6月12日放送

蒼野甘夏さん 「伊藤若冲はなぜあんなに何羽もの鶏を描いたのでしょう?」
 今、改めて注目が集まる江戸時代の絵師・伊藤若冲。展覧会を観て来たという「ほっかいどう元気びと」のゲストに、収録後、あのエネルギーの源を尋ねてみた。
 目の前の彼女は、おっとりした雰囲気であっさりと、「鶏、好きだったんじゃないですか?動いている鶏の姿かたちに興味があったんじゃないでしょうか」と単純明快な答え。
 え?好き?興味…?そ、そんなんでいいんですか?
 「いいと思います。若冲の絵を見ると、雄鳥の尻尾の形がほぼ同じ形なんです。自分がすっごく気に入っているものに対して、『これ見て!かっこいいでしょう!』という描き方だった。ひたすらそれを描きたかったんじゃないでしょうかね」
 へぇ~、そんなに鶏が好きなんだ~・・・その姿を描きたかったんだね~と純粋に思えれば、なんだか美術作品鑑賞の敷居はぐんと低くなるような気がする。
 「それでいいんです。絵を描く者として、そんなに深いことばかりを考えてはいないので」
 そう笑うのは、札幌在住の日本画家 蒼野甘夏さん 43歳。道外での個展も多く、日本画の伝統的な材料や技法を踏まえながらも斬新な発想や現代風のタッチで人気を集めている。北海道女子短期大学工芸美術科でグラフィックデザインを学び、一度公務員として働いた後、やはりやりたいことをやらなければと30歳から日本画を学び、作品を発表。これまでに数々の賞も受賞している。

 「日本画」とは、明治以降に西洋から伝えられた油彩画と区別するために、日本画の伝統的な材料や技法を用いて描かれたものをそう呼ぶが、そもそもは日本の伝統絵画を総称した呼び方でもある・・・など解釈はいろいろ複雑らしいので、インタビューの始めにその一般的には漠としている「日本画の定義」から訊いてみる。
 蒼野さんの答えは、「一般的には、岩絵の具と膠(にかわ)を使って描かれた絵画が日本画ですよとお答えするようにしています」。絵の具は天然の鉱物から作られたもの。黄土などの土やラピスラズリといった半貴石、または、海の中の珊瑚や真珠など自然の素材。画材は昔は絹が多かったが現在では和紙に描かれることが多くなっている、と。
 その上で、「蒼野甘夏」としての捉え方を伺うと、その基本を元に新しい画材を取り入れたり、膠ではなく人工の樹脂なども用いたりしているとのこと。そして、描いているのは「普通の人とか動植物。珍しいものは描いていません」。とは言うものの、これまでのモチーフには、女性などの人物画に混じって、目には見えない天狗や妖怪がテーマになっていたり、鮫に乗った斬新な女性の姿を描いたりしたものもある。私の中の「普通」の日本画の概念、「芍薬の花」だの「鶯」だのを飛び越えて洒落たデザイン画のようにも見えるので、絵にどんな思いを込めているのかも訊いてみた。蒼野さんは、「日本画の特徴は絵肌の美しさ。きらきらっとした感じが上品に見える。私としては、見ていてちょっといい気分になれるもの、楽しいもの、女性ならその美しさを描きたいと思っています」と言い、目指すところは「住居の中で楽しむ絵画」。基本的には家の中でちょっと目に入って心地よい気分になれるものを描きたいと続ける。
 目で見たそのものだけでなく、目には見えないものも描くという着想はどういうところから来るのでしょうと問い掛けると、鮫に乗った女性の絵「escualo(エスクアロ)」についてこう語ってくれる。
 「あれを描いた時には、先に音楽がありました」
 ピアソラの「エスクアロ」という音楽にライブで出会って感動し、これを絵に出来ないかと発想が始まったのだという。曲調を絵にしたら「ああなった」と。ピアソラについて調べてみると、ピアソラの趣味は「鮫釣り」。その時に「鮫って釣っていいんだ」とびっくり。ほんものの鮫をモチーフに音楽を作ったのなら、私も鮫を描いてみようと思ったのだそう。さらにあれこれ調べると、北海道の木古内町に鮫が現れた伝説に行き当たる。自然災害で危機が訪れた時に女性が鮫に乗って現れたという言い伝えに触発され、「ピアソラと木古内町の伝説をミックスして描きました」と楽しそうに説明してくれる。
 目に見えないものを描くのも、「そこにそんなものがいたら楽しいだろうな」という発想。他にも都会のビル風の中に天狗をイメージしたものがあったり、枕から「付喪神(つくもがみ)」という道具に宿る妖怪が出てくる絵などもあったりして、「甘夏風」世界観はとても自由でユニーク。チャーミングであり、どこかしら古い日本を感じさせるところも魅力なのだ。

