3月13日放送

 時々、ふと、故郷の「甘いもの」を思い出す。幼い頃の記憶は思いの外鮮明で、味わった甘みの度合いや歯ごたえなどもありありと五感に甦ってくる。岩手県は盛岡市というこぢんまりした町で生まれ育った私にとって、さもないものほど思い出深い。例えば、おばあさんがひとり手作りしていた近所の小さな餅菓子屋さん。行司の軍配のような形の「お茶餅」にからめてある胡桃だれの甘じょっぱさや、囓ると中から白蜜がじゅわっと口の中に滴る梅型の餅菓子の幸せな甘味。例えば、焼きたてコッペパンの切れ目に四角いバットからピーナッツクリームやジャムを塗ってくれるパン屋さんで、どれに決めようか迷う瞬間の嬉しいドキドキ感。例えば、生クリームが出回る前のケーキ屋さん。クリスマスに初めて買って貰ったバタークリームのこっくりした甘さと上に乗ったゼリーの苺の歯ごたえ。・・・それらのお店は、もうすでに無くなって久しい。同じようなものを見つけて食べてみては「あの味」と違うなぁとちょっとがっかりする。似ているものや量産されたものはあちこちにあるし、今の方が断然美味しいものは多いのに、やはり心のどこかで「幻のあの味」を追っている。
 そうして、そういう地域に愛される店先ではいつも近所のおばちゃん達が楽しそうに立ち話をしていたものだ。「初孫が生まれた」とか、「新しいスーパーに行ってみた」とか。
 あそこに行けばお馴染みの味があり、店の人や顔見知りの誰かと話が出来る・・・そんなお店が「変わらずそこにある」という町は幸せだ。今回の「ほっかいどう元気びと」でそんなことを感じた。

八木明美さん 小樽からスタジオにやって来てくれたのは、最も古い洋菓子と喫茶のお店として市民から親しまれている「米華堂」の八木明美さん 52歳。三代目のご主人と結婚して22年。変わらぬ味を大切に守り、そして、お馴染みさん達が気軽に立ち寄れる場を保ち続けている。
 「米華堂」は、九州は佐賀出身の初代が東京の外国人パティシエの元で修行を積み、洋菓子という文化がまだ定着していなかった昭和3年に夢を抱いて小樽に店を構えたのが始まり。その後、二代目の清昭さんが継ぎ、現店主である三代目の浩司(ひろし)さんが神戸で修行した後に小樽に戻って、初代が考案した自慢のケーキを作っている。
 例えば、ニッカウヰスキーの竹鶴政孝・リタ夫妻が好きだったというアップルパイや、「米華堂」独自の「モンブラン」として親しまれているチョコレートスポンジと生クリームの三角形のケーキ。それらを楽しみに来てくださるお客様のために種類と味を変えないというのが三代目のポリシー。それに加えて季節のケーキも提供し、新しさも加えているという。
 その継続の力は凄いと尊敬する明美さんは、ケーキの販売と喫茶の担当。夜の時間は浩司さんの母親も喫茶の仕事を担うという家族で支える老舗だ。

八木明美さん お話を伺っていくと、地方都市の地域の中で、今「お菓子と喫茶」を提供する場がどんな存在なのかが明らかになっていく。一昔前は、小樽商大の学生さん達やOBの人達で賑わったそうだが、今、若者達は「カフェ」のチェーン店に行く人も多い。どちらかと言えば、お年寄り達がコーヒーを飲みながら話をしていったり、介護世代の人達がほっと一息付くために立ち寄ったりと、集まる世代も自ずと変わってきたという。現代ならではのコミュニティの場になっているのだ。近くの高齢者施設から1杯のコーヒーを楽しみに来る人や、「手術することになったから次いつ会えるかどうか分からないけど、また顔見に来るから」と明美さんに語って入院する人、娘のように思ってくれている人など、長いつきあいのお年寄り達に可愛がって貰えて有り難いと明美さんは言う。「子供には話していないの・・・」と打ち明け話をされることもあるのだとか。独り身も少なくない地方の暮らしに、お年寄りがぽろりぽろりと自分のことを話せる場というのは貴重な存在なのだろうと思う。
 そして、明美さん自身も実の父親の介護で悩んだ日々の中で気持ちを支えて貰ったのは、同じ経験をしているお客さん達との会話だったという。お互いのやりとりの中で交わされるさりげない励ましの言葉。その関わりにどれだけ救われたかしれないと言い、同じような体験で辛い思いをしている人の話を今度は私が聞いてあげたいと続ける。
 家族以外の他人同士が緩やかに繋がれる温かい場所。「米華堂」は、美味しいお菓子とともに、長年、地域の中でそういう「宝もの」を繋いできたのだということが明美さんが語る日常から伝わってきた。きっとそれは、「そうすべき」と思ってしたことではなく、初代、先代、現店主へと大切な味や大事な思いが受け渡される中、時代の変化に併せてそういう存在感や役割が深まっていったのだろうとも感じられた。

 収録の日はお店が定休日ということもあり、ご夫婦でスタジオに来てくださった八木さん夫妻。収録後の「宝ものは何ですか?」の聞き取りには浩司さんにも加わっていただく。
 明美さんが浩司さんと目を合わせて、「宝ものは娘です」と言い、なぜならばを紐解いていくうちに八木さんご夫妻が抱えてきたものやそこから大切にしてきたことが明らかになっていく。娘さんは、子供を持てないのではと体調に悩んでいた明美さんが不妊治療をして授かった宝ものであり、その成長がふたりにとっての何よりの励みだったということ。そして、誕生から間もなく浩司さんが癌になり、命も奪われるかもしれないと覚悟をしたことがあったということ。運良く快復出来たが、その後も明美さんが事故や病気に見舞われ、まずは娘の成人式を目標に頑張って生きようという言葉を交わし合いながらやってきたということ。今年の1月に成人式を迎えて思いが叶い、次は結婚を楽しみにしているということ。
 明美さんは、「辛いことも沢山あったけど、当たり前のことが幸せなのだと気づいたことが今の生き方の元になっているかもしれません」と話す。いろんな経験をしてきたからこそ、お客さんの話にも共感や共有が出来る。ひとつひとつが無駄ではないと気づかされますと。
 人それぞれの人生はけっして甘いことばかりではないからこそ、一瞬のうちに人を幸せにするケーキを提供し続けている・・・ご夫妻のストーリーからはそんなことが感じられた。

 再び、幼い頃の甘い記憶を辿ってみる。なぜ、こんなに鮮明にひとつひとつのシーンが浮かんでくるのか。明美さんの、「甘いものは人を笑顔にする。幸せのお手伝いをさせていただいる」という言葉を聞いて、「ああそうなんだ・・・」と気がついた。甘く楽しい思い出が幾つも残っている私は幸せな子供だったのだ。贅沢などしないつつましい生活だったが、あっちの美味しいものやこっちの美味しいものを「食べさせたい」と思われて、そうしてそれを味わい育ったのだ。親が子に「そうしてあげたい」という思いのエネルギーはとても強い。それは何でもないことのように思っていたが、その後の自分を支える柱のようなものだったと、今になって気づかされる。
 食べ物屋さんの担っているものは偉大だ。時空をも超えて記憶の断片を連れてくる。
 小樽の「米華堂」さんの歴史も、きっと、誰かの幸せの気づきを掘り起こし続けているに違いない。

(インタビュー後記 村井裕子)

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