折り合いをどう付けるかという闘いの日々に他ならない・・・と、なにやら懐かしい感覚で腑に落ちたのだった。黙読ではそこまで気づかなかったが、自分の声を通して突然体に染みてきたということは、自分もそうだったからだ。青年期は今振り返ってみても自我をもて余していた。「私は・・・それはイヤだ」「私は・・・違う方を選ぶ」「私は・・・こうしたい」「私は・・・私は・・・」。あきれるほどに。

平山生さん 今回の「ほっかいどう元気びと」も、自己とどう向き合い、バランスを取り、その自我をどう力に変えていくのか・・・ということがテーマかもしれないなと、今まさに途上にいる21歳の青年の話をエールの気持ちで聞かせて貰った。
 スタジオに迎えたのは、自由な発想でペーパークラフトの“設計図”を作り、工作教室などでその楽しさを伝える札幌のペーパークラフト作家 平山 生(いく)さん 21歳。完成させるとクジラや恐竜になるそのペーパークラフトは、線や円が書かれいろんな色が塗られているA4用紙をその印に沿って切って貼って仕上げるという平山さんのオリジナル。1枚の紙のすべてが“部品”になるというのが特徴で、全く無駄がない。題して「いちまいでいのち」。札幌市白石区複合庁舎内の「まちづくりイベント広場」で月2回ペースで教室を開き、子供達は勿論大人にも親しまれているという。
 平山さんは、自分が遊びで始めた“工作”でお金をいただくなど考えてもいなかったそうだが、「NPO法人 札幌VO」を率いる方が、お金を取れるようになる仕組み作りをしてみたらと背中を押してくれたのだという。「君は普通に就労するのは向いていない。高校の頃からずっと作っている得意のペーパークラフトを通して誰かにとっての場づくりをするのが価値があると思う」と。
 「僕は人に恵まれている。ツイていると思います」と笑顔で話す平山さんは、10代の頃は自己の心身のバランスを取ることが難しく不登校にもなったのだそう。小さな頃から「自分はなんか周りとは違う」と感じ、「人と違うなら、ちょっと変わっている自分だからこそ出来ることをしたい」と、むしろその特別感に優越感を覚え、自分が遊びたいものを自分で工作して楽しんできたのだそうだが、高校に入ると集団行動に馴染めずに休みがちになったのだそうだ。“自分”というものが強すぎて周りと折り合いを付けるということが難しかったのだろう。「こうしなければいけない」「さぼってはいけない」など自分で作った規範意識の中で頭が痛くなったり、身体に支障をきたすようになって、休みがちになりながら4年かかって卒業したとのこと。
 そういう話を収録後も溢れるように話してくれたのだが、平山さんから感じるのは、「思いを言葉にする」ことを厭わないということだ。問いかけに対して真っ直ぐに自分の気持ちを話してくれる。時々、溢れ過ぎてしまいそうになることもあるが、伝えたいその思いに寄り添う気持ちになる。葛藤していたというさなかも人に会うことを拒否せず人の間に入っていったことが、本人も言うように「人に恵まれた」という“ツイている”状況を自分で引き寄せたのでないかと感じた。
平山生さん 高校時代に自我が勝ってしまって辛かった状態をどう解消出来たのかと訊いてみると、スクールカウンセラーの先生達や保健室の先生がいつも話を聴いてくれ、話しているうちに「そうか、さぼってもいいのか」とか「ふざけてもいいのか」と違う視点に気づいて楽になったのだそう。その後進んだ「製菓調理専門学校」にもスクールカウンセラーの先生がいて、そこでも自分から訪ねて話を聴いて貰い、考え方の修正が出来たのだそうだ。
 卒業しても就職活動は上手く行かなかったそうだが、以前から見てくれていた人達に声を掛けて貰って今の活動に繋がったとのこと。ペーパークラフトは工作教室以外に雑誌の付録の話も依頼されたり、作品を評価してくれる人も少しずつ増え、ダウンロード販売もしているので、「最近ようやく“ペーパークラフト作家”と名乗り始めました」と平山さん。と言っても、“だがしやアーティストiku”とも名乗る平山さんのなりたい今後の自分像は、子供達が気軽に集まってきて居場所にして貰えるような近所の“おっちゃん”。ペーパークラフトはあくまでそのためのツールであり、自分と同じように「自分はなんか周りとは違う」と思って居心地の悪い思いをしている子供達の居場所でいたいのだそう。ふざけてもいいよ、ここでは自由でもいいよと安心して貰いながら、この人のところに遊びに行けば楽しいと思って貰いたいと。昔は、親や兄弟、友達以外に、気心の知れたおじちゃんおばちゃんがいたが、そんな存在になりたいのだと少し特徴のある語尾で楽しそうに語ってくれた。

 前述の『羊と鋼の森』の外村青年は、先輩調律師や事務所の人達、お客さんとの繋がりによって、さらには一道を究めたいという思いと行動によって自分の中にある力に気づいていく。まずは、「やるべきことをやること。こつこつと続けること」という法則を見出して、強い“自我”とのバランスを取っていく。そうしているうちに、才能があるから生きていくのではなく、あるかないかわからないものに振り回されずにもっと確かなものを探り当てていくしかないと大事なことを確信するのだ。そうして世界を味方にする。「僕には何もなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている」という自分なりの“てつがく”で。
 「君、めんどくさいよ」と言われても、その自我をまっすぐに伸ばし人と人との交わりの中で力に変えていった小説の中の外村くんや、ペーパークラフトをツールに誰かを安心させたいと役割を見つけた平山さんのように、自分は他の人と違うのではと悩んでいる人も内なる力に気づけるような人との出会いがあればいいなと思う。同じように“めんどくさい”、自我の塊だった私が、言葉という表現のツールに惹き付けられ、ほんとうに多くの人に育てて貰って、今ここにいるように。

(インタビュー後記 村井裕子)

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