8月14日放送

建部奈津子さん 終戦の日を前に14日放送の「ほっかいどう元気びと」は、「シベリア抑留体験を語る会・札幌」会長の建部奈津子さん 42歳。戦争とは何かを次世代に繋げていくため抑留体験者に思いを語って貰う活動を2015年から始め、これまでに27回の講演会を重ねている。
 建部さんは、高校生と中学生の子供2人を育てる主婦であり、結婚前の歯科衛生士の経験を生かして、現在は訪問歯科の歯科衛生士として病院などをまわるという仕事も持つ。42歳という若さと「シベリア抑留」を知って貰う活動がどう繋がっていったのか、何が原動力になっているのか、初めてという活動にどんな力が発揮されているのか、じっくりと伺った。

 「何かに突き動かされるように」という“感覚”や“現象”を私自身とても好きなこともあってこのインタビュー後記でも何度もそのフレーズを使ってきたが、この番組で多くの方にお話を伺ってきて確信するのは、そうやって動かされることこそが「天命」に近いのではないかということ。無意識の奥のほうからやってくる何か・・・でも、それはとても自然で、遥か前から用意されていたようなしっくりとくるもので・・・説明は難しいけれどそれをするために予期せぬ力が湧いてきたり、必要な人や出来事に出会わされるような「何か」。
 建部さんは、とても感性が柔らかな人。実際にお会いしてお話を伺っていると、この人も「すでに用意されていた使命」の引き出しをここにきて開けることが出来た人なのだと感じられるほど真っ直ぐな思いが伝わってくる。
 この活動を立ち上げるきっかけは、6年程前に戦争体験を語る集まりを手伝ったこと。会場作りに関わりながら、生まれて初めて「シベリア抑留」の事実を実際に体験した人の話から知り、衝撃を受けたのだそう。同時に満蒙開拓団の話も聞き、「母親として」、14、15歳の若者達が親元を離れてそのような経験をするなど絶対に考えられないと思ったと。
 その時に体験を話された元高校教師の神馬(じんば)文男さんから労いの葉書を貰い、やりとりを続け、「まだ語り足りないのだ」という神馬さんの思いに応えるようにこの活動を立ち上げたのだそうだ。

 語る会でシベリア抑留体験者達が次の世代に渡していきたいのは勿論「絶対に戦争はしてはならない」ということだが、体験者達のその背景にはどんな使命感があるのかを建部さんに訊いてみる。
 「体験者は、シベリアという極寒の地での過酷な労働の中、三重苦四重苦で無念に命を落とし帰って来られなかった兵士達のためにも自分が語り継いでいかなければという思いが強いです」
 話す建部さんの目が潤む。何人もの尊い命が奪われるということが戦争であるという紛れもない事実。その無念さを噛みしめながら、強い使命感を持って語る戦争を体験した人。今、日本があるのはそういう無念さの中で亡くなった人達の上にあるのだという体験者の思いに共感し、それを知らせるための場作りを今のうちにしなければと初めての活動に奔走する戦後世代の人。目には見えない使命のバトンの受け渡し。
 建部さんは、「なぜそのような活動を?とよく聞かれますが、私ははじめに活動ありきや運動ありきではないんです」とポツリと話されていたが、人の思い、特に、戦争という凄まじい体験をした高齢の方々の気持ちに何とか寄り添いたい、残された時間に語って貰うことによってその気持ちを支えたいという感受性が、建部さんの活動の最も根っこにある原動力なのだと感じられた。

建部奈津子さん 収録後に訊いた「あなたの宝ものはなんですか?」の答えも、そんな感性から来ているのだろう。建部さんの宝ものは「手紙」。手紙に書かれた字がとても好きなのだそうで、肉筆は、「綺麗に書こうと頑張ってくれたんだ」とか、「忙しかったんだな」とか、その人の状況まで分かると話し、自分のために時間を割いてくれたということがとても嬉しいと話す。
 神馬文男さんからのお礼の葉書には、「子育ても仕事も大いに頑張りなさい」と書かれ、身内以外にそんなことを言ってくれる人がいるのだとその優しさに感激。「自分は中学を出て戦争に行き、シベリアに抑留されたので青春が無かった。でも、帰ってきてから勉強して教員になった。がむしゃらに取り組めばなんとかなる」・・・といった内容にも励まされ、その後、年賀状などのやりとりを続けたことが「シベリア抑留体験を語る会」の立ち上げにも繋がったのだと続ける。
 「この活動は、誰かの思いが背中を押してくれているような気がします」とも話し、再び涙が頬を伝う。お話の端々からは、心を寄り添わす高齢者の方々に対して、建部さんが人としての深い尊敬の念を持っていることが伝わってくる。そして、すでに90代になっている戦争体験者の方々の思いだけではなく、もうすでに話すことの出来なくなったこの世にいない体験者達の思いをも受け取っているのだと感じた。

 「高校生と中学生の子供は食べ盛りで、毎日買い物をしても足りないくらい」とお母さんの顔も見せてくれた建部さんだが、子育てを一段落してほっとするのではなく、新しい取り組みに果敢に踏み出していくのはどんな気持ちだろう?「どんな生き方をしていきたいですか?」と伺ってみると、「受け身の人生は嫌ですね」と一言。そして、「自立した人生・・・自分でどういう方向に行こうかと思っているだけでなく、実際にその方向に行けるようにフットワーク軽くして行動する自立した生き方をしていきたい」と思いを溢れさせる。
 実際に、こういう活動を始めて人に会って話すことで自分が気づかなかったことを知ることが出来たことがとても嬉しいと言い、今後も、高齢の方々との交流を通して、年を重ねた人達の沢山の知恵を聞きたいし、受け継ぎたい。それは、もっともっとお年寄りに輝いて欲しいから。そして、「シベリア抑留体験を語る会」としては、どこかの場所を借りてでもいいのでシベリア抑留の資料記念館のようなところを是非北海道に作りたいと、これからのご自身の40代以降の思いと構想を話してくれた。

 「受け渡す」「次へ繋ぐ」ということに関して、私自身、ここのところあれこれと考えをめぐらしているテーマなのだが、気づいてみれば、この私達の生きている「今」というのは、多くの人達、「偉大なる誰か」だけではなく市井の人達によってあらゆることが「受け渡され、受け継がれて」いる今だ。戦争と平和という大きなものから、実はそこに繋がる日々の暮らしの知恵といったものまで。
 建部さんが、「突き動かされるよう」に戦争体験者から次世代へ「大切なこと」を繋ぐ活動をされているように、見回してみればひとりひとりが出来る事は沢山あるのだと思う。
 よく言われる「自己実現」は、自分の中にある何らかの「際だった才能」を引っ張り出さなければ出来ないものだと思われがちだが、「大事なことを受け渡す、次へ繋ぐ」ために、誰かの思いや行動に共感し、寄り添い、それを知らせていくという行動も、全体の「今」をより良いものにし、次の人達の「今」を豊かなものに変えていく紛れもない「自己実現」だ。
 そして、それはきっと、内向きにじっと自分を探していても見つかるものでもない。何かのきっかけで「外」からやってくる。人との邂逅をくぐりながら、感受性というアンテナを敏感にしておくことで「突き動かされるよう」に自分の役割が実感出来るのではないか。
 「私が、私が・・・」の自意識からふっと離れた瞬間に、あるいは、「もう、自分には何かを始めるなんて無理」という決めつけを手放した瞬間に・・・「一生の仕事」となる天からのオーダーを柔らかく受け取れるのかもしれない。

(インタビュー後記 村井裕子)

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