9月6日放送

 この「村井裕子インタビュー後記」は、毎週「ほっかいどう元気びと」でお話を伺った方のお人柄や取り組む思いの根底にあるものを、感じたままに書かせていただいている。
 面白いのは、その人の生きる哲学のようなものを文章で「要約」していくことで、自分自身の根っこにあるものも浮かび上がってくるということ。一人の人を通して私は何を感じ、何を大切にしているのかという自分の心の輪郭を確認する興味深い作業になっている。
 改めて気づくのは、同郷・宮沢賢治の言葉や思いをたびたび引いているということ。賢治の思考法やものの見方は今の世にこそ必要だと強く感じているせいか、あの言葉もこの思いも伝えたいと我ながら“温度が高い”。何と言っても、短い生涯なのに文学は勿論、農業・宗教・天文学、音楽や絵画といった芸術に至るまで数々網羅し、時代が変わっても色褪せぬ「普遍」が込められているだけに、多くの北海道人の生き方にそれらの言葉を引きたくなってしまうのだ。今回も、いや、今回こそ引用しなくていつ取り上げる?星と宇宙の話だ!インタビュー中、脳内で星雲のように賢治のキーワードが渦巻き、こんな言葉が流れ星のように落ちてきた。
 「新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである」(「農民芸術概論綱要」序論より)

黒田弘章さん 9月最初のお客さまは、星に魅せられ、その星を眺めることで宇宙を想像して欲しいとの思いで仕事に向き合っている人。苫前郡初山別村の「しょさんべつ天文台」で技師長を務める黒田弘章さん 59歳。元々は名寄市で生まれ育ち、高校で建築を学んで市内の建築関係の会社に勤めていたが、初山別に天文台を作るという話を聞いて、転職で星の仕事に就いた人だ。「運が良かったんでしょう」と流れに乗った結果という話をされていたが、これこそ「天職」なのだろう。
 名寄の田園地帯で「天ノ川が見えるのは普通」だと思って育った黒田さんは、毎夜満天の星空を眺めて成長し、野生の動物への思いも深めながら高校生の頃にはどんどん星の観測に惹かれていく。天体望遠鏡を自分で作り、会社に入った後も、それを納めるドームを自宅に手製で作るほどの天文ファンに。
 星の魅力を黒田さんはこう表現する。
 「星は、植物や動物と違ってさわれない。だからこそ神秘なものであり、その神秘にひとつ近づくだけでもいいなかなと思う」
 謎も多く解らないことの方が多いが、永久に解らなくても、人工ではない星の光を見ることでその神秘から何かを感じることが出来る。そして、知識で得たもの以上に、現実に自分の目でどういうふうに見えるのかを確かめることが天体の魅力と語る。

黒田弘章さん 黒田さんのお話を聴いていて、ああ、今の私達に大事な視点だなと感じたのは、天体を実際に自分の目で眺める体験をして想像を膨らませ、私達だけがこの宇宙に存在しているわけではないのだと思いを馳せる大切さだ。特に高台にあって海も見渡せるという初山別の天文台でなら、まあるい地球も実感できるだろう。
 黒田さんが小さな頃から野生の動物が好きだということも、「宝ものは何ですか?」の答えである「自然環境」ということも、我々地球の住人はどう生きていったらいいのかの普遍につながっていく。「すべてがひとつにつながっている」という大切な概念は、頭で知識として理解するのではなく心で感じることが欠かせない。だから、その導入としての星なのだ。
 黒田さんは、地球規模の自然破壊を心配する。山のあちこちで樹が切られ、野生の動物達の行き場が無くなっている。樹を切るならその代償として植えなくてはならないのに、それを怠っている。さらに、世界一のアマゾン川流域の森林伐採によって自然のバランスがおかしくなっているなど、地球規模での自然環境の破壊についてもっと考えなければと続ける。数年前に九州の熊本を訪ねた際、中国大陸のPM2.5の影響で靄のように街全体が霞んでいたのを目の当たりにして、さらに「環境破壊」への懸念を強くしたのだそうだ。
 「経済の視点だけでいろいろなことを推し進めてしまうと、地球環境は益々悪化してしまいますね」と問いかけると、黒田さんはこんな表現で答える。
 「もっと、我慢が出来ればいいんですけど・・・。我慢する心が人類にはないからね」
 「人類」という表現がとても宇宙的で、なにやら黒田さんが、他の星の住人を知っているような口調に聞こえたので、そう伝えてみると、「他の星の人達はどうかわかりませんけど・・・」と笑い、「もっと私達は、ふつうを取り戻してもいいと思います」と続ける。
 星の美しさがそのまま残る場所の住民として、「行きすぎたものは取り戻すのがあたりまえ」という言葉は、ほんとうにごくごくあたりまえのことを語っているように聞こえてきたのだった。

 すべてはつながっている。それは何も、地球の枠中だけ、人類だけのことではない。
 「新たな時代は世界が一の意識になる」という賢治が言う「世界」はイコール「地球」ではなく、イコール「宇宙」だ。
 同じ「農民芸術概論綱要」の中にある「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」の「世界」も、宇宙すべてのことを指す。生きものも鉱物も樹も海も、他の星も。過去や未来の概念さえも超えて。だから「世界ぜんたいが幸福にならないうちは・・・」ではなく、「世界がぜんたい幸福にならないうちは・・・」なのだ。
 宮沢賢治は、すでに百年も前に新たな時代のイメージを頭の中に描いていた。「銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くこと」がどれだけ大事な普遍なのかということを。
 星のひとつひとつを見ることは、そういうすべてにつながっていく。それらを少しでも感じて欲しいと最北の天文台で(実際は人口も減り、過疎化も少子高齢化も急速に進むという悩みも抱えた小さな村で)夜空を眺めに来る人を待っている黒田さんのような人がいることに、何とも言えない安堵感をおぼえるのだった。

 とは言うものの、今の「世界」はどうだ。地球の枠内だけを見ても、ひとつの意識どころか我欲だらけで、ばらばらだ。「世界がぜんたい幸福」など、遥か彼方で尊い光を放つ手の届かない星のようだ。「すべてがつながっている」ことをすべての意識が思い出せば、武器を手にして“自分とつながる誰か”に銃口を向けるような愚かな策はけっして選べなくなるだろう。自然を破壊し、海を汚し、樹を無くして生き物を絶滅させるような傲慢な態度を人はとれなくなるだろう。
 なぜ、その普遍の思いは叶わないのだろう?
 賢治が願った頃からもう百年も経っているのに・・・。
 その願いを、とるに足らないつぶやき、数多ある星の藻屑のように無きものにしてはいけない。

(インタビュー後記 村井裕子)

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