7月3日放送

 生まれ育った土地というものを改めて考えてみると、意識の中でそんなに深い思い入れは無いつもりでも、ふとしたきっかけで、「案外、自分という人間はふるさとの成分で出来ていた」と気づかされることがある。
 私が故郷の岩手県盛岡市に暮らしたのはたったの18年。その後21歳になる年からその倍ほどの年月を北海道に暮らしてきたことになり、すっかり私も“ほっかいどう元気びと”のひとりになっているが、50を越えたあたりからか意識の根っこの末端に蓄えられていたふるさとの成分がなんとも心地よく体内に溶け出してきているような感じを抱いている。今まで目もくれていなかったもの・・・例えば南部鉄器にふと関心が向き、使ってみたら「焼く・煮る・ご飯を炊く」その実力に今更ながら感動し熱く人に語っていたり、力を入れてきた朗読のライフワークはいつの間にか「宮沢賢治」になっていたり、毎年夫婦ふたりの大晦日には自宅でわんこそばを楽しむようになっていたり・・・(北海道広しと言えど我が家だけだろう、こだわり“年越しわんこそば”!)。
 きっと、人間18までの細胞には生まれ育った土地のエッセンスが知らず知らずに濃く染み込むのかもしれない。その染み込む成分はと言えば「豊かな文化」。匠によるもの作り文化だったり、食文化だったり、文学や芸術・・・その土地の人々が「誇りを持って守ってきたもの」だからこそ浸透するのだと勝手に分析している。
 今回、「ほっかいどう元気びと」で地方の小さな町である北見市常呂町のカーリングの取り組みのお話を聞いて、「スポーツ文化」を豊かにするということも18歳までの若者の中に“濃い”何かを浸透させる一助になるのかもしれないと、そんなことを感じた。

小野寺亮二さん お客さまは、今年3月に世界女子カーリング選手権で日本初の銀メダルを獲得した「LS北見」(ロコ・ソラーレ)のコーチを務める北見市常呂町の小野寺亮二さん 55歳。本業は畑作農家の2代目だが、2010年のチーム結成時からコーチを務め、常呂町の町技でもあるカーリングの普及・発展にも力を注いできた人だ。それ以前に遡ると、小野寺さん自身も若い時からカーリングの選手として活躍。その時のチームメイトが長野オリンピックに出場するなど、これまでの全てのオリンピックで常呂町出身の選手が活躍しており、小さな町とはいえ今回さらにオリンピックに近くなった場所としても注目されている。
 「LS北見」は、チーム青森で活躍した常呂町出身の本橋麻里選手を中心に、同じく常呂町出身の鈴木夕湖選手、吉田夕梨花選手、吉田知那美選手、そして、北見市美山町出身の藤沢五月選手で結成されている。まさに、同じ土地、同じ風土で育った人達がカーリングというスポーツで繋がり、そして、初めて世界でメダルを獲得したという快挙。過疎と言われる町が、今後、どんな可能性を見せてくれるのか楽しみにお話を伺った。

 そもそも、常呂町でのカーリングの始まりは1980年。酒屋さんを営んでいた小栗祐治さんらが、カナダから講師を迎えて池田町で開かれたカーリング講習会に参加したことがきっかけだったという。ちょうど、町の人達がレジャーとして親しんでいたボーリング場が閉鎖されたことから、それに代わる冬の余暇の楽しみとしてこの新しいウインタースポーツの環境が整備されていったのだそうだ。
 小野寺さんがカーリングに出会うのはそれから4年位経ってから。実家の畑作農業を継ぎ、アルバイトでトラックの運転手もしていた中でたまたまカーリングをしているところに出くわし、面白そうだということで仲のいい人達と始めたのだと言う。「ゲームをすることになって、相手チームがおばちゃんだからって思ってたら、その人達の強いのなんの!負けたことが悔しくてやめられなくなりました」と小野寺さん。
 屋内カーリング場が出来るのはそれから数年後の88年だが、「それまでは、雪が降っていれば氷の上に積もる雪を一度モップで掃いてからストーンを投げてました」と楽しそう。
 そのストーンも輸入ものを揃えるのは価格が高すぎて、最初はビヤ樽やガスボンベを切ってコンクリートを詰めて作った代用ストーンを使っていたとか。激しい雪の戸外で、モップで掃いてはストーンらしきものを投げて興じる当時の常呂町民達の仲の良さを思い浮かべると、知らず知らずに笑みがこぼれてくる。そんな草創期があって室内のリンクの整備へと進み、道具も揃い、子供達からお年寄りまでが楽しめるスポーツになっていく。

小野寺亮二さん 小野寺さんが選手からコーチとして若手の育成に関わっていったのは、現在「北海道銀行フォルティウス」で選手として活躍する娘さんの佳歩さんも所属していた「常呂中学校ロビンズ」の指導から。その頃の小野寺コーチは、自身も選手ということもありとにかくガンガン厳しく指導していたそうだが、その調子で社会人チーム「LS北見」でもきつい言葉で一方的な指示命令を続けていたところ、ついに彼女達は「そんなに怒らないでください。自分達に考えさせて」とコーチに直談判。「そうか、そういうものなのか」と思ってそれからはやり方を変えましたと反省を込めて素直に語る。
 小さな町に老いも若きも熱くなるスポーツが生まれ、みんなが手探りでその存在を育ててきたカーリングというスポーツ。選手、コーチ、関係者、町の人たち・・・ほとんどが顔見知りの中でいろいろな切磋琢磨や軌道修正があったのだろうなと、その道のりを一つのドラマのように想像してみたのだった。

 「LS北見」は、チーム名の「ロコ(常呂っ子)・ソラーレ(太陽)」のように、「選手達はほんとうに明るいですよ」と小野寺さん。そして、日々のフィジカルなトレーニングにも手を抜かないところが凄く、体幹を鍛え、走り込み、体力を付けるという体作りを続けたからこそ、今回の世界での準優勝に結び付いたのだと選手達の意志の強さに労いを込めて語る。その表情は、コーチというよりまるで彼女達の親戚のおじさんのようなあったかさ。幼い頃の自分を知っている人に対しては時として反発心も感じることもあったりするだろうが、いいところをわかって引き出して貰えるサポートは何よりも心強いものだろう。
 地方は大変な時代と言われている。少子高齢化、人口減少、第一次産業の存続の難しさ・・・。小野寺さんも北見市と常呂町の合併後は、子供達が市中心部の学校に進学するケースも増え、若者減少で第一次産業の担い手をどうするかという問題も深刻ですと、小さな町に突きつけられた課題も話されていた。
 スポーツが町の課題をすべて解消してくれるほど簡単な事ではないと思うが、大人達が熱心にカーリングに取り組んでいるのを子供の頃から見聞きし、オリンピック毎に応援し、しかも、小さい時に教わったという体験はけっして小さくないと思う。
 一度故郷を出てもまた帰って来たくなるような何か熱いものを地域に定着させるということの大切さ。そのために欠かせないのは、大人が明るく、楽しく、真剣に取り組む心意気。
 スポーツ文化で人を育てる常呂町のそんな気概は今後も益々次の世代の子達に染みこんでいくのではと感じた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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