8月9日放送

 今年5月、詩人の長田弘(おさだひろし)さんが亡くなった。福島市生まれの75歳。
 「君はまず風景を慈しめよ」という表現を『奇跡(ミラクル)』という詩でも使っているように、樹や森、自然への感受性を研ぎ澄ます中から大事なことを言葉で掴まえて詩に綴る「哲学の人」でもあったように思う。
 長田さんは、戦争に関しても考え続けた人だ。亡くなる前日に毎日新聞の取材に対し、こう語っている。
 「大切な日常を崩壊させた戦争や災害の後、人は失われた日常に気づきます。平和とは、日常を取り戻すことです」
 7月には93歳の哲学者・鶴見俊輔さんの訃報も。この人も戦争を問い続け、平和を希求し続けた人。生前、テレビのインタビューで、「真理は間違いから逆算される」と語っていたのが胸に残る。間違いの記憶が自分の中にはっきりあり、ゆっくり考えていけば、それがある方向をさしている。それが真理の方向なのだ、と。そして、「間違いの記憶をぎゅうっっと持てることが必要なんだ」と、込めた力が伝わってくるようだった。この国は二度と間違った道に踏み込んではならぬ、そのために様々な記憶を保ち続け、忘れないということからやらなくてはいけない・・・とも。
 唯一無二の言葉で伝えて続けてきた人達がこの世からいなくなっていく。その思いをどう次へ繋げていけばいいのだろう。

山本竜也さん 戦後70年の今年、「ほっかいどう元気びと」でも平和を繋ぐための活動をしている人に出ていただきたいと考え、若い人で独自の取り組みをしている人はいないだろうかという視点で、函館から郷土史研究家の山本竜也さん(39)に来ていただいた。山本さんは函館地方気象台の観測予報業務という本職をこなすかたわら、地域の埋もれた歴史を掘り起こす取り組みをしている。
 大坂出身の山本さんは、北大で学んだ後、気象庁に入り、秋田や仙台の後で北海道の寿都町の測候所に配属となる。寿都の町はかつて鰊漁で栄え、ちょっとした賑わいだったということを知り、町の歴史調査を趣味で始めることになる。調べるうちに、終戦の年、北海道にも空襲があったことを知り、小さな町の寿都町ではどんな被害だったのかを調べ始めたことで、北海道空襲の記録に携わっていくことになる。
 昭和20年7月14日と15日、北海道の各地が爆撃を受け、室蘭や根室、釧路、本別などが大きな被害にあった北海道空襲。山本さんが関わっていくうちに、各地域の郷土史研究家や教師達による研究会で被害状況は調査されているものの、北海道全体の被害を把握したものが何もないということに気づき、それまで個人で調査・記録にあたっていた著作家の菊地慶一さんにその疑問をぶつけてみると、あなたが一冊にまとめてくださいと託され、山本さんは『寿都空襲』(2009年)という自費出版本に続き、北海道空襲犠牲者の記録も調査・聞き取り・執筆し、これもまた自費で出版することになる。

山本竜也さん 山本さんの取り組みのひとつひとつがとても貴重で、仕事の合間をあてているということに頭が下がるが、ご本人には全くと言っていいほど気負いといったものが無い。関係者の話を聞き取り、曖昧だった事実が判っていくことが面白いと淡々と話す。理数系の研究者といった印象だが、犠牲者のお名前を明らかにして記録を残したいというその思いの源を訊くと、ソ連抑留死亡者名簿の作成を手がけた村山常雄さんのお名前を挙げ、「すべて戦争犠牲者名簿は、第一義的にかけがえない人間一人ひとりの無念と命の尊さを、重くその固有の氏名に刻んで歴史に残すものでなければならない」(『シベリアに逝きし 46300名を刻む』)という一文に感銘を受けたからと真っ直ぐに話す。
 その意味こそ今の時代の私達が共有し、後に繋いでいかなくてはならないものだろう。
 調査をして2011年に発行した『北海道空襲犠牲者の記録』によると、確実な犠牲者数2908名のうちお名前が判明したのが2626名。本を出したことでその後情報が寄せられさらに10名のお名前が判ったそうだ。
 3000名近い北海道空襲の犠牲者ひとりひとりには、かけがえのない人生があっただろう。誰かとご飯を食べ、汗を流して働く喜びもあっただろう。ひとりひとりを取り巻くかけがえのない日常、明日も当たり前に続くことを信じていたに違いない日常。
 戦後70年、悲惨な歴史を繰り返さないために私達が出来る事は、まず歴史の事実をきちんと知ること。そして、数ではなく、そのおひとりおひとりにも名前があり、戦争が無ければその後の人生が続くはずだったということをきちんと想像することなのではないかと、改めて感じた。そのための記録なのではないかと。

 山本さんは、お年寄りの方々にお話を訊くのがとても興味深いと言う。
 収録後の恒例の聞き取り、「あなたの宝ものはなんですか?」に、山本さんはこんな答えを返してくれた。「一文の得にもならないのに、お話を聞かせてくれる人達」
 農業・漁業、まだまだ働きに出ているお年寄りが、3時間4時間話してくれるのだそうだ。自分の話をちゃんと聞いてくれて嬉しいと。戦争の記憶を話してくれた95歳の方は、「自分はなぜ95まで生きていたのかと思っていたけれど、あんたが戦争の話を聞きに来てくれたというのがこれまで生きている意味だとわかった」と語ってくれたそう。

 39歳。戦争を知らない世代が、地道に戦争の記録を残し続けているという意味は大きい。
 収録前、山本さんは、「取り組みへの思いなんて何も無いですよ」と素っ気なく話されていたのだが、向き合ってきちんと伺うと、その「引き出し」の中から、多くの人の話をじっくり聞き取ってきたからこそのエピソードを伝えてくれた。
  「一文の得にもならない」のに、農業や漁業のお年寄り達が一心に山本さんに地元の昔の話や戦争の体験を話している様子がふと目に浮かび、なんだかじーんと胸が熱くなったほどだ。

 8月は、想像する月。
 長田弘さんが何度も語っていた「日常」を、当たり前に繋げていく為に何が出来るだろう。
 鶴見俊輔さんの言う「ぎゅうっっと持たなければならない記憶」とは何だろう。
 ・・・8月は、考える月。

(インタビュー後記 村井裕子)

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