10月23日放送

 毎週おひとりずつインタビューでお届けしている「ほっかいどう元気びと」は、世の中に数多ある仕事を知ることが出来る「お仕事図鑑」でもある(と思っている)。放送開始から5年半が経ち、すでに300人近い方々に出演していただいているが、細かい分類ではそれだけの仕事や取り組みがあるということだ。ここ3ヶ月程でもなんとまあ多岐に渡っていることか。鷹匠の資格を持つ動物園の飼育員、昔は旗章指物師(きしょうさしものし)と呼ばれた大漁旗作りの若き職人、「シベリア抑留体験を語る会」を続ける女性、家庭医の専門医などなど・・・。なぜその仕事や活動を始めることになったのか?どんな思いで取り組んできたのか?何が学べたのか?自分自身どう変われたのか?そして、これからこの北海道でどんな関わりをしていきたいのか?・・・仕事観からその人が浮き彫りになるのが面白い。
 そして、案外、知っているつもりで知らないことも多い。特に、「ものづくり」などの職人仕事。お話を聞いて、改めてその仕事の深さに感じ入ることもある。

野田肇介さん 今回お話を伺った「左官屋」さんの仕事もまさにそのひとつ。時代の流れに逆らうように、日本古来からの「土壁」に魅せられ、素材から作ることにこだわっているという浦河町「野田左官店」の二代目 野田肇介(けいすけ)さんが今回のお客様。38歳ながら、「飛鳥時代から続く本来の左官業は絶滅の危機にある。その土地に合った美しく心地良い土壁を手がけて、誇りある左官の仕事を伝えていきたい」と話すその原動力を伺った。
 本来の左官業は絶滅の危機・・・というのも、正直、お話を聞くまでは私自身ほとんど意識していなかったこと。「本来の左官」というのは、お城や土蔵など昔の日本家屋などの「土壁」作りに携わっていた職人で、土や藁などの自然素材を水と混ぜ、鏝(こて)を使って重ね塗りしていく伝統工法を担っており、その歴史は古く飛鳥時代まで遡るのだという。住宅様式が変化すると共に戸建ての壁は塗装やクロスに変わって本来の左官は減り、ビルやマンションなどの基礎工事やコンクリート作業を請け負うのも左官の仕事になっていったのだとか。とはいえ、ここにきて自然素材の漆喰や珪藻土なども見直されてきたことから本来の「左官仕上げ」も求められており、今「左官」の仕事は二種類あって、そのどちらもが重要な仕事と言えるのだそうだ。野田さんは、土を探すところから始まり、調合をしてその地に最も合う壁作りに力を注いでいるが、北海道でそのようなやり方をしている「左官」は他にはほとんどいないとのこと。
 なぜ、その「絶滅危惧種」の左官のほうの仕事に邁進するようになったのだろう。お話を伺うと、左官店に生まれ育った野田さんは、子供の頃は「世の中には仕事というのは左官屋しかない」と思っていたそうで、自然の流れのなかで父親から壁塗りの技を教わり、跡を継ぐのだろうと漠然と思っていたという。しかし、仕事への夢は当時は無し。そこから逃げたいと思った時もあったそうだが、26歳の時にテレビで新進気鋭の左官屋である久住有生(なおき)氏を知り、こんな左官の仕事もあったのかと衝撃を受けて、兵庫県淡路島の久住氏の元へ弟子入りを志願。すでに鏝の使い方は出来ていた野田さんはそこで1年間、土壁を作るための配合や作り方を学んだという。浦河に戻ってからは道内あちこちに出向いて土を採集し「土壁」の配合研究に没頭。オリジナルの壁レシピを生み出して、「浦河べてるの家」のカフェ内装を始め、レストラン、個人住宅、そして、全国からの依頼にも応えひとつひとつ丁寧に経験を重ねてきたのだそうだ。
 土壁は「生きている」、或いは、「働いている」とも表現していたが、陶器のように「焼いて」いないので、生きている土そのものが湿度の調整などを的確にしてくれるのは勿論、五感への働きかけといった心地良さの違いも歴然なのだと確信を得、土壁の個展まで開催しているのだとか。(この日も土壁の見本を持参され、偶然の産物だったという北海道ならではの「しばれ壁」などの説明もしてくれた)
 野田さんは、「『壁』という字にも『塗る』という字にも『土』が入っているでしょう?それほど、土が基本なんです」と言い、それが左官の基本なのだと、自分の手で確立してきた自分ならではの仕事を爽やかなプライドで表現するのだった。

野田肇介さん 収録後に聞き取りをした「あなたの宝ものは何ですか?」の野田さんの答えは、「父親に買って貰った鏝(こて)です」と壁塗りに欠かせない道具を挙げる。
 それは、まだ18にもなっていなかったある日、弟にはプラモデル、自分にはかなり高価な鏝がプレゼントされたそう。「こんないい鏝、持っているのは他にはいないだろう」と渡されても、内心、「いるわけがないじゃないか」とその時はさほど嬉しくなかったそうだが、それから使い込んだその鏝は、持つところの木がすり減って自分の親指の形になり、刃の角も丸くなって、しっくりと自分の手に合う形になっていったそう。今では700種類位の鏝を使い分けるそうだが、この父親から贈られた鏝は、漆喰の壁を仕上げる時など、ここぞというところで使うのだとか。「自分の少し下手なところも、カバーしてくれる『マジックゴテ』と言ってもいい。お金には換えられない宝ものです」と力を込める。
 鏝の形が自分の手の形に変化していくにつれて、この仕事の意味もわかってきたと言う野田さん。「もの作りって、最初に感動がないと魂が入らないと思う。その職業に対して、自分がどう惚れ込むのかが大事。自分にとっては、それが土壁でした。だって、自分が採ってきた土が壁になって、お客様に喜んでもらえる。そんな楽しい仕事はないでしょう?」と愉快そう。今、道内でどのあたりの土が注目ですか?と伺うと、「道北です」という答え。「粘土質で色がきれいな土が豊富で、道北エリアはまさに宝の山」と言い、旭川・名寄・下川町など地元木材と土とのプロジェクトなども進めているのだそう。「左官」として北海道の潜在力を掘り起こす役割を頼もしく話してくれた。
 これからの時代の人の暮らしの心地良さは、地域に元々ある素材にどう気づき、どう生かすかという「足元を見つめる」発想が鍵なのだろう。志をそれぞれに持った仕事人達によって、この土地の持つほんとうの豊かさが引き出されるのを想像して、さらに北海道の可能性をも感じることが出来たインタビューだった。

 「ほっかいどう元気びと」の「お仕事図鑑」は、「巡り合った仕事をどう自分ならではのものにするか」が最大のポイントだ。そこに力を注いだ人が「仕事が面白い」という一生ものの実感を得られるのだと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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