2月5日放送

 先日、倉本聰さんが手がける舞台『走る』を観た。「時のマラソン」というキーワードのもとに、登場する役者さん達がそれぞれの役の人生を背負って走り抜けるという、熱や汗、息づかい、様々な感情がほとばしるあの富良野発のお芝居だ。・・・いや、“お芝居”ではない。あれはリアルだ。人の筋肉の躍動感のみならず“思い”そのものが“普遍”というリアル。全編、生身の体からほとばしる渾身のメッセージに胸を射ぬかれ、涙が止まらなかった。
 観ていくと、ふたつの「走る」があることに気づく。人生の「走り」と時代の「走り」。人はなぜ走るのか?何のために走るのか?・・・社会は一目散に走り始めたらスピードを緩めることは出来ないのか?立ち止まることは出来ないのか?・・・それこそ倉本さんの真骨頂。地方である北海道だからこそのメッセージ。
 ストーリーは沢山の比喩的表現に溢れており、観終わった後も想像力が掻き立てられる。たとえば、「走る」というのは、単純には肉体的に足を前に出して進むということだが、けっしてそれだけではないのだということ。人はたとえ機能としての足が動かなくても、たとえベッドから起き上がることが出来なくても、精神は「走る」ことが出来る。動かない足の代わりに車いすや腕で運転できる自動車の力を借りて自分を目的地まで運び、よしんば運べなくても魂を真っ直ぐ前に向けて「走っている」人達は確実にいる・・・。
 『ほっかいどう元気びと』で車いすのゲストとお話ししたばかりだったこともあり、そんな“人の中の力”を一層感じていた。

牧野准子さん 2月5日放送のゲストは、「障がい当事者講師の会 すぷりんぐ」代表の牧野准子さん 58歳。「障がい当事者講師の会 すぷりんぐ」とは、身体・視覚・聴覚・精神・発達障がい・難病・内部疾患など様々な障がいのある人とそれを支援する人、約90人の会員で活動を続けているもので、札幌市社会福祉協議会「障がい当事者講師養成講座」を修了した有志達によって2012に設立されたもの。障がいはありながらも、自分達が出来ることをそれぞれに引き出し合いながら、得意分野や専門分野のこと、或いは、障がいを通して伝えたいことを各所で講演する取り組みを続けているという。
 養成講座の第1期を受講した牧野さんが仲間達と共に会を立ち上げたのは、一般の人達に障がいのことを広く知って貰い、偏見や差別を無くしたいという思いから。長い間インテリアコーディネーターやガーデニングデザイナーとしてバリバリ仕事をし、「有限会社 環工房」の代表として各所で講師活動にも励んでいた牧野さんが車いすでの生活となったのは、2005年に進行性の難病を発症してからとのこと。それまでの仕事を辞め、一時は家にこもって意欲も無くし、自分の人生180度変わってしまったと悲観的な日々も送ったという。食欲も無く、体重も減り、出来ないことが増えていって、それが情けなくてまた自己否定をし、些細なことに一喜一憂して泣いてばかりいたというが、前を向くきっかけになったのは、「こんなことじゃいけない」と思って自分のためにカウンセラーの学びを始めたことだったと話す。3年かけて1級の資格をとり、また、障がい者用の車の運転を覚えて札幌からひとりでドライブに出掛け、訪ねた旭川の娘さんが不在だったことからさらに北上して稚内まで行けたこともひとつの大きな自信になったとのこと。その流れで「障がい当事者講師養成講座」を受講することになったわけだが、苦しみの中から牧野さんが気づいていったことは、「出来ないことを悔しいと思うより、出来ることをしないほうが残念だ」ということ。そして、徐々に、「今の自分に何が出来るだろう」と考えられるようになっていったのだそうだ。
 「障がいを持つ立場だからこそ出来ること」・・・そんな境地にまで辿り着くには、呆然と立ち尽くす時間、頭の中で否定と肯定がせめぎ合う時間、他者を攻撃したくなるような時間や無力感に苛まれる時間など、いくつもの壁を乗り越える過酷な時間の積み重ねがあったはず。しかし、「毎日、家でパジャマも着替えられずに鬱々としていた時期もありました」というエピソードを笑顔で話す牧野さんからは周りも明るくするようなエネルギーが溢れ出ている。進行性の難病という現実を抱えていても尚、人はけっして弱い存在ではないのだということ、力強く“走る”ことは可能なのだと伝えてくれているようなひとときだった。
牧野准子さん 収録後にも、力の源を巡って対話は続く。牧野さんは、ご自身の58年の人生を愛おしそうに振り返って、「自分が病気になったり、母を亡くしたりという経験をひとつひとつ重ねることで、生きるということ死ぬということを深く意識し始め、まず1日1日を大事に生きたいと思うようになりました」と言い、信条としている言葉をこう表現する。
 「“今度”とか“いつか”は無いと思って生きる。したいことは“今”。出来る時に出来ることをしておこう」
 牧野さんは、病という青天の霹靂の出来事が降りかかるまでは、「仕事」というコースを一心に走り続けてきたわけだが、車いすの生活を余儀なくされてコースを変えた。そして奈落の底の心境から「走り方」を変えて、精神の一歩一歩を前向きに進もうとご自身で決めたのだ。力の根っこにあるのは、「誰かの役に立ちたい」という強い思い。どこかに障がいを持っていても人の中には力がある。それを認め合い、引き出し合う、その牽引になりたいという思い。そして、そんなふうに頑張る自分の周りで誰かが笑顔でいてくれているということが牧野さんの新たなエネルギーになっているのだと感じられた。
 インタビューを受ける側と問いかける側、初対面とは思えない打ち解け方が出来たのは、生まれ年と生まれ月が同じだったからと思う。同じ年月を生きてきた同性という共通項だけで愛おしい同志としての絆が生まれる年齢の贈り物に感謝しながら、ひとりひとりがそれぞれの急坂をそれぞれのやり方で登り続けているとしたら、やはり縁が繋がる人達と手を取り支え合うことを大事にしたいと、ごく当たり前のことを改めて感じた時間だった。

 人生のマラソンには予期せぬことも起こる。そして、社会や会社、世界もそう。大事なのは、絶望をくぐり抜けて新たな一歩を踏み出せるかどうかに他ならない。“心の筋トレ”などという比喩表現があるが、もはや人も時代も、ただ強いばかりの“筋肉”ではなく、まさにその“質”こそ求められていくのではないか・・・今、そんなふうにしみじみと思っている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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