5月24日放送

 「実存的転換」という言葉を知ったのは、『文藝春秋2月号』に掲載されていた函館在住の時代作家 宇江佐真理さんの「私の乳癌リポート」という闘病記でだった。
 引用させていただく。
 「『実存的転換』という言葉がある。・・・大変に感動する場面に遭遇するとか、圧倒的な景色を見るとか、人知を超えた経験が癌を小さくしたり、消滅させたりするそうだ。それを実存的転換と呼ぶ」
 宇江佐さんは、そのような経験をしたことはまだないと書かれ、「(その奇跡を)楽しみに待つことにしよう」と結ばれていた。ご本人が癌と対峙する中で、もがき、自問自答し、見いだされた境地なのだということが伝わってくる。
 意味を調べてみると、実存的転換とは、「精神的苦痛や難病に伴う苦しみによる危機的状況を、価値観、世界観を変える事で克服することを指す、臨床心理学の言葉」とある。
 病のみならず、苦しみや困難、もうこれ以上進めないというギリギリの精神状態が、何か目に見えないものの仕業であるかのような感動を体験することで大転換する。それはつまり、「人の中にある未知の可能性」はいつだって開かれるということ。それを知っているのと知らないのとでは生き方も違ったものになっていくだろう。言葉は意識への刻印。どんな時でも希望を探そうと意識づけられるような強い言葉に会えたことに感謝した。

笹森琴絵さん 「ほっかいどう元気びと」で多くの方にインタビューをしていると、実に様々な体験が気づきの元になっているということがよく分かるが、今回の主役は、まさに、その「実存的転換」によって今があると言える人。深い挫折の底から引っ張られるように感動体験をして天職を見つけたというその気づきを、ワクワクしながら聴かせて貰った。
 ゲストは、室蘭市在住の海洋生物調査員で自然写真家の笹森琴絵さん 52歳。フリーの立場で海洋生物調査や撮影をし、その実態を知らせるためにイルカクジラウオッチングのガイドをしたり教育現場で伝えたりというのが主な仕事。海洋を現場として地球の環境教育を広めていくというその独自に積み上げてきた役割とはどういうものなのか・・・冒頭、ご自身でぴったりくる表現を言葉にして貰うと、一言「海やそこに住む生きものの広報係」。イルカやクジラが持続的に住める環境を彼らに代わってメッセージする役割を担う中で少しずつ仲間も増え、2007年には動物や海中音響の専門家達と任意団体「さかまた組」を結成。去年はクジラやイルカのウオッチング事業と環境保護の両立などを目的に「日本クジライルカウオッチング協議会」を設立し、初代会長として東奔西走の日々を送っている。

 なぜ、そのような仕事をするようになったのか?ターニングポイントはこんな経験からだ。室蘭で生まれ育った笹森さんは、志望通りに教師となって小・中学校の教壇に立つ充実した20代を送っていたが、ある日、交通事故に遭う。療養中に内蔵の病気も併発しやむなく退職、失意の数年を余儀なくされる。この先自分はどうなるのか、どうするのか・・・長くて真っ暗なトンネルを進んでいるかのような心境のある日、以前から動物好きということもあって、リハビリも兼ね地元噴火湾のイルカウオッチングの船に乗ることに。
 出航した途端に周囲は深い霧。「前後左右何も見えず、まるでその時の私の心境そのものでした」と笹森さん。鬱々とした気持ちで進んでたところ、ある瞬間に霧がパッと晴れ、目に飛び込んできたのは、船の周りを取り囲んでいる数百頭のイルカの大群!
 「もう、ただただ感動で、ジャンプをしたり、顔を出したり、面白そうに船と競争したりする彼らに目を見張りながら、なにやら気持ちがふっと軽くなって、私は何を悩んでいたんだろうと思えたんです」
 それがダメなら違う生き方を探せばいいじゃないかと素直に思えたのは、やはり「自然の力」によるものなのかもしれませんと、その時の「大転換」の心境を話してくれた。

笹森琴絵さん そこから、笹森さんは何かに引っ張られるように今の仕事に邁進していくのだが、「イルカによってこの仕事に導かれた」経験で確信したことは、人間、こっちへ進もうと頑張っても進めない時がある。なぜか違う方へと強い力で流れされていくような。でも、それは「そういうふうに決まっていたのだ」と。金銭的にも見通しが立たなかったり、趣味と思われ仕事としては認められなかったりしたこともあったけれど、ひとつひとつの積み重ねがちゃんと繋がり、巡りめぐって今、子供達や若い人達に伝える仕事も増え、一度諦めた教壇に立つ役目も果たせている。それも、自分が心を込めた海や海の生きもの、環境教育をテーマにしているという嬉しさと不思議さ。すべてがここへ繋がっていたことだったのなら、事故も退職も挫折も悶々とした日々も何一つ無駄ではなかったと、とびきりの笑顔で語る。

 笹森さんが子供達に伝えたいこと、それは、「地球上の生きものはお互いに繋がりあって、地球に何らの形で貢献している。他者のために役割を果たしている。地球に貢献していないのは人間だけ。役割を果たすどころか奪うばかり。だから、地球上の野性生物にせめてあまり迷惑を掛けないように、まずは彼らのことをちゃんと知っていこうよ」ということ。小さい子供がそれを感じることで大人にも伝わっていくことで人々の実際の行動が少しずつ変化していくのだと、「海やそこに住む生き物の広報係」としての役割を力説していた。

 笹森さんは、海に生きるもの達に「選ばれた」のだろう。
 この地球では、「地球の命」を支える役目の人が一定数選ばれ、配置されているのかもしれない。地球の命が果ててしまわないように、海や森や山、そしてそこに棲む生きものたちの門番のような働きをするエキスパート達。誰がそんな配置を・・・って? その「雇い主」は、目には見えない大きな叡智としか言えないが、確かに、そこかしこで、生涯をかけて、魂を込めて、自然や生きものを守る仕事を黙々と続けている人達がいる。
 そして、面白いことに、そのどの人も「生きている実感」に充ち満ちて、心の底からその任務を楽しんでいる。苦労や困難は多いのに、だ。おそらく何らかの人生の大転換を潜り抜けてその仕事に強力に引っ張られたから・・・ではないかと思う。
 ひとつの生命体であると言われる「地球」の命を守る広報係というのは、そういう仕事なのだ。・・・と、それらは私の勝手な想像だが、「ほっかいどう元気びと」はそういう自然の代弁者として働く人達の声をこれからも届けるお手伝いをしていこうと思う。
 彼らが人生をかけて、この北海道から発信する意味は、決して、決して小さくないと思うから。

(インタビュー後記 村井裕子)

HBC TOPRadio TOP▲UP