2月12日放送

砂子田円佳さん 2月2週目の「ほっかいどう元気びと」は、十勝の広尾町で酪農を営む「株式会社マドリン」代表の砂子田円佳さん 34歳。2007年にひとりで会社を興して30頭の牛飼いとなり、2015年の結婚後は夫婦二人三脚で続けてきたというバイタリティ溢れる女性。「農業女子」なるキーワードが注目されているが、どんな思いでこの仕事と向き合ってきたのか、お話を伺った。
 砂子田さんは実家が酪農を営んでいたこともあり、小さな頃から牛のいる環境だったそう。広尾町でゼロからこの仕事を始めた父親は、4人の子供達に1頭ずつ牛をあてがい、砂子田さんにも「これは円佳の牛だから」と母牛を買ってくれ、面倒を見させていたのだそう。物心つく頃から牛舎で遊んだり、牛の世話をしたりの日々。高校生の頃には一旦家業には背を向けて家を離れて学校に通ったそうだが、出て気づいたのは「自分の将来は専業主婦より母親のように忙しくしていたほうが合っている」ということ。帯広畜産大学の後継者向けの学科に2年通い、その後、カナダ・ケベック州の牧場に2年半住み込みで研修を経験して、酪農を自分の仕事にしようと意志が固まったのだという。

 お話を伺っていて気づくのは、子ども時代の環境や親の真剣な取り組み、自然に恵まれた土地が与えてくれたものが砂子田さんの中でしっかりと根づいているということ。「これは質問とずれてしまうと思いますが・・・」と言いながら思いを溢れさせるように語ってくれたのは、幼い時に仕事終わりの両親と一緒に見上げた広尾町の夜空の星のこと。それはそれは降るような星空で、そのひとときだけは日中忙しい両親とゆっくりと話が出来ることも嬉しかったと話し、ぐっと胸を詰まらせ涙を溢れさせる。親の愛、生きものとの触れ合い、土地の恵みが残してくれたものは大人になっても残り、それがその人の揺るぎない根っこになる・・・そんなことを感じさせて貰えるような砂子田さんの記憶の断片。それはまるで絵本の一頁のように温かなイメージで伝わってきて、こちらの涙腺も刺激されるのだった。
  一次産業が人にもたらすものというのはそういうところでもあるのかもしれない。収録後の聞き取りにも「尊敬する人は父親です」と胸を張る。「父は、年齢に関係なく目標を常に持ち、前向きに実現していくところがすごい」と。自力で酪農業を切り開いたことは勿論、その時代の酪農は苦労が多く風当たりも強かったようだと砂子田さん。そんな中で乗り越えられてきたのは、「酪農を一生のものにしていこうという強い思いがあるからだと思う」と、「強い思い」が何より大切だと気づかせて貰えた親の背中を熱く語る。

砂子田円佳さん 子供の頃に存分に素地が作られていた砂子田さんが2年半のカナダの研修で見つけたものは、すべてを自分の手で手がける酪農だったという。お世話になった牧場は規模が小さい分、仔牛の世話から母牛までの過程に全部責任を持つという仕事の仕方をしていて、自分もそういう酪農を目指したいと思ったのだそうだ。何より新鮮に映ったのは、牧場を妻が経営し、女性主導で動かしていたというところ。「その40代の奥さんがバリバリ存在感のある仕事をしながらも女性らしさがにじみ出ているところがほんとうに格好良くて、同じ女性として憧れた」そうで、“仕事も出来るけれどおしゃれも忘れない品のある女性”になりたいと影響を受けたという。
 帰国後、実家の大規模の酪農の手伝いを経て、2007年に自分ですべてを手がける酪農家を目指して独立し今に至るわけだが、その後縁あって結婚するまでは独りで途方に暮れることも沢山あったとか。最初はことあるごとに実家にSOSを出して助けて貰いながら、少しずつ自分で何とかしなくてはという自立心が生まれていったのだそうだ。
 再び、砂子田さんの感情が涙と共に溢れ出したのは、「そういう時どんなふうに乗り越えた?」と問いかけた時。辛かったこと、嬉しかったこと、有り難かったことの一杯詰まった記憶のドアがふいに開いたのだろう。「周りの女性達が助けてくれて」と涙と共に感謝の思いが表現される。広尾町界隈の知人友人、近所のおばちゃん達・・・気に掛けてくれる多くの女性達が「ご飯に行くよ~」と誘ってくれたり、「人の言っていることを気にするんじゃないよ」と声を掛けてくれたり、ほんとうに助けられましたと泣き笑いの声で人の支えの有り難さを語ってくれた。

 十勝の広尾町って、なんて素敵なところなんだろう・・・風景や星空、人の温かさ、第一次産業である農業への熱い思い。お話を聴きながら、そんな北海道の恵みがイメージされるような砂子田さんの素直なお話だった。
 「農業に従事する女性達はまだまだ自分よりも大変な人が多いんです」と共に農の仕事に取り組む女性達への思いを言葉にする砂子田さん。今度は自分が彼女達の励ましになりたいと「農業女子会 SAKURA会」を5年前に立ち上げ、その横の繋がりをこれからももっと大事にしていきいたいと話す。頑張ろうと思っている女性達が今までの男性社会の価値観の中で壁に突き当たったり押しつぶされてしまわないように、「話すことで解消することも沢山あると思いますから」と。
 頼もしいな農業女子。整わない環境や逆風、心ない言葉にもめげず、腐らず、前を向いている女性達よ、苦しさだけでなく存分に楽しみも享受しながら頑張って欲しい。・・・34歳の砂子田さんと向き合っていて、エールの気持ちがふつふつと湧くのを感じた。

 80年代、90年代、そして2000年代に入り、世の中は更なる「寛容・平等」の時代に向かっていくのだと信じていたが、どうも最近は大きな世界のあちこちが「不寛容・不平等」をむき出しにしている。この数十年、「当たり前」や「常識」にとらわれない発想はひとりひとりの不自由さを開放していくかのように思われたが、ふと気がつくと、逆戻りの思考がまたぞろ頭をもたげている。世界のどこかで、誰かが差別に苦しみ、生存の自由までもが脅かされている。
 世界の片隅の一員にしか過ぎない私達に出来ることは、せめて足元で、自分達の周りで「寛容」を広めていくことか。古き慣習といった枠がはめられている分野こそ風穴を開けて、誰かの挑戦を見守り、支え合う心を養うことか。
 「なんだか変」「なんだか居心地が悪い」「なんか優しくない」「なんか許せない」・・・女性が感じる「違和感」を侮るなかれ。その感覚を共有する仲間を増やしていくことで、何かを変えていく力はきっと生まれるはず。場の可能性というのはそうやってひとりひとりの意識が集まって絆になることでより良く変化し続けられるはずだから。

(インタビュー後記 村井裕子)

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