1月18日放送

 今年の年賀メールでしみじみ嬉しい一通があった。
 私の講座を数年間受講し、前々からの夢を叶えるため語学を学びに海外留学した女性からのものだ。
 「思った以上に大変なことが多かったけれど、先生が最後におっしゃっていた言葉を時々反芻しては自分を奮い立たせていました」とあった。私が彼女にかけた言葉は、「辛くなった時に、何故自分はこれをやりたいと思ったか思い出すといいですよ」だったと言う。
 折々にその言葉を思い出して前に進んでいるという彼女のメールは、「じわじわ効く言葉の力ってすごいなぁと改めて感じています」と結んであった。
 受講生の方々には、その時々で自分の中の温度の高い思いを伝えるようにしているが、体験から確信した言葉はやはり誰かを支えるのだなと、ほんとうに嬉しかった。
 蒔いた種子は人の中で確実に生きる。後になって“芽吹き、実が成る”こともある・・・それを信じて何かを伝えることは、どの仕事でも大切だ。

大作康浩さん さて、今回の「ほっかいどう元気びと」の分野は農業。お話を伺ったのは、札幌の丘珠地区で在来種の玉ねぎ「札幌黄」の栽培に取り組む大作康浩さん 52歳。
 鉄工所に勤めていた大作さんが、父親の急死を受けて実家の玉ねぎ農家を継いだのが今から10年前。四代続くという玉ねぎ農家で、祖父の代まではほとんど「札幌黄」だったそうだが、70年代後半から病気などに強いF1と言われる交配種に変わっていき、父親の代は最もいい土壌で札幌黄を栽培するも、一時期は作らなくなっていたこともあったという。「札幌黄」が“幻の玉ねぎ”と言われる所以である。病気に弱く収量の割合も低く効率の悪い玉ねぎだからなのだが、とにかく熱を加えると糖度が高く、甘くて美味しい。大作さんは、祖父や父達がこだわって育ててきたこの希少種を自分の代で絶えさせることはしたくないと、3.2ヘクタールの畑のうち1/3の最もいい土壌で「札幌黄」の栽培を続けているのだと話す。

 栽培は難しく、形も市場受けしない。その年により3割などという収量の時もある。
 「なぜ、経済効率の方に大作さんは向かっていかなかったのか?」と問いかけると、
 「やはり、毎年毎年、この玉ねぎが美味しいと買いに来てくださる方々の顔を見たい。自分でも確かに美味しいと思う。今の規模以上に増やすことはせずに大事に作り続けるということが自分にとって価値があることだと思っている」と言う。
 「その選択で得たものは何か?」と再び訊くと、「人との繋がり」と一言。若いときはその人付き合いがちょっと苦手だったが、札幌黄に関わったことで、地域の方々は勿論、全く知らない人が関心を寄せてくれて、訪ねて来てくれる。自分がやっていることをそんなふうに見てくださっているのかと思うとほんとうにありがたい、と続ける。
 自分が取り組む目的がはっきりしていると、進んでいく方向に対してぶれることはない。希少種の玉ねぎを作る大作さんも、やはり、困難なことがあっても「何故これをやりたいと思ったのか」の原点を振り返った時に、沢山の喜ぶ顔がイメージ出来ているのだろうと感じた。

大作康浩さん インタビュー収録後の「宝もの」の聞き取りは、緊張が解けるのか素直な思いを聞かせていただけることが多くとても興味深い時間だ。大作さんの時にも、ぽろりとこぼれた言葉から思いの紐解きに繋がっていった。 
 ふと、口をついて出てきたのは、
 「父親が病気で急死だったので、栽培を伝授して貰うことが出来なかった。それが悔しい」という言葉。
 それ以前に鉄工所に勤めていた時にも農作業の手伝いはしていたし、見てもいたが、もっと深い内容を伝えて貰いたかった。そして、陰で努力する父だったからその域まで達するために自分もさらに努力しなくてはと、問いかけによって思いが溢れていく。
 「お父様の理想の何割を今達成出来ていると思いますか?」と私がさらに問いかけると、「半分・・・いや、まだまだ3割位です」と自己採点の厳しい大作さん。
 「その残り7割はどう埋めていくのでしょう?」と続けると、
 「それは、土作りです」ときっぱりと答え、数年がかりでそれが出来れば、こうなりたい理想の8割には届くと思うと、語尾に力が込められた。
 種同士を交配させればより強い遺伝子が残って病気にも強い品種が出来るけれど、それだと本来の「札幌黄」の品質も変わってしまう。良い土を作っていけば、その作物がその生命で力を付けることが出来る・・・そこを目指したいというのが大作さんのこだわりなのだ。

 尊敬する父親に沢山のことを伝授して貰いたかったという大作さん。悔しい思いを抱える中で支えになったのは、父親が何年にも渡って書き残した日記だと言う。
 玉ねぎの栽培作業を日々綴った“記録”という形の伝授。大作さんは毎晩のようにそれを開いて読んでいたと話し、自分のやり方を見つけて来られたのはその日記のお陰なのだと話す。
 自分の培ったものを言葉で人に「伝える」ことは、会話であろうと記録であろうと、やはり大切なのだ・・・そう改めて感じたエピソードだった。

 それ以来、大作さんも、札幌の希少種を守り続けるひとりとして、日々、記録を付け続けているそうだ。
 人の命には限りがあるが、想いは、言葉は、確実に残る。

(インタビュー後記 村井裕子)

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