11月8日放送

 アナウンサー新人時代のこと。ある年輩のディレクターに何度も何度も日本語音声表現についてダメ出しをされ続けた。日本語の音は高低で成り立つ。「わたし」という単語なら「わ」よりも「た」と「し」の音が高い「平板アクセント」。そんなことは分かっているのだが、私の音の出し方は2拍目の音が上がりきれていないと言う。「おはようございます」もそう。「1拍目と2拍目の音は違うんだ!もっと持ち上げろ!」とイヤホンを通して怒られる。収録の度にそうだし、「そんな基本も出来ないようじゃ、先輩の替わりも当分無理だなぁ」など口調に嫌みも棘も含まれるものだから内心は嫌で嫌でたまらなかった。
 ところが、テレビドキュメンタリーのナレーションを任されるようになって、自分の読みを聴き直してみると、全体が一本調子、明るく読んだつもりのところが変に暗い。音が心情にも情景にも全く添っておらず、その時ようやくディレクター氏が力説していた「1拍目と2拍目は音が違うんだ~!(怒)」は表現力の扉を開く大事な鍵なのだということがわかって目から鱗が何枚も落ちたのだった。
 それをきっかけに日本語音声表現の音のメカニズムを一から分析し直してプロの読みを研究し、その後も一貫して後進の指導や一般の方々への朗読指導を確信を持って続けて来られたのは、そのうんざりするほど細かく「重箱の隅」をつつかれ叩かれたおかげだったのだと今では深く深く感謝している。

高野篤生さん ・・・「その時はほんとうに嫌でしたけど、後になって大切な教えだったと気づきました」
 そう話す「元気びと」の言葉を共感とともに聞きながらそんな大昔を思い出していた。
 「ほっかいどう元気びと」、11月2週目のゲストは、小樽の老舗「田中酒造株式会社」で杜氏を務める高野篤生さん 47歳。東京で生まれ育ち、大学で生物学を学んで熱帯魚を扱う会社に勤めていた高野さんが北海道で杜氏として働くようになったのは、会社を辞めて次の仕事を探していた時に「Iターン・Uターンフェア」で紹介していた募集を見たことがきっかけだったという。30歳で初めて北海道・小樽へ移住し、「田中酒造株式会社」に入社した時点で酒造りの世界のことは全く知らなかったと言うが、生物学で微生物の研究が得意だったのでその知識を役立てたいという思いもあったそう。
 高野さんが入社した1999年頃は、道内でお酒の原料の酒造好適米の研究も進んだことで「初雫」や「吟風」、そして「彗星」「きたしずく」といった品種が続々と登場してきた時代。田中酒造も100%北海道米への切り替えを試みていた時期ということもあり、高野さんはその新品種を使って試験醸造を繰り返したという。ちょうど、北海道の酒米ニューフェイスとともに杜氏としてのキャリアも積むことになるのがなんとも面白い巡り合わせだ。

 日本酒造りというのは伝統のものなので製法は勿論あるが、「マニュアルがないので、すべて自分で考えなければ駄目なんです」と高野さん。ひとつひとつの工程を経験と能力で加減を見極めるので、杜氏によって重要視するところもやり方も全く違うという。高野さんも、お米の洗い方、冷やし方といった小さなことから細かく観察してメモを取り、考えをまとめながら次へ生かすという手探りで杜氏の仕事を自分のものにしてきたのだと語る。
 「何とかやっていけそうだ」と思ったのは入社8年目か9年目。それまではなかなか上手く作れず、鑑評会というお酒のコンテストで賞を取れずに悩んでいた時期も長かったそうだが、全部北海道のお米に替え、「北海道のお米で勝負!」とチャレンジしてようやく賞を獲得したと言う。それは、「なぜそうなるのか」をひとつひとつ紐解いて、ひとつひとつ行動に移していった成果が現れたのだとか。やはり地道にひとつのことに取り組み続けることで結果はついてくる。どの仕事でもその精神は同じなのだろう。

高野篤生さん そして、「もの作り」に大切なのは、何と言っても基本を外さないということ。それが強く伝わってきたのが、収録後の「宝ものはなんですか?」の聞き取りでだった。
 高野さんの答えは、「大事にしているのは、最初に習ったこと」。
 30歳で入社した時に、ベテランの杜氏さんから、お酒造りに関することは勿論、製造とは全く関係なさそうな書類の書き方に至るまで、“細かいところを疎かにしない”という基本を教わったと言う。何かを少しでも大雑把にしてしまうと肝心なところで気を抜くことになってしまう。その大事さを何度も何度も、しつこいくらいに。
 そして、手がけたものにそれが現れてしまうという怖さにも気づいていく。例えば、蒸した米を混ぜる仕事は力の要る大変な作業だが、そのやり方に少し手を抜いたところがあった場合、ベテランの杜氏さんは作業を見ていないのにもかかわらず、翌日のもろみの状態を見て作業の不備がわかるのだと言う。最初の頃は、「なぜ見ていないのに、作業が見えるのだろう」と驚いた高野さんも、その先輩の杜氏さんが引退する頃にようやくその細かさの意味がわかってきたと話す。
 「怒鳴られたり、細かすぎたりというのが最初はとても嫌で、ほんとうにしんどい思いをしましたが、やはり基本を怠るとすべてが変わってしまうのが身にしみてわかっていった。最初に習ったことがやはり大事なことだったんです」と。
 辛抱して自分の中に基本を植え付けることで、磨けるのは小さな変化を見逃さない感性。
 今、後輩達に教える立場になり、やはり同じようにその大事さを細かく伝えているのだそうだが、時代とともに人も変化している。今の若い人達は、指摘をかなり真剣に重く受け止めてがっくりしてしまう傾向があるので、“丁寧に、優しく”を心掛けていますと高野さんは丁寧な話し方でご自身の役割を語ってくれた。

 「細かい観察と見守り」は、お酒造りの工程で欠かせない気遣いとのことだが、人を育てるというのも、ひとりひとりの変化を注意深く観察し、見守って、適切な時に適切に伝えることでより力を引き出せるということなのだろう。怒鳴ったり、嫌みを言ったりすることで発奮が引き出せた時代から、今はずいぶん変わってきている。
 伝統文化の受け渡し。「もの作り」の真髄をぶれさせない為の大事な基本をどう伝えていくか。受け渡されたものを次へ繋ぐというあらゆる種類の「文化」を伝える人が、技術の伝授とともに、生身の人間にどう向き合うかという「人間力」を磨くということもこれからの時代は益々問われていくに違いない。
 “今の時代に杜氏という伝統の仕事に取り組む人”のお話から、そんなことも感じさせていただいた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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