蒼野甘夏さん 生まれ育った新篠津村の風景はどう影響を与えたのだろう。蒼野さんは、遊ぶものが何も無い田舎で育ったので子供の頃はいつも野原で遊んでいたと言い、時間によって刻々と変化していく空の色とか、季節によって変わっていく植物の姿、虫の声など五感から得た感覚はもしかしたら絵画にも影響しているかもしれないと話す。
 「絵に臨む時もいろんなことを試してみて、上手くいったものを自分の中で拾い上げていくわけですが、もしかしたら誰も発見していないものがあるかもしれないというところがある。見つけたものを取りあえず持ってきて試してみようというのは、何も無い自然の中で育ってきたというところから来ているかもしれませんね」
 30歳を過ぎてから、北海道の日本画家・伴 百合野さんに師事して日本画の才能を開花させてきた蒼野さん。聞けば、最初の3年ほどは自分の思うようにはなかなか上手く描けず、試行錯誤の連続だったそうだが、その「いろんなことを試す」ため、自分に負荷をかけて数を描きこんでいったところ、コツのようなものが掴めてきたのだそうだ。
 その「なかなか上手く描けずに試行錯誤を重ね、失敗してはまた描き直す」時の気持ちは、「楽しかったです。簡単には上手に描けないけれども、ひとつひとつ見つけていくということ。発見し、繰り返していくうちにちょっとずつ上手く出来るようになっていくということは、喜びしかなかったです」。失敗にはどこかに原因があるはずと図書館で調べ、展覧会に行っては年下の作家さんでもつかまえて質問し、納得のいく絵にしていく。繰り返すことで自分の絵が変わっていくその高揚感が描き手の冥利なのだとじんわり伝わってきた。

 インタビュー後、前述の江戸時代の絵師・伊藤若冲のことをさらに調べると、蒼野さんが「とてもこだわりのある人」と表現したように、ひたすら模写を続けた絵師だったよう。「絵から学ぶだけでは絵を越えることができない」と、目の前の実物を描くために数十羽の鶏を飼い始め、生態をひたすら観察。生き物の内側に「神気」(神の気)が潜んでいると考えた若冲は1年をかけてようやくその「神気」を捉え、その時初めて絵筆が動き出したという。そうして鶏の写生を2年以上続けることで、鶏だけでなく自然の草木や岩にまで「神気」が見え、あらゆる生き物を自在に描けるようになった・・・そんなふうに強いこだわりと繰り返しの末に自分の描きたいものが見えていった人だったと、人物評などには書かれていた。
 「千載具眼の徒を俟つ(せんざい ぐがんの とを まつ)」は、若冲が書き遺した言葉。「私の絵を理解してくれる人が現れるまで千年待つ」という意味らしい。
 どの時代でも、新進気鋭と言われる人達はそんな気概を大切にする人達のことなのだろう。面白い職業だなと触発を受けつつ・・・それを鑑賞するこちら側としては、何はともあれ、作家の「私はこう描きたいんだ!」という進取な気骨を感じ取れるような目と心を持っていたいと思う。北海道が育んだ日本画家・蒼野甘夏さんと話し終えて、そんなことを感じた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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