4月17日放送

 私がカルチャーセンターなどで行っている「話す力を鍛える」講座も早や十余年。その学びの向かうところは、「立て板に水」といった一見上手そうな話し方をテクニックで身に付けるというより、それぞれが内に持つ力や個々の「より良い資源」を引き出しながら、その人自身が「どうなっていきたいのか?どう生きていきたいのか?」という自分軸の再発見から自己表現に繋げていく、どちらかというと「人づくり」を基盤にした「話し方」だ。
 人の中にはそれぞれ力や魅力があるが、その宝に自分で気づくことは案外難しい。自信が持てないと言う人の多くは、知らず知らずに自分自身を卑下したり否定したりする言葉を使ってしまう。「私には能力が無い」「何をやってもダメ」「自分には無理」・・・。自分でそう決めつけているだけなのにそういう自己として確定させているのがほんとうに勿体ない。
 私は、個々が内に持つ力を自分で引き出していくひとつの方法として、「自分自身や他人を否定する言葉をやめてみよう」と提案する。言葉を意識したところから人間力は磨かれ、また、人間力を高めようと意識することで言葉はより良く変わっていく。意識と言葉の相互作用によって「人生そのもの」がより良く変っていくのだ。「ダメだ、無理だ、出来ない、嫌い、めんどう、疲れた、どうせ・・・」などと口にしていたら、1日1回でも1年で365回。複数の否定語を発していれば、マイナスの威力は何倍何十倍にもなる。そんな言葉の呪いを延々とかけ続けていたら前に踏み出す勇気も湧いてこないし、他人へもそんな否定の言葉を日々使っていたら人は次第に離れていく。誰のせいでもない、すべて「自分の言葉が未来を作る」し、「幸せな心も自分が発する言葉の結果」なのだ。

日原和夫さん 「ほっかいどう元気びと」でお話を伺っていると、紆余曲折ありながらも何かに取り組み、何かを為し遂げてきた人の多くは、「言葉の力」で自分を支えている人がとても多いのを感じる。今回もそんなおひとり、大きな失敗を経験した後で、気持ちを切り替える言葉を自分自身に掛け続けて来たと語る栗山町のメロン農家 日原和夫さん(78歳)。「日原メロン」を北海道ブランドとして定着させてきたその思いを伺った。
 日原さんが北海道に一家で渡ってきたのは、終戦の年の7月。東京の戦火を逃れるための父親の決断だったそうだが、戦後の混乱の中で東京に戻ろうにも戻れず、それまで会社勤めだった父親は栗山町で生きることを決めて山林を切り開き、農業を始めたのだという。
 その後、定時制高校で農業を学んだ日原さんもやはり跡を継いで同じその地で農業の可能性に挑戦。試行錯誤の末に、親が始めた酪農や周りの人達が様々な品種を試していた畑作ではなく、メロン栽培に活路を見い出したのだという。一品目に特化させることで差別化が図れるという狙い。とは言え、今ならそんな方法は当たり前のようになってはいるが、当時は殆どが米農家。メロンなんてと反対の声も多かったそうだ。
 そして、栽培だけでは限界があるからと、販路の確保のために東京まで出向いたり、ダイレクトメール作戦を展開したりと、自ら汗をかいて販売先も開拓。一個一個を美味しくという栽培への情熱も相まって、「日原メロン」人気は知る人ぞ知る存在になっていったという。

 日原さん、長年の取り組みだけに思いが次から次に溢れてきてお話は止まらない。その口調は、ほんとうにメロン作りが好きで、仕事が好きで、悩みなど無いといったカラカラとした雰囲気で周りの空気を明るくし、その全く変わらぬ口調で失敗の経験も語り出す。
 メロン栽培を沖縄やニュージーランドでも成功させようと果敢にチャレンジしたまでは良かったが、海外では言葉の壁に加えて、栽培に関する機材や防除などの整備が時期尚早で定着せず、日原さん曰く「大失敗」。大借金をこさえて、長男にもひどく迷惑をかけたと言う。しかし、間髪入れず、また笑いながらこう続ける。
 「でも、そんなことがあって借金を作ってしまったものだから、普通のメロン栽培では到底返していけなくて、1年に2度栽培する方法を編み出したのさ!」
 夏のメロンに加えて、秋のメロン。大失敗のおかげで収穫量も倍増し、時期によって味や香りが違うメロンを出荷出来ることに繋がったと豪快に笑う。

日原和夫さん 収録後の「あなたの宝ものは何ですか?」の聞き取りの中でこれは話してくれたことなのだが、ここまでの道程では、崖っぷちまで追いつめられ心が病みそうな時もあったのだとか。
 「日原メロンを長く続けてこられた中で大切にしてきたことは?」という問いに対し、日原さんは、大事なのは日々の習慣だったと、こんなことを語り出す。
 「黙っているとどんどん消極的になってしまい、失敗したことばかりが頭に浮かんできた。夜も気持ちが暗くなって眠れなくなる。それでも何とかしなくてはならない。だから、自分にいっつも言い聞かせてきた。『これからは良くなるんだ!良くなるんだ!』って」
 日々、自分に言葉を掛け続け、暗くなりそうな気持ちを切り替えてきた、いや、切り替えなきゃやって来られなかったと話す日原さん、「人は習慣の動物でしょ?朝したことをまた次の日もする。だから、いい習慣を付けることが大切なんだ」と言葉に力を込める。そうやって、毎日毎日、今年もいいメロンを作るぞと夢を持ち続けてきたことが「宝もの」なのだと、四半世紀前の苦渋を思い起こしながら、かけがえのない心の財産を掘り起こす。

 自分の代で始めたメロン栽培、紆余曲折がありながらも諦めなかった理由は、「ここでやめてしまったら、何のために父親が家族を連れて北海道に渡り農業を始めたのか、その意味も無くなってしまうから」と答えた日原さん。その強い精神力のバックボーンには、戦後、新天地で山林を切り開いた親世代の思いがあったからなのだということも伝わってきた。
 「何のために北海道に来たのか」という言葉も、自分への問いかけの言葉となって頭の中で唱え続けることで、原動力を支える魔法の言葉になっていったに違いない。
 そして、尚も続ける。
 「周りは、もう78歳で年も年だし、そろそろ仕事を減らしたらと言う。それもそうかと思い、今年は規模を半分にしようかと考えてみたんだが、その途端に寂しい気持ちになった。仕事が好きでたまらないから、やっぱり減らすことをやめたんだよ」
 メロン作りがそんなに好きなのですからそれもいいかもしれませんね・・・と返す間もなく、日原さんはこう言い放つ。
 「ハウスを手放す人がいたから、今年はそれも譲り受けてさ、さらに10棟増やすんだ!」
 周りの「年なんだから、減らしたら・・・」という言葉を右から左に受け流し、「今年もまだまだ個数を増やすよ!」と大宣言。
 メロンに自分の名前を冠して45年。きっと、年齢が79歳でも、80歳でも、自分に「もっと良くなる」と言い続ける以上、そのポジティブワードの魔力できっと元気に美味しいメロンを作り続けていかれるのだろう。

 夢を現実にするかしないかは、やはり「自分」から発するものが鍵となる。「言葉の力」を信じてみよう。

(インタビュー後記 村井裕子)

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