4月23日放送

穂積佳さん 4月第4週の「ほっかいどう元気びと」は、この春高校1年になったばかりの穂積佳さん15歳。東千歳中学の3年間で絵の才能をメキメキと発揮し、「文部科学大臣賞」など数々の賞を受賞しているという若き力の源を興味深く聞かせて貰った。
 この番組では、これまでも10代の“明日の元気びと”達にも出て貰い、何かに取り組むその思いを訊いてきた。インタビューのスタンスとして大事にしたいのは中学生でも高校生でもひとりの“おとな”として向き合いお話を訊こうという思い。とはいえ、“イマドキ”の男子高校生はどういう話し方をするのだろう・・・想定の仕様がないのでいつも通りにプロフィール資料を読み込んで質問の仕方を幾通りも巡らせて臨む。そうして、当日スタジオに迎えたのは、初対面にもかかわらず気負わず臆せず、それでいて北海道らしい素朴さも持ち合わせたオープンマインドな青年。思いをちゃんと言葉にしようとする素直な受け答えに惹かれて人生経験を重ねた人にするような問いかけもしてみたりして・・・新鮮で面白い対話の時間だった。

 東千歳中学の3年間で絵が上手くなったのはどんな影響があったかという問いかけに、穂積青年は、部活動の顧問の竹津昇先生の指導があったと話す。画家でもある先生が言う意味が1年の時にはまったく分からなかったそうだが、「2年になってすごい枚数を描くことで描き方が身に付き始めた」とのこと。何が分かってきましたか?と興味津々で訊いてみると、「先生の言っている、他の人が描かないものを描くという面白さが分かってきた」という答え。それは、自分達の周りの風景であり、ここにしかない風景。それこそが外に伝える武器にもなり、自分自身の力にもなるのだということを何度も聞かされたのだという。
 人の気づきを聞くのは面白い。気づいたところからきっと何かが変わったり、成長したり、そういう瞬間に自分でも知らなかった自分の中の力が発揮されたりしているはずだからだ。穂積さんは、それまで当たり前と思っていた身のまわりの農家や畑の風景、牛や馬といった題材に目を向け何枚も描き込んでいるうちに、先生の言う“影とか穴の奥行きの面白さ”も分かるようになっていったのだと、言葉を探しながら一生懸命話す。
 絵を描いていて良かったと思うのは、「今まで見えていなかったものが見えるようになったこと」。絵筆を持たなかったら周辺にある恵まれた環境にも気づけなかったと絵を通して変われた自分の感覚を素直に面白がる。穂積さんの関西出身のご両親は、新規就農で北海道の千歳に移住し、穂積さんは畑作に取り組む両親の元で生まれ育ったのだそう。外からの目で北海道を見るという視点も受け継がれているのだろう。土地が素晴らしいことや周りの人達の人柄がいいということも父母の話す言葉から聞いてきたという。
 絵の題材として、使われなくなった農家の納屋や砂利工場、錆び付いた廃墟などにも興味があるというが、その理由は「その場所でそれを使っていた人達がいるから」とのこと。そういう、人がそこにいたということも絵の中に感じさせるように表現していきたいと、モノに宿る思いのようなものもちゃんと語っていたのが興味深い視点だった。

穂積佳さん 10歳から15歳位というのは見聞きしたことをスポンジのように吸収出来るが、だからこそ良い出会い、良いきっかけが必要だ。穂積さんは、志ある新規就農者のご両親や中学の熱心な先生、そして、住んでいる土地に恵まれ、それらからいろいろな力がまさに今引き出されている最中なのだろう。そんな出会いの恵みをその後に生かしていくのは本人次第。この、のびのびと育った目の前の15歳は、きっと、自分自身でいろいろなことを考え、迷い、悩んだりしながらも、自分で選択しながら前に進んでいくに違いない。大人にするようなこんな質問を最後にしてみた。
 「これからどんな生き方をしていきたいですか?」
 「いろんな人に会っていく中で大事にしたいのは、学ぶ姿勢。その時その時で感じられることが沢山あると思うから」
 今まさに、自分でも磨き、他者からも磨かれている大切な感性。それをけっして摩耗させないようにしながら大人になっていきたいという道の途上の真っ只中にいる者の大切な思いなのだろう。その真綿のような初心は何に取り組んでいても幾つになっても忘れないようにしなくてはとまっさらな気持ちを思い出させて貰えたインタビューだった。

 お話を聞きながら頭に浮かんだのは、宮下奈都さんの「羊と鋼の森」(文藝春秋)の主人公の“外村くん”だ。北海道の一地方の高校生である彼が、ある日突然、ピアノを調律する深い音色に出会ったことでプロの調律師を目指し、成長していく青春譚。辿り着きたい目標や出したい音の理想はありありとあるものの、経験の浅さからまだまだそこに辿り着けない焦りや煩悶、心の葛藤がヒリヒリと伝わってきて、まるで森に迷い込んだかのようなその心情に寄り添っている気持ちになれる清々しい小説だ。
 一足飛びには一人前になれないし、とにかく「こつこつ、こつこつ」と前に進むしかないと分かっていても、「どうこつこつするのが正しいのか」が分からない。悩む、焦る、自信をなくす。だが、分からないなりにもやれることをひとつひとつ積み重ねていくうちに、ひとつひとつ目を見開かれるように大事なことに青年は気づいていく。例えば、「その道を目指すまでは美しいものに気づかずにいた」という、視界が晴れるかのような大きな気づき。・・・
 「知らなかった、というのとは少し違う。僕はたくさん知っていた。ただ、知っていることに気づかずにいたのだ」
 彼は、記憶の中からそれまでに気づかなかった“美しいもの”を思い出していく。そして、「ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる」という、自分と世界を繋ぐ細い細い小路のようなものを心の中に発見していく。宮下奈都さんは、こんな表現で物語を結ぶ。
 「何もないと思っていた森で、なんでもないと思っていた風景の中に、すべてがあったのだと思う。隠されていたのでさえなく、ただ見つけられなかっただけだ。
 安心してよかったのだ。僕には何もなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている」・・・
 人はよく、才能が有るとか無いとかという表現で人の中にある資源のようなものの有り無しを判定してしまいがちだが、“もともと世界に溶けている”ものに気づけるかどうか、そこに目が見開かれるかどうかが大切なのではないかと思う。そのために必要なのは、あきらめずに続けることと、そういうことを気づかせる役割の存在だ。
 「羊と鋼の森」の主人公が成長していくきっかけをさりげなく与えてくれる周りの登場人物達の人柄に心打たれながら、千歳の15歳 穂積さんの力を引き出している人達を想像する。きっと、そういう大人達もそこまで来る過程で「こつこつ、こつこつ」手を抜かずに進んで来ているのだろうなと思う。だからこそ誰かの中にある力にも気づいてあげられるのではないか。・・・「こつこつ、こつこつ」が繋がる連鎖を感じた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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