11月6日放送

 ひと頃、池田晶子さんの本を立て続けに読んでいた時期があった。「14歳からの哲学」「41歳からの哲学」など、人に流されないために自分の頭で考え、自分自身で生きる哲学を見つけなさいという、バイブルのようでもあり、だが、油断していると突き放されそうにもなる本達だ。2007年に癌のため46歳で亡くなられ、この混沌とした時代にもう池田さんの新しい言葉には触れられないのかと淋しい気持ちがしたものだ。
 本棚にはいつでも取り出して読めるように何冊かを固めて置いてあるのだが、先日書店で、没後に有志の手で新たに編纂されたという『考える日々 全編』という分厚い本があるのを見つけて、購入。久々に池田節を堪能している。辛口のコラムを日記風に綴っているその口調は時としてとてもラジカルだが、何度も繰り返し言っているのは、「生きるということはそもそもどういうことなのかを考えろ」ということ。きょうびそれを考えなさすぎる人が多すぎると。その通りだ・・・と心の裡で襟を正す。「いかに生きるか」を考える前に、「そもそもなぜ私はここに生存しているのか」を考えなさいという形而上学的な問いかけだ。答えが容易に出ない面倒な作業だからこそ問い続けなければならないものだが、この世の中、そういった“七面倒臭そう”なことを口に出すと変な人と思われやしないか、浮いてしまわないかと妙に気を使ってしまう空気もある。私自身は50を過ぎたあたりから「生きる意味を考える」ことに何の躊躇がいるものかという気づきといい案配の力の抜け方もあって口に出すようになったが、それでも、誰彼構わず突然そのような問いかけをしたりはしない。
 今回の「ほっかいどう元気びと」。若きゲストから、その「生きる意味」というキーワードが凛とこぼれ落ちた。とても照れくさそうに、“引かれてしまわないか”というためらいとともに表現されたが、向き合う私は、そういう思いを持つ若い人がいたのだととても頼もしく、頷く表情に「大丈夫」光線を出しながら次の言葉をわくわくしながら待っていた。

木村真依子さん お客様は、去年、札幌に日高みついし昆布製品の企画・販売会社「ナナクラ昆布」を立ち上げた木村真依子さん 30歳。出身の旧三石町、今の新ひだか町で祖父の茂さんが先代を引き継いで昆布漁と加工・卸の「木村七蔵商店」を営んできた。孫の真依子さんは、大学生の頃に祖父が商売を畳もうとしていることを聞き、「それはとても勿体ない。今までに無い昆布を作れば需要が生まれるはず。自分がなんとか繋げたい」と思ったのだそう。昆布漁や加工の作業には両親も加わり、幼い真依子さんも船に乗せて貰うなど、働く祖父の姿をずっと見てきたのだという。その故郷の海の幸である昆布は皆の誇りであり、何かとても貴重なものと感じていたのだとか。とはいえ、経験の無い自分がすぐに行動を起こせるわけもなく、30歳で起業することを目指して大学卒業後に印刷会社に就職。営業を経験し、「昆布」で起業するためのノウハウを身に付けていったそう。結婚・出産も経て30歳を目前に「ナナクラ昆布」をスタート。若い人達にも料理に昆布を使って貰えるように扱いやすい細切りなどにし、センスのいいパッケージデザインで昆布のある健康的な暮らしを提案している。
 外見はハイクオリティな紅茶の包みのようだが、中身は「出汁に良し、食べるに良し」と言われる日高みついし昆布だ。昆布そのものは道内よりも道外で不動の人気を集めているが、各家庭の需要で言えば、台所でかさばったり水で戻すなどの手間などが敬遠されたりして、暮らしからどんどん離れていっている。木村さんは、折角の道産の恵みなのだから道内の家庭でもっと美味しく食べて貰いたいと言い、自分と同じような年代の人達も気軽にプレゼントし合えるような商品を企画することによって、これからの北海道の一次産業の後押しをしていきたいと思いを込める。
 子供の頃の家族総出での昆布漁の手伝いのお話などを聞かせて貰った後で、「それほどまでに昆布に一生懸命になれるのはなぜ?」と問いかけたところ、前述の「それは、私の生きる意味」という言葉が期せずして発せられるように溢れてきた。
 「私はなぜこの場所に生まれ育ったのだろう、ここに生まれてきた意味が私にあるのではないだろうかと考えて、それは、ひいおじいちゃんが始めておじいちゃんに手渡された昆布を次に繋ぐことだと思ったんです」。
 子供の頃に昆布を採る船に一緒に乗った思い出、その時の匂いや音や空気、家族が大切に扱う昆布という故郷の海の恵み、地縁や血縁の人達が働く姿・・・そういうすべてが記憶になり、心の奥底の力の源になっているのだろう。従事した者だけが分かる自然や土地や人がすべて内包されているような一次産業の魅力というものを幼い頃の五感で感じ取ったのかもしれない。30歳が遠慮がちに、でも揺るぎない思いで語る「生きる意味」の深さを嬉しく想像していた。

木村真依子さん そんなふうに使命感を持ってオリジナルの仕事を立ち上げる中、大切にしてきたことは何か。収録後に、恒例の紐解きの質問である「あなたの宝ものは何ですか?」を訊いてみると、「大学を卒業して印刷会社に入り、起業を思い描きながら過ごしてきたその経験が宝もの」との答え。「ナナクラ昆布」立ち上げまでは、最初の印刷会社を辞めたり、無職の期間などもあって落ち込んだりしたこともあったそうだが、「でも、その道のりで出会った人達が今の仕事に繋がっている。そして、この人と一緒なら起業も叶うと思えた人と結婚したこともかけがえのない出会い。これまで進んで来た道の、そのすべての時間が財産です」と。
 木村さんは高校まで剣道一筋に打ち込み、国体で5位に入賞するなどの成績を上げ、その先も更なる剣道の道を期待されていたのだそうだが、卒業と同時にやめてしまい、それからの大学の2年間は何事にも力が入らず、「何のために私は生きているのか」と後悔の日々を送ったという。そんな中で、祖父が昆布の仕事を手放そうとしているのを聞き、自分が打ち込めるのはこれだと俄然やる気が湧いてきたのだそう。「何かをしないで後悔することだけはもうしたくないと心に決めました」と、燃え尽きた後の辛さと悔恨があったからこそ一生取り組めるものを見つけるという心理的V字回復へ至ったその時の心境も教えてくれた。

 この「ほっかいどう元気びと」は「お仕事図鑑」でもあると前々回のこの欄で書いた。その仕事を通して、おひとりおひとりがどんなふうに自分の役割や使命感に気づいていったのかという「人が生きる意味」までをも聞かせていただいているのだなあとしみじみ思う。
 なぜ、私はここに生まれ育ったのか?
 何をすれば、私は私として生きられるのか?・・・
 30分間の放送の中で、おひとりおひとりの「生きる意味」がさりげなく立ち上がってくるような、人がそれぞれに生きている証のようなものがほのかに香り立つような番組でありたいと思っている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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