7月16日放送

遠藤友彦さん 人が若い力を発揮するいわゆる旬の時期よりも第二・第三の人生の方に興味がある・・・そんなことを前にもこの欄で書いたことがある。例えばプロのスポーツ選手。現役時代にどんな成績を上げたのかも勿論その人の一生で大事なことだが、試されるのは引退後。そして、そこから延々と続く人生の終盤の生き方。その“後半戦”によって、一生がいいものになるのか、そうでないものになってしまうのかの分かれ道になると思うからだ。
 今回の「ほっかいどう元気びと」は、札幌の有限会社「ゴーアヘッドジャパン」代表取締役の遠藤友彦さん 48歳。遠藤さんは社会人野球「NTT北海道」で16年間キャッチャーとして活躍し、指導の経験も重ねた後に会社を立ち上げ、野球分野のみならず広く人材を育成するための活動を続けている。2004年夏に甲子園で初優勝を果たした駒大苫小牧高校野球部の臨時コーチでもあったという遠藤さんに、なぜ多くの人の力を引き出し夢を実現させる取り組みを継続して来られたのか、その思いを伺った。

 遠藤さんの経験の中から引き出されるお話を聞いていて改めて大事だなと思ったのは、「人は自分の弱さを認めることが出来れば、自分を成長させようと思える」ということ。自分は強いと錯覚していると、人の言葉など耳に入らなくなり、独りよがりのやり方にとどまってしまう。自分の弱さを受け入れられれば、何かを学ぼうと思い、少しでも吸収しようと思う。その素直な気持ちが人のサポートを引き寄せたり、関わって貰えたりといういい循環に繋がっていくとのこと。遠藤さん自身が野球選手時代の日々でまさにその“弱さ”に気づき、そこと闘うことを厭わずにやってきたから、培った大事なことを今“後半戦”の人生で多くの人に伝えているのだということが説得力を持って伝わってくる。
 そんな経験則を元に、例えば野球部の指導で重視しているのは部員達というより監督、つまり大人達の意識を変えることなのだという。指導者がそれまでの考え方を柔軟に変革することで子供達も確実に変わっていく。物事の捉え方や視点を軽やかにチェンジさせていくことやメンタルをしなやかにしていく重要性はどんな仕事をしていても共通だ。企業の研修やPTAへの講演も多いのだそうだが、やはり周りの大人がまずは人間力の大事さに気づくということが欠かせないのだろう。
 そんなふうにして大人の意識を高め、周りの子供達に付けさせて欲しい力のひとつは「我慢する力」だそう。今の時代は、我慢をさせないように大人があれこれと手伝ってしまう場合が少なくないが、あえて面倒なことや大変だなと思うことを続けさせることが後々の力になると遠藤さんは言い切る。「厳しく指導している子供達には煙たがれることもありますが」と笑うが、それも体験からの実感なのだということが口調から伝わってくる。
遠藤友彦さん 何かを伝えたり指導したりする立場の人は、「言っていることとやっていることを一致させる」ということを何より欠かしてはいけないものだが、今現在の遠藤さんの“我慢する力”の源となっている習慣のひとつは「毎日一万歩歩くこと」だという。ちょっと面倒なことを“自分で決めて、継続する”のは言うほどたやすくない。「出張に出ていても前の晩お酒を飲んでちょっと辛くても一日も欠かさずということが大事」と話す遠藤さんは、毎日のスケジュールに“一万歩歩く”をまず組み入れて24時間を使うのだそう。仕事で埋まっている日は朝3時に起きて歩くそうで、そんなふうに一日の中の最優先事項に“一万歩”を入れることでそれ以外の時間をマネジメントすることが上手くなったと話す。“続ける”という単純な(でも、ほんとうはすごく面倒な)ことが“人間力”を作っていくのだと腑に落ちる。

 お話は収録後にも、プレッシャーに打ち勝つ準備力、野球選手の立ち居振舞いの大切さ、それを自覚するのは自分自身・・・などなど、興味深い話を沢山聞かせていただいたが、最も基本的なことは、表だから人が見ているからこうするとか、人が見ていないから手を抜くとか、体よく自分の見せ方を変えて生きるのではなく、「人が見ていようが見ていまいが、表も裏も同じにしようと心がける」ということがその人の根を深くするということに繋がるのではないかと感じた。「ぼろが出る」という言葉があるが、本人は表だけ善く見せているようでも、「裏が透けて見えていますよ~」と言いたくなるような“エライひとびと”もここのところニュースを賑わせている。「見えないところで自分を律する」「言っていることとやっていることを一致させる」というのはほんとうに難しい。そうすることでもたらされるものは目に見えないだけに、そうありたいと続ける意志がなければすぐに流されてしまう。出来ていないこともまだまだある自分自身にも自戒を込めて、「私はそこを目指したい」という辿り着きたい方向性だけは見失わないようにしていたいものだと、改めて自分自身をも見つめ直すきっかけになったインタビューだった。

 それにつけても最近の世相は何とも喧(かまびす)しい。人の悪口が飛び交う。ぞっとするような人の裏面を見せられる。有ったものが無かったものにされる。どちらかが嘘を言っているのに“フェイク”のごり押しをする。言葉が上滑りする。・・・虚実混交の情報の洪水に息苦しさも覚える中、一日だけだが大自然の宝庫である十勝のトムラウシへ行って来た。宮下奈都さんの『羊と鋼の森』(文藝春秋)を朗読で取り組んでいる真っ最中なので物語の空気を感じるための心の“準備”になればと、新得からさらに山また山の奥へ。
 まさに空気に触れる効用だと思うが、こういう場所に来ると日常スイッチから切り替わり“思い出しモード”になる。例えば、ものごとを俯瞰で見るという見方。“鳥瞰”とも言うように、まさに鳥の目。人間はおごり高ぶってなんだかんだと騒ぎながらも百年足らずで皆いなくなってしまうが、自然はそのままの姿でそこに残るという当たり前のことを思い出し、畏敬の念が湧いてくる。世間のあれこれにまみれそうになるザワザワ感からひととき離れ、大事な心の真ん中の湖に改めて水を満たしたような心地良さが何よりの収穫だった。ちっぽけなことで汲々としそうになったら山へ行こう。北海道はそんな場所の宝庫だ。

 『羊と鋼の森』には胸にしみる言葉が沢山溢れているが、今心に響いているのは、主人公が少し苦手としていた先輩調律師が最後に言う言葉。
 「一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間かければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも、高く大きく見えることのほうが大事なんじゃないか」
 消耗されてしまうようなことに振り回されずに、自分で決めたことを一心に続けることで、見えてくるものはきっとある。それを信じて、限られた人としての生を謙虚に歩き続けるしかないのだと改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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