2月14日放送

 人がより良く生きていくために大切なものは何だろう。いろいろある中で、「恩を返す」ということは外せないだろう。目には見えない抽象的なものだが、「返そう」と思うところには沢山のエネルギーが生まれそうだし、それがそのままいいエネルギーとなってその人自身に還ってきそうである。身近なところでは親への恩、指導してくれた先生、励ましてくれた人達、力を引き出してくれた学校や技能を高めさせて貰った会社。同心円を少しずつ広げていくと、地域や故郷、この国、我が地球・・・と、無限に恩を返す対象は広がっていく。私達を感動させてくれるスポーツの世界でも、ほんとうに心から「○○界に恩を返したい」と思って努力し続ける人は一流のアスリートとして力を発揮していくし、その後の人生も着実に自分のものにしていく。
 人の心の奥底にある「恩」を湛えている泉。そこに水路を付けて外に溢れさせるのか、いつのまにか漏れて枯渇してカラカラになっているかの違いは、「有り難い」と思う気持ちの「基線(基準の線)」が人それぞれ違うからなのではないか。同じ事柄に対して「あれもこれも有り難い」と幸福感で受け取りそれをお返ししたいと思うのか、「あれもこれも足りない」と卑屈になって尚も得ようとするのか、自己の内側のボーダーラインの違い。
 「ほっかいどう元気びと」でおひとりおひとりにお話を伺っていると、はっきりと言葉で「恩返しをしたい」と話される方もいるし、言わずとも取り組んでいることがそのまま「恩返し」に繋がっている方もいる。そのやり方はひとつではないし、いろんな方法があるのも面白い。でも、どんな方法でも、大きい小さいにかかわらず、実際に行動に移しているのを見聞きするのはとても気持ちのいいものだと気づかされる。

竹田雄基さん 今回のゲストは、「札幌市藤野リュージュ競技場」のコース造りを手がける「札幌リュージュ連盟」常任理事の竹田雄基さん 44歳。毎年シーズン始めに競技者の安全を第一に氷のコースを整備し、オリンピック種目でもあるリュージュというスポーツを下支えしているおひとりだ。
 札幌市南区にある「藤野リュージュ競技場」は、1972年の札幌オリンピックの際に手稲山コースの予備コースとして造られたものだが、手稲山コースは終了後に解体され、その後北海道での大会はこの藤野のコースで続けられている。日本には他に長野のコースがあるだけだが、長野は電動式なのに対し札幌の藤野は人が氷のブロックを運んで貼り付けるという手作業。竹田さん達コース造成職人達が12月に天候をにらみながら勘と技術で完成させるのだという。削りひとつで滑りが微妙に変わってしまうため職人の経験値が欠かせないそうで、2003年からこの道に入ったという竹田さんも、その年その年でちょっとした工夫をコース造りに込めながら取り組み、それが競技者に伝わった時に醍醐味を感じると話す。マニュアルでは出来ない、人の思いと技術がそこには生かされているのだ。
 お話を伺って初めて知ることが多いリュージュ。竹田さんがこのどちらかというとマイナーなウインタースポーツと親しむようになったのは、小学校3年生の時。運動嫌いで部屋の中で工作ばかりしていたという竹田さんだが、その頃、リュージュコース造りのアルバイトをしていた母親に勧められて「リュージュ少年団」へ参加したのがきっかけだったという。聞けば、南区の石山地区には「石を切り出す職人」が多くいたため、氷のブロックを貼り付けて造るリュージュのコースにもそういう人達が最初は関わり、同時に農家の女性達が冬場のアルバイトとして手伝いに行くことが多かったそう。その地域では、子供達も小さいときからリュージュ遊びが盛んで少年団も出来、竹田さんも行ってみてからわかったそうだが、同じクラスの子や同級生も大勢来ていたので続けられたのだという。運動は苦手だが、じっと考えることは得意だったという竹田さん、「リュージュというスポーツはただソリで仰向けになって滑ってくるだけではなく、僅かな首の傾け方など身体の微妙な動きによってタイムも変わってくる。そこがとても面白かった」と、知らないことだらけのリュージュの奥深さを明快に語ってくれる。
 その後、競技生活は就職のために引退したという竹田さんだが、会社を辞めてから再び「手伝ってくれないか」と声を掛けられ、再びリュージュの現場に戻ってくることになる。造園業をご自身で営んでいたため、夏場は造園、そして冬場はリュージュの競技運営の手伝いとコース造り職人として本格的に関われたというのも何かの縁なのだろう。
 遊びが多様化し他のウインタースポーツ人口が伸び悩んでいるのと同様、リュージュを取り巻く状況もけっしていいとは言えず、コース造成の職人が時代と共に減り、以前と比べ温暖化の影響もあって手作業の難しさが増しているという現実は厳しいものもある。だが、竹田さんの話を聞いていると、リュージュというスポーツ文化を守っていこうという人達の思いがやはりその存続を支えているのだということが伝わってくる。それは、競技場を抱える地域の人達の関わりであり、昔楽しませて貰ったという経験から大人になって競技運営に携わるようになったOB達の手助けであり、コースは何より安全第一でと技を駆使する長年の職人の気概もそう。これまで、オリンピックの時に映像で見るだけというリュージュというスポーツだったが、その周りには様々に支える人がいて、ひとりひとりにもストーリーがあるのだと改めて感じさせていただいた。

竹田雄基さん 収録後の「あなたの宝ものは何ですか?」の恒例の問いかけに、竹田さんはこんな答えをしてくれる。
 「他の人に無いのは、親子でリュージュのコース造りに関わっているので、シーズン中は毎日親と顔を合わせて仕事をしている。その時間が貴重ですね」
 実は父親にも10年ほど前に手伝ってほしいと声を掛けたんです・・・と竹田さん。その時点ではすでにアルバイトを辞めてしばらく経っていた母親にも「もう一度戻ってきてほしい」と声を掛けて、現在親子3人で藤野のリュージュコースに携わっているのだと言う。コース造成は力仕事がメインだが、濡れた大量のバケツを効率よく乾かすなど女性の細やかな気配りや段取り力は欠かせないそうで、今は唯ひとりのベテラン女性作業員として慕われている70代の母親は職人達に「おかあさん」と呼ばれていると嬉しそうに語ってくれた。
 竹田さんからにじみ出るのは、大小沢山の「恩返し」の思い・・・子供の頃、家に籠もってばかりだった自分の力を引き出して貰えたという恩やそこから繋がっていった人への恩。安全なコースのおかげで競技が出来たという思いが今、形を変えて競技者のために安全なコースを造らなければという役割感になっているのも「恩返し」だろう。
 そして、高齢の親に「手伝ってほしい、あなたの力が必要」と声を掛けて、働く生きがいをプレゼントすることも、素敵な「恩返し」だなあとしみじみ思う。
 「親と一緒に働く時間が貴重」と語る言葉の何とも優しい響きが、心にしみた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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