7月26日放送

 石川啄木の反逆の叙情、宮沢賢治の宇宙感覚、新渡戸稲造の侍の精神。この三つがそろうとき、「東北」という風土がもつ活力が背後からせりあがってくるような気がします。・・・
 そう書いているのは、宗教学者の山折哲雄さん。『デクノボーになりたい 私の宮沢賢治』(小学館)の中の一節だ。そのキーワードによって二十一世紀の日本の、もう一つの可能性がうかびあがってくるようだ、と。
 新渡戸稲造の侍の精神とは、勿論、『武士道』から来ているのだが、その中で山折さんが最も関心を持っているというのが、「仁・惻隠のこころ」という考え方。新渡戸は「日本の武士道で最も重要なのは、劣者にたいする愛情、敗者にたいする共感、弱者にたいする同情の気持ちである」とし、武士道の本質は弱き者への愛であるといっていると解く。仏教の言葉でいえば「慈悲」の心だ、と。
 新渡戸稲造は、農学者であり教育者。生まれ故郷の岩手を出て、後に札幌農学校で学び、「太平洋の架け橋になりたい」とアメリカに私費留学後、札幌農学校の教授として、明治24年に再び来道。その3年後、家庭の事情などで勉強したくても出来なかった青少年達に学びの場を提供しようと、札幌に「遠友夜学校」を開設している。遠いアメリカの妻の実家から届いた遺産を資金としたことと、論語の「朋あり、遠方より来る。また楽しからずや」にちなんで「遠友」。その後、50年に渡って無料で教育を提供し、その崇高な精神に共鳴した友人達や市民の人達が無給で先生をかって出てくれるなどの温かな援助により志の活動は支えられたという。
 まさに、「惻隠のこころ」が形になったのが「遠友夜学校」だったのだ。

工藤慶一さん この「遠友」の志を受け継いだ学びの場が、民間の人達の手によりこの平成の世でも存在し続けている。その名も「札幌遠友塾 自主夜間中学」。今回の「ほっかいどう元気びと」は、1990年の設立から関わり、現在は「北海道に夜間中学をつくる会」代表となって奔走し続ける工藤慶一さん 66歳。どういう経緯でその学びの場は生まれたのか、どんな意志で続けてこられたのか、お話を伺った。
 昭和23年旭川生まれの工藤さんが物心ついた頃と言えば、まだまだ戦後の混乱期。親を亡くした人や生活に困窮している人、樺太から引き上げてきた人達もいて食べていくのが精一杯という時代。貧しい生活を強いられていた工藤さんの友人が、中学3年のある日、「これを使って世の中を良くしてくれ」とやって来たのだという。渡されたのは、病気で亡くなったという兄が使っていた数学の参考書。
 託されたかたちになった工藤さんは、北大に進んだ後も、学生運動をきっかけに3年で中退した後も、会社へ就職した後も、ずっとその言葉が心に残っていたという。志高く求めていれば引き寄せられるということなのだろう。37歳の時、「北海道に夜間中学をつくる会」の前身となる「遠友塾読書会」と出会い、その有志達の中で中学を作ろうという流れになる。読書会の中には、かつての「遠友夜学校」の出身者もいて、その学校はほんとうに楽しかったと感動的に言うのを聞いて、自分が生涯をかけて取り組むのはこれだと心を決め、1990年、仲間とともに北海道で初めての「札幌遠友塾 自主夜間中学」をスタートさせる。
 義務教育の学び直しなのだからと希望者からは月に僅かなプリント代程度しか貰わず、他はボランティアの手弁当の活動だ。工藤さんは14年間の代表を経て今尚、公の仕組みをより良く変えるための陳情や法改正への働きかけ、札幌ばかりではなく、学びを取り戻したい全道各地の人達の願いに応えるために何が出来るかなど、世の中を教育でより良く変えるための取り組みをぶれることなく続けている。

工藤慶一さん 今年は戦後70年。戦争を知らない世代が世の中の大半を占めているが、工藤さんの話を聞くと、あの敗戦が市井の人々に与えた痛手はまだまだ解消していないじゃないかと気づかされる。戦争によって学びをすっぽりと奪われた人達に対し、終戦後の混乱の中で、学び直しを公がきめ細かく補完してくれるわけではなく、教育が欠落したまま苦労しながらその後の人生を生きてきた人も少なくないと言う。読み書き、算盤を学ぶ大事な時期に戦況が悪化し、親も亡くしたために勉強どころではなく、身を粉にして働いてきた人もいる。
 指を折って数えてみると、今70代から80代がその年代にあたる。まだまだいろいろな思いを抱えたまま過ごされている方々も多いのだ。過ぎ去った過去の時代の人達のことではない。そういう人達と数多く出会ってきた工藤さんはきっぱりと言う。「私の中では、まだ戦争は終わってはいないんです」と。
 学ぶことは自分自身を取り戻すこと。自信が持てること。そんなふうに戦争で学びを失われた人に読み書きのひとつひとつ、計算のひとつひとつ、とにかく解って貰うために授業を丁寧に行うことに意味があるという工藤さんの言葉を聞いていて、困っている人に寄り添う「惻隠のこころ」とも言うべき優しさというのはこういうことなのだと思った。
 戦争で義務教育を受けられなかった人のみならず、時代が変わって現代でも、状況は違えどやはりその大事な時期の学びを習得出来ずにいる人達が絶えない。工藤さんのお話を伺っていて、今、いろんな事情や環境で学びから離れてしまった若い人達も是非、「札幌遠友塾 自主夜間中学」の扉をたたいて欲しいと思う。学びは勿論だが、工藤さん始め人のために働くことを生きがいにしているボランティアの人達にまずは会って欲しいと思う。人は、人の志に触れることで自分の中の何かが変わると思うし、そんな難しいことでなくても、とにかく、卒業後もずっとその人達を見ていきたいと話す工藤さんのような人に出会って欲しいと感じた。

 インタビューを終えて、つくづく思う。世の中を良くするために大切なのは、人が人としてより良く生きていくための知恵、それを育む教育だ。必要なのは一本のペンであり、本なのだ。それを皆が当たり前に受けられることこそ平和な国、平和な時代なのだ。
 〝まだ70年しか経っていない身近な歴史〟こそ、大切なことを教えてくれる。

(インタビュー後記 村井裕子)

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