12月13日放送

 札幌の街に住んですでに40年近くになり、テレビ・ラジオの取材でもあちこち訪れ多くの方々に出会わせていただいたが、まだまだ知らないことも山ほどある。
 例えば、グランドオープンして10年になる札幌市東区のモエレ沼公園・・・故イサム・ノグチ氏の設計によるアート性に溢れたこの公園に「学芸員」の方がいらっしゃるということ。「ほっかいどう元気びと」でインタビューすることになり遅ればせながら知った。
 学芸員というのは、博物館に配置されている日本の博物館法に定められた専門的職員のこと。博物館の中には美術館・天文台・科学館・動物園・水族館・植物園なども含まれるというが、公園というのはあまり例が無い。モエレ沼公園では、全体の景観は勿論、イサム・ノグチ氏の彫刻や遊具などが時の経過と共に老朽化して荒れてしまわないように適切に守るということと、イサム・ノグチ氏がその場所に込めた思いをきちんと引き継いでいくという遺志の継承のためだという。公園そのものが札幌市の大切なアート作品・・・だからこその学芸員。何を大切に日々仕事をしているのか、興味深くお話を聞かせていただいた。

宮井和美さん グランドオープンの2年前からモエレ沼公園のただ一人の学芸員として関わってきたというのが宮井和美さん 37歳。その毎日は、ガラスのピラミッド内での美術展や音楽イベントの企画、イサム・ノグチ関連の資料の収集・整理、広報、貸館の受け付け等々・・・日常の業務管理も含めて多岐に渡っているのが特徴ですと、まずは仕事内容を語ってくれる。また、公園内の景観上の管理も重要で、ここはゴミ処理場の跡に出来た公園なので時々地面が浮き上がり段差が出来たりするのを安全面と景観のバランスに気遣いながら整備の仕方を判断していますと、モエレ沼ならではの見守りの大事さを続ける。
 そう、モエレ沼は1979年から90年まで不燃ゴミの埋め立て地であり、市の公園化計画が持ち上がる中でイサム・ノグチ氏が設計を強く希望し誕生した場所。「人間が痛めつけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事です」と語ったと伝えられているだけあって、志が随所に感じられる公園だ。
 宮井さんが守っているのは、公園という形が見えるものと、込められた思いという目には見えないもの。目に見えないものを伝え続けていくということはやはり人としての感性が試されるに違いない。どんな方なのかを紐解いていくうちに、その大切な場所に関わる役割感と内に持つエネルギーが溢れてくる。

宮井和美さん 宮井さんは、子供の頃から絵を描いたりものを作ったりすることが大好きで、高校では美術部に所属し、大学も「金沢美術工芸大学」に進学。学校では美術史を専攻し、日本の仏像などについて学んだのだそうだが、教授の「昼ご飯代を節約してでも展覧会を見に行きなさい」という教えを守って各地のアートを見て歩くうちに現代アートに惹かれていったと言う。その“自由さ”や“同時代性”に興味を覚え、日本美術史から西洋美術史に転向し現代美術の論文を書いて卒業したのだそう。
 卒業後に北海道に戻って、美術館や北大などでアルバイトをしながら就職先を探していたところ、是非とも学芸員を置きたいとのモエレ沼公園計画の意向に添う形で、(財)札幌市公園緑化協会に就職。モエレ沼公園学芸員第一号として2003年からこの新しい取り組みに関わってきたのだそうだ。
 イサム・ノグチ氏の発想は、「地球を彫刻する」というダイナミックなもの。北海道だからこそ大地を自由にアートする設計が叶ったと言われるモエレ沼。宮井さんも、公園全体がひとつの彫刻作品になるように創られているということに価値があると力を込める。
 「勿論、大きなモエレ山やプレイマウンテンという古墳のような山などそれぞれに独立した施設として楽しんで貰いたいが、是非、全体を俯瞰してその価値を見てほしいし、それを伝え続けていきたいと思っています」と。
 美術を学ぶ途中で現代アートに惹かれていったとのことだが、この公園全体がまさに巨大現代アート。ワクワクしながら取り組む仕事は大変ながらもさぞ面白いのだろうということが、口調からも伝わってきた。
 そして、目に見えない思いを受け継いでいくための宮井さんの学芸員としてのさらなる役目は、イサム・ノグチ氏がアートに込めたその思いのエッセンスを現代の作家に伝え、そこから新しいアートの誕生をサポートしていくということ。時間が出来れば今もあちこちの展覧会や美術ギャラリーを回って作家達と話をする時間を大切にし、その作家達と美術展をする時にはコミュニケーションを大事にしてより良い作品を共に作っていくことを心掛けているという“守りながら生み出していく”役割も語ってくれた。
 モエレ沼公園は10年の歴史を刻んできたが、改めてお話を伺っていて、今こうやってひとりの彫刻家の思いが誇りを持って引き継がれ市民に愛され続けているのは、大地を彫刻するというユニークなアート性は勿論のこと、その壮大な夢に賛同し、繋いできた多くの人達の思いがあったからこそなのだと感じさせていただいた。

 このインタビューの数週間前、実際にモエレ沼公園を訪れてみた。みぞれが降り風が強い日だったのでガラスのピラミッド内をゆっくり散策。イサム・ノグチギャラリーの中の視聴覚システムでその思いやストーリーを紹介するVTRを見ているうちに、改めてイサム・ノグチの強い思いが胸に響いてきた。何より感じたのは、このユニークな彫刻家は、その大地の設計や配置する遊具を考えている時、大勢の子供が笑っているイメージを最も大事にしていたのではないだろうかということ。きっと、模型を作りながら自分でも笑顔になっていたに違いない。
 そして、大地そのものを彫刻と捉え、さらに地球そのものがアートであるという発想の奥には、争いの無い平和な地球への深い祈りがあったのではないか。
 宇宙からモエレ沼公園を眺めたとしたら、「宇宙人はびっくりするでしょうね!」と、宮井さんと声が合って思わず笑ってしまったが、宇宙人も笑顔になるような芸術性豊かな地球。戦争や紛争の火などひとつも見当たらないそんな笑顔に溢れる場所を、ふたつの祖国の間で引き裂かれそうになった経験を持つ芸術家は、心底夢見ていたに違いない。

 翻って2015年の今、現実の世界はどうだ。緊張状態が解消されるどころか、きな臭さがぶり返している。ひとりの芸術家の夢に改めて触れ、それに反するあまりに切ないここのところの世界の現実にやりきれない思いがどうしても拭えなかった。
 芸術を生み出す大きな意味のひとつは、やはり平和を問い続けていくということ。芸術を担うことは誰もが出来ることではないが、それを伝えていくことはひとりひとり出来ると改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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