11月22日放送

清水晶子さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、北海道に植物画の魅力を広める活動を続けてこられた網走市在住の清水晶子さん 75歳。「北海道植物画協会」の会長として25年。ご自身も植物画家として活躍しながら多くの愛好者達の支柱になってきた女性だ。
 収録の週にちょうど札幌で協会展が開かれているとのことでインタビュー前日に清水さんをお訪ねする。会員さん達の鮮やかな草花の絵の傍らでご挨拶をさせていただくと、清水さん、少し迷いのある口調でこんなふうに切り出される。
  「なぜ植物画を始めたかという理由ですが、実は今まで胸の中に仕舞って外には話してこなかったことがあって・・・。娘を17歳で亡くしてどうにも立ち上がれなかった時に私はこの植物画に出会って心が支えられたというのが一番のきっかけなんです」
 話して暗くなってもいけないし、そのような個人的なことを話してしまうとこの植物画の取り組みにポピュラリティが無くなってしまうような気がするので放送でも話さないでおこうと思うのです、と。そして、ぽつりと深い言葉が。
 「悲しみの中、亡くした娘の命は花の中や野の草の中に生きているのを強く感じられて・・・その命を描きたいと思ったのが始まりでした」
 私は、事前に資料として拝見していた清水さんの植物画集に描かれた花の表情や葉脈の瑞々しさ、根のたくましさなどから生き生きとした息吹のようなものが迫ってきた理由がストンと腑に落ちたような気がして、こんな思いをお伝えした。
 話したくないことは無理に話されなくて大丈夫です。ただ・・・人っていろいろ大変な思いをそれぞれに抱えていて・・・喪失などの辛い思いをしている人が、そんな悲しみの中で植物画によって生きる力を回復させた清水さんのような思いを聞かせていただくことで、人の乗り越える力を信じることができるかもしれない。私はそこも大事にしたい。「ほっかいどう元気びと」はどんな活動をしているのかのご紹介ではなく、そういう誰かの心の支えになるような思いの力を伝えていきたい番組です、と。
 個人の体験は必ず普遍的なものに繋がる。その「亡き人の命が自然のあらゆるものの中で生きている」という一言に感銘を受けたが、それを無理強いしてはいけないという思いのほうが勝り、話す話さないの選択はお任せしますと伝えおいとまさせていただいた。
 翌日。スタジオ入りした清水さんは私の顔を見るなり、疲れを滲ませながらもほっとしたような表情で「お話ししてみようと思います」と一言。夕べ、周りの方にも相談してじっくり考えてみたとのことで、「ほんとうに人それぞれ、私の周りでも大変な思いを抱えながらいろいろな命と向き合い頑張っている人がいる。私が話すことで分かち合えたらと思って」とのこと。ラジオの出演に対して真摯に向き合い、迷い、そして、その結果この番組を信頼してくださったことに深く感謝して、インタビューをスタートさせた。

清水晶子さん 植物画は、最近ではボタニカルアートとも呼ばれ、科学性と芸術性を兼ね備えていることから趣味としての人気も高く、特に細かいことを観察するのに長けている主婦の方々がメキメキ上達するということ。細部をよく見て描くことで、今までなんとなく見過ごしていた植物の造形に驚き、描き手の感性がさらに磨かれるということ。そういう自分と向き合う時間は座禅と似ているということ。清水さんご自身は40代で日本画を始めたが、アメリカ在住で英国人の植物画家ニキ・スレルケルトさんとの出会いによって植物画を極めようと心を決め、海外での学びも重ねて力を付けていったということ。「清水さんご夫妻が北海道の植物をみんな描いてくださいね」とニキさんに託され、画家であるご主人と共に北海道での植物画の普及に尽力。1990年に「北海道植物画協会」を立ち上げ、その後、自然を描くための環境を求めて札幌から網走市に移住しすでに25年が経つということ。そして、小児癌のため17歳で亡くなった娘さんの命は大地に還り野の花になって生きているのとの気づきを得、植物画を描くことを生涯の仕事と決めたという心に秘めていたきっかけの話・・・。 
 話し始めは、丁寧な字のメモを手に緊張されていたが、すぐにメモを見ることもなくご自身の言葉で語り始め、その思いはほんとうにひとつひとつが心に届くものになっていった。
 困難や悲しみをどう乗り越え、それがどんなふうに他の人のための活動になっていったのかという信条と共に強く伝わってきたのは、清水さんは植物の描き手であると同時に、自然を守ろうと行動する「意志ある自然の担い手」でもあるということだ。植物画は描き手の心も映すというが、清水さんの草花からは、見る人に少しでも身近な自然に目を向けてほしいという思いが伝わってくる。その大切にしたい自然の中には“喪った大切な人の命”が生きている。清水さんご自身が心を決めて話してくださった“喪失から掴みとった真理”が、やはりその取り組みの深い根っこなのだとしみじみ伝わってきた。

 収録後の「あなたの宝ものは何ですか?」という聞き取りには「網走の森の中の暮らし」という答えが。森の中のご自宅の庭に鹿が群れで7頭もやってきてオンコの葉を美味しそうに食べる様子や、ヒヨドリが植物の種を運ぶ役割をしてくれていることなど、生きものの循環の中に暮らす心身の豊かさは何ものにも代え難いと話し、そして、こう続ける。
 「もう、鳥も動物も、樹も花もひとつの命と思えてくる。それが宝ものです」

 こういうお話に触れるとほんとうに心が震えて、やはり私は宮沢賢治の考えを引用せずにはいられない。24歳の妹を結核で亡くした賢治が、その死を受け入れられずに悲しみの淵に沈み、半年後、北海道を経由して樺太(今のサハリン)へ妹の魂を探す傷心の旅をし、帰った後で深く悟ったように「手紙」と題した文章を書いている。(※賢治の死後、宮沢賢治全集の中で「手紙四」という短編として発表されている)
 妹ポーセを亡くした兄チュンセへ告げるある人の言葉。
 「チュンセはポーセをたずねることはむだだ。なぜならどんなこどもでも、また、はたけではたらいているひとでも、汽車の中で苹果をたべているひとでも、また歌う鳥や歌わない鳥、青や黒やのあらゆる魚、あらゆるけものも、あらゆる虫も、みんな、みんな、むかしからのおたがいのきょうだいなのだから」
 “すべてのいのちはひとつながり”という概念が賢治の大切にした銀河系意識だが、それは、“人も動物も、植物も鉱物も、宇宙のあらゆるものは、時を超え、空間を超えて繋がり、相互に支えあって生かされている”という深遠なる気づき。
 妹の死により深まったその思いを、「手紙」の中の文章でこう続ける。
 「チュンセがもしもポーセをほんとうにかあいそうにおもうなら大きな勇気を出してすべてのいきもののほんとうの幸福をさがさなければいけない」
 亡くなった人を求めて嘆き悲しむのではなく、その命が繋がるすべてのさいわいを祈り、行動しなければならないという賢治の悟りの表現だ。

 清水さんがご夫婦で広めた植物画。それを見ることで元気になる人、自分でも絵筆をとって描くことで安らぎを取り戻す人や人生の生きがいを見つける人、そして、自然の大切さに気づく人も多いのだという。清水さんの植物画は、自己の悲しみと向き合い、「すべてのいきもののほんとうの幸福」を探し求めて引き寄せたかけがえのない答えなのだと私は思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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