7月19日放送

 夏目漱石の短編集『夢十夜』の中の「第六夜」。文章そのものは易しいが沢山の示唆に富んでいて、不思議な余韻の中、人の中の力や才能というものは何なのかを考えさせられる。
 明治の世になぜか鎌倉時代の仏師である運慶が、大勢の見物人に囲まれて一心に仁王を彫っている。刀の入れ方が無遠慮で少しも疑念を差し挟まない削り方に、見ている一人が言う。
 「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」
 よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻が出来るものだと「自分」が独り言を言うと、その男はまたも云う。
 「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の下に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずがない」
 それを聞いた「自分」は、それなら誰にでも出来る事だと思って家に戻り、薪にするつもりだった樫を彫り始めてみるが、仁王は見当たらない。その次のにも、三番目のにも仁王はいない。片っ端から掘っても、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているものはなく、ついに「明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだ」と悟る。「それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」という判じ物のような着地がなされ、「自分」はいったい何を悟り、何が解ったんだろうと、夏目漱石の時代観や人間観をも想像出来て奥深い。

藤戸竹喜さん 彫刻を生業としている人に是非この「中にあるものを彫り出す」感覚を聞いてみたいと常々思っていたら、今回の「ほっかいどう元気びと」が、木彫家として北海道で活躍する方。
 驚いたことに、こちらからその質問をする前に、早々にご本人から作品の彫り出し方についてこんな言葉が飛び出した。
 「わかりやすく言えば、私の材料(木)の中に、〝そういうもの〟が入っているんです」
 作品はすでに中にいる・・・と言う。「まわりを落として落として削っていったら、ちゃんとあるわけ」と、その80歳の木彫の長老はチャーミングに笑う。
 ゲストは釧路市阿寒湖温泉にアトリエを持つ木彫家 藤戸竹喜さん 80歳。
 12歳から熊の木彫り一筋に技を磨き、28歳で「熊の家・藤戸」を開業し、一方でアイヌ民族の等身大の人物像といった大作にも取り組む。去年2月に札幌駅西口コンコースに設置されたエカシ(アイヌの長老)像を手掛けたその人だ。
 「私の材料の中(木の中)に、そういうもの(作品)は入っている。それを削り出すだけ」という言葉が表現されたのは、作品をどんな風に作るのかという問いかけに答えたもの。デッサンを一切書かずに、木にまさかりを入れて熊の躍動感やエカシの力強さを彫り出していく時の感覚がそうとしか言えないと笑う。わかってもらえるかなぁ、と。
 藤戸さんは、そんなふうに木と対峙し、言葉を掛けながら彫ることで、その〝中にある〟ものも力を貸してくれるのだという。
 札幌駅のエカシ像のイメージは、「会ったことはないが、孫ばあさんから話に聞いていた長老」。彫刻刀を入れ、その人物と昔話をしながら、一年ほどを費やしてその形を彫り出したのだそうだ。話しかけて返ってくるのは言葉ではなく、彫刻刀を通して返してくれる力。
 そんなふうに掘り出した札幌駅のエカシ像には、藤戸さんの長年の思いが込められている。世界のどの国でも、空港など人が行き来する公共の場には先住民族の像が置かれているが、日本や北海道では残念ながら今までそれがなかった。多くの人の尽力でそれが叶い、設置の際には、北海道の交通の安全を札幌の玄関口で見守っていてくださいねという祈りを込めたのだそう。
 歴史を正しく知るということはとても大事なことだ。どんな人達がこの土地に元々住み、どんな心の支えを持ち、智恵を繋いできたか。等身大のエカシ像は、そんな想像を紐解くきっかけになっていくのだろうと感じた。

藤戸竹喜さん 藤戸さんは、苦労の多かった子供の頃の話も、問わず語りで聞かせてくれたが、戦前のアイヌの人達が自分の人生を「闘うように」生き抜いてきたという足跡が重みを持って伝わってきた。物心つかない頃の母親の死、木彫り職人の父親の厳しさと破天荒な生き方、貧しさや孤独との闘い、北海道の極寒・・・。道を外れもせず、自分の技を磨き続けて自分の人生を作ってこられたのはどんな力なのか?
 藤戸さんは、「負けてたまるか」という強い思いだったと言い、辛さも苦しさも今では全てが宝ものだったと言い切る。妻に恵まれたことで、今はほんとうに幸せ、と。
 目の前の苦労をすべて技に昇華させてきたことで見えないものが見えてくるということなのだろうか。やはり人の中の力はただ黙っていても光らないのだと改めて感じたインタビューだった。

 終了後、いつも絶妙な編集で番組を仕上げてくれている近藤ディレクターと話をした。藤戸さんの丸太の中にはその作りたいものがもうすでに〝ある〟。私達がもし仮に丸太を一生懸命削ったとしても、その中には何も〝いない〟。それはいったい、何なのだろう、と。
 そして、話をしながら気づいたのはこういうことだ。
 藤戸さんはご自身が修行とも表する壮絶な試練の末に丸太の中に確固たる何かを存在させた。けれど、人は皆、丸太ではない別のところに何かを存在させる可能性を秘めている。どこに、何が〝埋まって〟いるかを探していくのが、きっと、その人の役割や使命。
 まずは、インタビュアーである私は、人の中にすでに埋まっている思いや言葉を彫り出し、ディレクターは、目には見えないひとりひとりの真のストーリーを編集の技で浮き彫りにし続けていくということ。ノウハウを超えて人の心に訴えるものを身につけるためには努力し続ける能力も鍛えなくては始まらない。どの仕事もそれがほんとうに至難の業だ。
 向き合う対象も、道具も、完成させるものもひとりひとり違うが、違うからこそ、面白い。

(インタビュー後記 村井裕子)

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