9月18日放送

 ビジネスパーソンにとって、お昼ご飯はとても重要なアイテムだ。仕事がうまくいった時、いかなかった時、嬉しくても悔しくてもお腹は減る。まずは腹ごしらえだ。力の出るものがいいか、いや、午後の大事な仕事で緊張しているからここはつるつるっといこうか・・・などなど、たかが昼飯、されど昼飯。侮れない。
 私は18年間放送局の社員だったので、今でも札幌都心部でお昼を食べたお店やその時々に一緒に食べた人達の懐かしい顔をありありと思い出す。そして、基本的に“群れる”のが好きではなかったのでひとりご飯も多く、何軒か決めていたお店に本を片手に小走りで出掛け(時間が勿体ないので)、短い時間で気分をリセットする・・・そんなひとときが好きだった。若き日の仕事というのは心が波立ったり悔しかったりすることも多く、涙とともにパンの味を味わったことも、胸がつかえて飲み込めない思いと共に味のしないごはんを飲み込んだことも数知れず。・・・と書いていて、それでも、気持ちが萎えたからと昼を抜いたことは無く、しっかりとどんな時でも食べていたなぁと思う。食べないで声が出るか。
 そう、ちゃんと食べてきたからこそ、今もこうやって元気に働けるのだ。その時お世話になったお店に感謝だが、残念なことにほとんどの店がもう今は無い。(思えば、目まぐるしい世相よ、盛者必衰の理よ・・・)

藤井亜生子さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、そんな働く人達の胃袋と気持ちを美味しいカレーで支え続けている「カリーハウスコロンボ」の二代目店主 藤井亜生子さん 46歳。
 札幌駅近くのビジネスビルの地下で43年の歴史を刻む母から娘に引き継がれたお店は、カウンター席のみのアットホームな雰囲気で、常連さんのほとんどはサラリーマンだが、最近では親子三代でやって来る人やネット検索で探し当てて来る観光客も多いという。同じ場所で同じ味を提供し続ける矜持はいかに・・・その思いを訊いた。
 「カリーハウスコロンボ」は、初代の藤井一子(かずこ)さんが1973年に開いたお店。カレーが苦手だったことから、自分が食べられるカレーを作って出せば同じように苦手な人も食べられるのではないかと、あれこれ味や濃度を試行錯誤しながら工夫して今の味になったのだそうだ。亜生子さんにその味を表現して貰うと、「家庭のカレーのようで、家庭では出せない味」。毎日食べても飽きの来ない、どちらかというとサラサラのルーカレーの味の決め手は、厳選した玉ねぎを半日以上かけて煮込むこと。そのベースにスパイスなどを入れてさらに煮込んで1日寝かせるのがコツ。母親の一子さんが親心で始めたという、食べている途中でカレールーを継ぎ足してくれる「継ぎ足し」サービスや、食後のアイスクリームの無料サービスもしっかりと亜生子さんに受け継がれている。

 お話を伺っていると、亜生子さんがとても素直に母親のことを尊敬していることが伝わってきたので、少し斜めからの質問もしてみる。
 「一般に母と娘は反目することも多く、娘は違った道を目指すということも少なくないが、なぜ同じ道を進もうと思えたのでしょう?」
 亜生子さんは破顔一笑、「私もそうでした。手伝っている時は喧嘩ばっかり」と言い、自分も自分のやりたいことに取り組んだことで母親のすごさを改めて知ったのだと続ける。
 幼い時から母親の仕事ぶりを見てきた亜生子さんは、自分も食で喜んで貰える仕事をしたいと決意して栄養士の勉強をし、2年間、資格を生かして働いている。母親が体調を崩したことをきかっけに10年ほど一緒に「コロンボ」を支え、その後、隣りに、「オーガニックスープ・コロンボ」を出店。12年間、自分のやり方で店を切り盛りしてきたという。
 「母は母、私は私」という思いは、自立しようと目覚めた娘なら誰でも思うもの。すんなりと同じフィールドに入らずに別の選択肢を意地でも選んでみたくなる。亜生子さんは、自分なりの場を自分の力で作るという苦労を買って出て、改めて、隣の「母のフィールド」を「同業者」の目で見られたのだろうと思う。「この人のやってきたことは、すごいことなんだ」と。それを感じられたのは、母親が作るカレーを毎週のように、或いは週に3回も来て食べてくれる人達の喜ぶ顔があったからという。そんなふうに通ってくれる人達のために日々店を開き続けるということへの尊敬が娘さんの中に積み重なり、場を受け継ぐという責任が湧いてきたのだろうなと感じられた。

藤井亜生子さん 収録後の恒例の質問、「あなたの宝ものは何ですか?」を訊いてみる。
 亜生子さんは、「私は昔から人の喜ぶ顔が大好き。宝ものは人の笑顔かな」と答え、「それはいつも求めていたいものだし、大事にしたいものです」と続ける。幼い頃から、友達への誕生日プレゼントなどを選んだりすることが大好きで、喜んで貰えると「自分の気持ちが伝わったな」と嬉しくなるのだそう。
 「子供心にそればどんな気持ちだったのでしょう?」と何気なく問いかけると、「寂しかったんだと思います」と、一段声のボリュームを上げてにこやかに答える。
 ご両親は共働きで、母親の一子さんは「カリーハウスコロンボ」を始める前も喫茶店の仕事で忙しく、子供の頃の亜生子さんは、母親が作っておいてくれたご飯を温めて食べていたのだそう。兄とふたり、そして、兄も成長する中で忙しくなり、ひとりで食べることも多かったとその頃の心境を話してくれる。そして、「きっと、人と関わって、自分がここにいていいんだと認めて欲しかったんだと思います」と人の笑顔が好きな理由を自己分析し、「実は、究極の寂しがり屋。だから、人との縁が何より嬉しいのです」と、食で人に喜んで貰える仕事への思いが素直に紐解かれていった。「それが私の原動力かもしれませんね」と。

 母から娘へとバトンを繋いできたカレー屋さん。オフィス街に変わらずに有り続けることで、その一皿に元気を貰った人や、仕事の悩みを忘れることが出来た人、古里の母親のことを思い出した人も多かったに違いない。そういう愛される場所になるのを夢見て母親がお店を定着させようと頑張っていた頃、その娘は留守番の食卓でひとりで食事をしていたというその光景がちょっぴり切なく頭の中に浮かぶ。
 みんな頑張って「何者か」になったり、「何物か」を成し遂げようとしているのだなと思う。大人も必死だけど、子供も一緒に頑張っている。「食べ物屋さん」の目に見えないところでの大変さ。そして、プロの仕事とはそういうものなのだろう。
 その「食を提供するプロの仕事」を尊敬し、受け継ぎ、長く続けますと言い切る二代目の娘さん。人を明るくさせる笑顔の奥に覚悟のようなものも感じられたエピソードだった。

 良い本はひとりひとりの手に渡ると、受け取った人それぞれの大切な物語になるように、誰かが始めた「食べ物屋さん」も、歴史を刻むことで、味わう人達の大切な場所になる。だから、無くなると自分の大切なものを失ってしまう気がして途方に暮れるのだ。
 札幌の駅近くのビルの地下で変わらずに有り続けるカウンターのみのカレー屋さんも、すでに「みんなのもの」。だからこそ、作り手の責任も大きいのだろうなと思う。
 たかがカレー、されどカレーだ。

(インタビュー後記 村井裕子)

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