2月7日放送

 今年は夏目漱石が亡くなって100年になる。本棚から作品集を取り出して改めて読んでみると、自分が年を重ねたせいなのか、以前は読み流した表現が幾つも胸に響いてくる。特に、大正3年に学習院の学生に向けて行われた講演録「私の個人主義」は、100年などという時間の隔たりなどそこには存在しないような、まさしく「今でも」、いや「今だからこそ」必要なのではと思えてくるような普遍的な考えに改めて感動を覚えた。
 明治維新以降の日本人は大切なものを失ってしまったという論調は小説の中にもちりばめられているが、ここでも「外国の権威にただ盲従するな、疑え」と警告し、自分の文学の概念は自分で作り上げるものとして、「自己本位」という言葉を使って自己の確立の大切さを述べ、自分勝手ではない自己責任と義務を伴い、他人の個性をも尊重しなければならないという「個人主義」の定義を説いている。特に、自力で道を切り開くということに関するこんな表現が印象的だ。
 ・・・他の後に従って、それで満足して、在来の古い道を進んで行く人も悪いとはけっして申しませんが(自己に安心と自信がしっかり付随しているならば、)しかしもしそうでないとしたならば、どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てるところまで進んで行かなくってはいけないでしょう。・・もし掘りあてることができなかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。
 ・・・ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。・・もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるのならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘り当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。
 漱石は、「それが将来あなたがたの幸福の一つになるかもしれないと思うとだまっていられなくなる」と力説している。「なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生まれた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう」と。(「ちくま日本文学全集」より引用)

山田康博さん 自己の個性を発展させるために自分の鶴嘴を持って、「ああここだという掘り当てるところまで行ったらよろしかろう」という表現のなんとビジュアル的なこと。今回の「ほっかいどう元気びと」のゲストとお話をしていて、この人も漱石が言うところの自分の個性を最大限に用い人生を掘り進めているのだと「鶴嘴」イメージが私の中で浮かんでいた。
 職業は「マジック・コンシェルジュ」。札幌で活動するスペンサートリックスこと山田康博さん 35歳。「マジック・コンシェルジュ」というのは、山田さんオリジナルの肩書きで、ただマジックショーをするマジシャンではなく、マジックを通してお客様の要望にオーダーメイドで応えるイベントのプロデュースをしたり、DVDのリリースなども手がけるクリエーターの活動をしたり、潜在意識セラピストとしてセミナーをするなど、どちらかと言えばビジネスパーソンなのだと説明してくれる。
 「初めまして」の名刺交換で、あたかもスマホで印刷して出てくるようなマジックで1枚の名刺を取り出して場の空気を笑いで包み、放送では、リスナーに楽しんで貰えるような「メンタリズム」を使ったマジックも披露。(私自身、心の中で思っていた言葉が答えとして出され、一体どうやって「誘導」されたのかびっくり!)プロの手際と語り口には大いに楽しませていただいたが、このスペンサートリックスさんこと山田康博さん、2015年の3月までは北見の信用金庫に勤務するサラリーマン。小学校1年の時にデパートで手品に出会ってとりこになり、大学卒業後に就職してからも本業の営業の日々に加え、声がかかるとあちこちへ行って趣味の域でマジックを披露していたのだそう。
 なぜ、12年勤めた仕事を辞めて、マジック1本で独立する道を選んだのか?
 山田さんは、お世話になった上司の方の突然の訃報に接し、お葬式の席で心境がそれまでとガラリ変わったという経験を教えてくれる。あんなに元気だった人があっけなく逝ってしまうのなら、自分だっていつ死んでもおかしくない。自分で今ほんとうは何をやりたいのかと心の声を聞いたら、「マジックをやりたい」と内側からの答えが。そうして、「死ぬ時に後悔だけは絶対したくない」とその時強く思ったのだそう。
 「カチャ・・」とスイッチが入るような感覚だったのだろうと思う。或いは、自分の「鶴嘴」でようやく自分の行くべき道を掘り当てた瞬間か。「ずっとやっていても飽きない、ワクワクするのはやっぱりマジック」と自分の行く道を心に決めたら、もうまごまごしてはいられない。季節的なショーだけではない通年のビジネスモデルを考え始め、親を説得させるための企画書を何枚も作って準備を始めたのだそう。

山田康博さん マジックを生業としている人は皆そうなのだろうが、「人の喜ぶ顔が見たい。人をハッピーにしたい」という強い思いが山田さんの原動力だ。「仕事というよりも、マジックは山田さんの人生すべて・・・そして使命ですね」と問いかけると、まさにそうなのだと頷いて、ビジネスの部分と社会貢献の部分の両方に力を注いでいくことが自分自身が果たしたいこととなのだと根底にある思いを語ってくれる。ビジネスで得た出演料などの一部を使い、小児病棟や心身障がい児施設、高齢者施設などでボランティアのショーを続け、夢は海外進出。自分の中の「マジックという資産」を使って世界中で社会貢献をしてきたいのだと、自分の内側を掘って、掘って、堀り当てたのであろう一生後悔しない「人生モデル」を言葉にしてくれた。

 前述の漱石の「個人主義」。現代に生きる私がいいなあと思ったのは、権力や金の力に対して決然としているところだ。こんな表現がある。
 ・・・自分の幸福のために自分の個性を発展して行くと同時に、その自由を他にも与えなければすまん事だと私は信じて疑わないのです。
 漱石は、我々は、自分の個性を活用していくのは勿論のこと、他人がそうするのを妨害してはならないと言う。個性を発展させるということはのちに他人のそれを妨害しうる地位に立つ場合も多くなる。そうやって権力や金力を用い得る人がたくさんいる。特にお金は、人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしい。だから、個性を発展させようとする人は、人格を伴わなければならないのだ、と。
 ほんとうの「個人主義」の向かうところを噛みしめてみる意味は大きい。自分の中にある力・個性をフルに使っているか、それを掘り当てる努力をしているか、地位に恋々として権力を振りかざしていないか、金の力にものを言わせていないか、人格を磨くことを疎かにしてはいないか・・・。
 「個性=資産」は人それぞれだが、それを発展させていけば人を幸せに出来るし、何と言っても自分を幸せにすることが出来るのだと、今回のインタビューを終えてそんなことを思った。

(インタビュー後記 村井裕子)

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