7月9日放送

河嶋峻さん 7月9日放送の「ほっかいどう元気びと」のゲストは、札幌でゲストハウス「waya」と「yuyu」を運営する「合同会社Staylink(ステイリンク)」代表の河嶋 峻さん 25歳。ゲストハウスというのは最近若い世代に人気のリーズナブルな宿。外国人客も多く、各地の地域性を生かしたりゲスト同志や運営者とも気軽に交流出来る空間やイベントなどが工夫されたりしている。河嶋さんは別海町出身だが、札幌の高校で同級生だった柴田涼平さんと東京の大学で出会った埼玉県出身の木村高志さんと3人で合同会社を設立。資金集めをし、仲間を募り、豊平区の築60年のアパートを自分達の手で改築し、2014年に1軒目の「waya」をスタートさせた。就職での社会人デビューではなく、自分達の夢や志がエネルギーとなる起業を選んだのはどういう思いからだったのか、どんな価値観を3人で共有しているのか、「ゲストハウス」を軸にして世の中とどう接点を持ち、どう役割を果たしていきたいのか・・・そんな思いを聞かせていただいた。

 ゲストハウス「waya」は、1音目の「wa」を高く発音すれば「和屋」というしっとりした風情になるが、逆に2音目の「ya」を高くすると途端に“ほっかいどう感”満載になる。「わやだべさ!」のあの「わや」。最初にそのあたりを河嶋さんに投げかけると、元々は「和屋」のつもりだったので「wa」にアクセントを置いてくださいと笑うが、北海道のゲストハウスなのでやはり北海道弁も掛けているそう。外国人客にも馴染みやすいように二文字の名前にし、方言の「わや」も「大変だ」という悪いイメージではなく驚きや発見のニュアンスで付けましたとのこと。“ネガティブわや”ではなく、“ポジティブわや”。そのプラス思考の言語感覚、なんとも若者らしい。
 起業については始めから「ゲストハウス」ありきではなく、これから自分はどんな仕事に就きたいかと考えた時に、人生のほとんどの時間が仕事で費やされるのに何をしたいのかがはっきりしないまま就職で会社に入るということはどうなのだろうと疑問が生じ、自分で会社を興したいという思いが強くなったのだと河嶋さんは話す。「ゲストハウス」が浮上してきたのは、大学時代に故郷別海町に東京の友人達を連れて行く企画を主催した時に、全く違う価値観の人達もひとつの場所で寝泊まりすることで得難い交流が生まれるのだということを実感。そういう居場所を作りたいと3人で対話を繰り返し、共感を深め、実現に向けて形にしていったのだという。

河嶋峻さん 実際に面と向かってお話をすると、情報だけでは分からないその人の“温度のようなもの”が感じられるが、河嶋さんから伝わってきたのは、「お金を儲ける。ビジネスで成功する」ということではない、「人と人との交流。そこから生み出されるもの」への熱の高さ。その、目には見えない価値を大切にし、それをひとつひとつの仕事に落とし込み、繋げていくことで自分の生き方の軸が定まっていく。・・・そんなふうに軸をぶれさせずに生きるということが向かって行きたい先なのだろうなということだった。
 「ゲストハウス」を軸にこれから取り組みたいことの1つには、放課後に子供達を預かる「学童保育」。外国の人達とも交流が可能なその場所で、単に英会話を学ぶというだけの関わりではなく何かを共に作るといった工夫も取り入れながら、独りでご飯を食べざるを得ない子供の居場所にもなれればと、地域と繋がる可能性も語る。
 そんなふうに人と人との繋がりや自分の人生を考えるようになったのは、東日本大震災が大きなきっかけだったそうだ。大学生の時に2011年3月11日を経験、「若い自分達も、何をして生きるのか? 誰と働くのか? 場所は何処なのか? など、改めて問われたんです」と、収録後に。真剣に向き合ったとはいえ全くの新しいチャレンジ、それも友達同志で起業することを聞いた人達の大半は、「うまくいくはずがない。絶対やめたほうがいい」と口々に反対したそうだが、「そういう時にはかえって反骨心が出てきますから」と踏み出したのだそう。
 起業から3年目となりさらに本州で店舗を増やす計画も進めているというが、それも事業拡大というより、思いを共有出来る人に居場所を託し、そこから生まれる交流をさらに繋げていって欲しいというぶれない価値への追求だ。道の先には沢山の壁も立ちはだかるのだろうと思うが、ひとつひとつ若い力で超えていって欲しいとエールの気持ちで見送った。

 “今までに無いもの”を新たに作りだそうとすると、世間の常識という物差しからは「青い」とか「甘い」という言葉が返ってきて、それがまた壁になったりもするが、青くていいじゃないかと思う。「常識」などはそもそも誰かの頭の中で考え出したこと。青い発想で「新しい常識」を作っていくことが時代のエネルギーになることもある。今回の河嶋さんのお話を聞いて浮かんだのは、「生徒諸君に寄せる」という文章。ここのところのインタビュー後記で何度も宮沢賢治の言葉や考え方に触れているが、知れば知るほどその考えはまったく「古びて」おらず、まさに「今」。いや、もしかしたら今より90年も前に「今の私達の目線よりも遙かに遠いところを見ていたのでは」とも思う。
 「生徒諸君に寄せる」は詩として発表されたものではなく、「一九二七年に於ける/盛岡中学校生徒諸君に寄せる」と書かれた草稿だという。旧制盛岡中学は賢治の母校で今の盛岡第一高校の前身だが、90年前の賢治が、若者は新たに時代を作らねばとこう書いている。

 ・・・諸君はこの時代に強いられ率いられて 奴隷のように忍従することを欲するか
 ・・・むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
 ・・・宙宇は絶えずわれらによって変化する 誰が誰よりどうだとか 誰の仕事がどうしたとか そんなことを言っているひまがあるか
 ・・・新しい時代のコペルニクスよ 余りに重苦しい重力の法則から この銀河系を解き放て
  ・・・ああ諸君はいま この颯爽たる諸君の未来圏から吹いてくる 透明な風を感じないのか

 賢治の「よき思いを胸に抱いて、真っ直ぐに進んでいく」、その明るさと強さが宇宙をも変化させるという精神性に私は圧倒されるのだが、やはり、“誰の仕事がどうこう”などを超越した「前向きな明るさ」、そのエネルギーが世界をより良く変えられるのだと信じたい。
  別海町を故郷に持ち、天性の明るさは「別海のいろんな年代の大人達と幼い頃から話をしてきたから」と笑う河嶋さん。その最大の人間力は、触れ合う人のいい所を見つけて、引き出し、場を前向きな空気にしてしまうことだと思う。北海道の風土が育てた若者達がそんな明るさで人にも地域にも向き合うことが出来たら、きっといい風が吹いてくるに違いない。

(インタビュー後記 村井裕子)

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