10月9日放送

 少し日にちは経ちましたが・・・祝・北海道日本ハムファイターズ リーグ優勝!
 選手の皆さん、そして、栗山監督、おめでとうございます!
 「ほっかいどう元気びと」では、2016年最初のゲストで栗山英樹監督にお話を伺い、新春にふさわしく今年こそは頂点を目指すというお話もしていただいたが、夢を正夢にしてしまうその底力、そして、言ったことは実現するという言霊(ことだま)の力に改めて感服。優勝から何年も経ち再び頂点に立つというのは並々ならぬ精神力も必要だったことだろう。監督という立場は孤独との闘いでもあったに違いない。インタビューしていて意外だったのは、見事な程の自我の無さ。監督自身の中に「オレがオレが」が全く無く、自分云々よりも選手の成績やタイトルが「宝もの」と話されていたことだ。優勝インタビューを「ファイターズの選手達は北海道の誇りです」という言葉で締めくくるのを聞いて、そういう「栗山方式」がヤングファイターズの心に灯を点けたのだろうなぁと泣けてきた。
 それにしても、「ほっかいどう元気びと」では、2016年新春に栗山監督、15年にはコンサドーレ札幌を社長として率いる野々村芳和さん、レバンガ北海道を代表兼選手として牽引する折茂武彦さんなど地元密着のスポーツ関係者達にお話を伺ってきたが、その後の皆さん、それぞれの場でそれぞれに「結果を出す」という素晴らしい躍進をされている。「ほっかいどう元気びとに出演後に大躍進!」・・・こんなに嬉しいことはない。尚一層、北海道で活躍するひとりひとりの願いが叶っていく「ゲンのいい」番組でありたいと思っている。

西川浩一さん さて、秋も深まる10月2週目のお客様は、余市町のニッカウヰスキー北海道工場 工場長の西川浩一さん 59歳。ニッカと言えば創業者としてお馴染みの竹鶴政孝さんこそ北海道で大躍進を遂げたパイオニアのおひとり。そんな偉大な先人が一大事業を興したその地でどんな思いでウィスキー作りに携わっているのかを伺った。
 京都出身の西川さんは、京都大学農学部で微生物について学んだ後にニッカウヰスキーに入社。その後、本州各地の工場やスコットランドの蒸留所などにも勤務し、北海道工場とのご縁は2008年から。去年1月から工場長としてウイスキーの製造と品質管理に関っている。ちょうど「マッサン」ブームの真っ只中に工場の最高責任者という立場になり、2015年は年間90万人の観光客が訪れ、西川さんはVIP対応などにも気を配りながら多忙な日々を乗り切ったという。そんな脚光もあり、今年3月には、ウイスキーの国際的コンテストである「アイコンズ・オブ・ウイスキー2016」で「ワールド・ベスト・ディスティラリー・マネージャー」という個人に贈られる賞を受賞し、“世界最高”の蒸留所責任者として認定されている。ご本人曰く、「受賞理由は主催者側から教えて貰えないものなのでわからないのですが、多分、余市の蒸留所が話題を集め、世界からの注目度も高くなった。その結果、ウイスキーに対しての貢献にも繋がったことが評価されたのかもしれません」。

 ニッカのウイスキー作りに携わる立場としては、やはり余市の蒸留所は創業の地・発祥の地ということもあり、特別な思いを抱いて赴任して来るのだという。竹鶴さんのお墓を訪れ、古い方々からその人柄やエピソードを聞く機会に触れることで、「ほんとうにここは竹鶴政孝という存在を身近に感じられる場。来てみないとわからなかったが、来てみて存在をありありと感じます」とのこと。そして、精神として大事に受け継いでいることは、“本物でなければならない”、“自然を大切に”、“品質が第一”ということ。「自分がこれがいい」と思ったら、人に合わせず自分が思い描いた通りに作るという“頑固さ”も竹鶴さんの人柄だったようで、それを貫いた精神を自分達も受け継ぎたいと思っていると続ける。
 西川さんご自身のウイスキー作りも、その竹鶴政孝の言う“本物”というのは何なのだろうという答えを求めての30数年だったそうで、「ようやく、それが最近になって実感としてわかります」とのこと。20年後、30年後のためにやっている仕事が「今」なのだから、絶対におかしなものを作ってはいけない。そういう信念を先人から受け渡され、次にも受け継いでいかなくてはならないという責任も強く感じていますと力を込める。

西川浩一さん 自分の仕事でどんな“本物”を生み出していくのか。それを考えるのは、どんな仕事をしていても大切なことに違いない。その生み出したものが、「今」から先の将来の人達にどう喜んで貰えるか、どう役に立つのかを「俯瞰して」考えてみるということ。はっきりとした「正解」は無いから、だから、周りの人や時代に翻弄されずに、「自分がこれでいい」と自分を信じることが出来る強い精神力が必要なのだろう。
 西川さんに、恒例の「あなたの宝ものは何ですか?」の質問をしてみると、「外国で生活をした経験です」との答え。3年半、スコットランドのベン・ネヴィス蒸留所に勤務した時のことを話してくれたのだが、現地子会社のアドバイザーとしての役目で赴任したその仕事は、「正直、楽しくいいことばかりではなく、きつい、辛いことのほうが多かった」そう。
 「異文化の中で、自分がやるしかないという孤軍奮闘した時間は、日本で経験しようと思っても出来ないもの。おかげで随分タフになりました」と苦笑いする。
 現地の言葉は訛りの強い英語でわからないことも多く、風習も習慣も違うカルチャーショックの中、「あれもこれも困ることだらけ」というのは日本では経験したことがなく、「気持ちがギリギリの状態の時もありました」とも。外国の人が何を考え、日本人とどう違うのか、行かないとわからないことが沢山あり、その経験を「宝ものに」出来るかどうかはこれからの自分次第ですと、尚も、自分に厳しく言葉を発していた。
 仕事で迷ったり悩んだりした時に、「あの人だったらどう考えるだろう」とか「あの人なら絶対それは選ばない」など、尊敬する“モデル”を思い描くことでそれが心の芯になって前に進めることがある。西川さんも話されていた。「竹鶴さんだったらどう思うだろう、どう乗り越えただろうといつも思います」と。
 スコットランドで本物のウイスキー作りを学ぶために並々ならぬ努力を重ねたという竹鶴さん。大正から昭和の時代にそれを成し遂げたというのは常人ならぬ不屈の精神の持ち主だったのだろうと想像するが、そのスピリットが何十年も後の人の心を鼓舞し続けているのだと改めて思った。

 時代を超えた人の影響力。以前もこの欄で書いたが、内村鑑三は、『後世への最大遺物』という講演で、人は後世の人達のためにお金や事業や文学、教育、思想などを遺すことが出来るが、それよりもさらに「最大遺物」と言えるものが「勇ましい高尚なる生涯」だと語ったという。「もしあの人にもアアいうことができたならば私にもできないことはない」という考えを後世の人に起こさせるような生涯。その人の考えや行動が後世の人に“インスピレーション”を与えるような生涯。
 竹鶴さんの遺した事業も素晴らしいが、後世の人の心を揺さぶり動かしているのは、一心に思い描いたことを成し遂げて逝ったというその「勇ましい高尚なる生涯」なのだろうと思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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