12月7日放送

 ひとりひとりの人生は、日々の一瞬一瞬の「選択と判断」の集積によって出来ている。特にその後の生活がそれによって左右される就職などは、どちらの方向に行くのか、いつ何を選び取るのかがその人にとって最も重要な課題だが、実は自己がすべてを選び判断しているようにみえて、そこには多分に人智を超えた「なにか」が介在していることが少なくない。
 例えば、小さな偶然に気づくとか、ふいによぎった直感を確信するとか、朝のテレビの占いで背中が押されるとか…選択の陰には「収まるべき場所へ導こうとするメッセージ」が隠れているような気がしてならない。
田中尚子さん 今回の「ほっかいどう元気びと」のゲスト、札幌の盲導犬歩行指導員の田中尚子さんにその職業への導かれ方についてインタビューしていて、そんなことを感じた。

 田中さんが「公益財団法人 北海道盲導犬協会」に就職したのは2002年のこと。仙台の東北福祉大学で学んでいた頃からすでに視覚障がい者をサポートする盲導犬育成の仕事を目指していたと言うが、その時仙台での訓練士募集は無く、出身の北海道に帰ってひとまず就職をするべく病院の試験を受けることに。ところが、偶然にもそのちょうど試験の日に「北海道盲導犬協会」が訓練士を募集していることを知り、しかもその日がレポート締め切り日とあって、試験の合間、地下鉄の中でもレポート用の作文を仕上げ、提出したのだそう。
 結果は無事合格。一番なりたかった仕事に導かれるように就き、しかも地元北海道でその役割を果たすことになった田中さんは、現在、指導部盲導犬訓練担当主任として盲導犬の訓練から、利用者の方の歩行指導までを担当している。キャリアは12年。 

 運命に導かれるようにその職業に就いた人は決してその取り組みの大変さから逃げ出すことはしないと私は常々思っているが、田中さんに盲導犬歩行指導員の仕事の難しさを訊いてみると、より良く前に進みたいが故の葛藤と日々向き合っていることが伝わってくる。
 田中さんは言う。盲導犬利用者の方への自分の伝え方に腐心し、ある時は悩み、あまりの責任の重さに、この仕事を続けられるだろうかと思ったこともなかったわけではない。命ある犬に接し一人前の盲導犬に育成する重圧、そして、利用者の生活や命をも左右してしまうかもしれないこの仕事の重さに。
 そして、収録後の「宝もの」の聞き取りの中で、田中さんの仕事観がこう表現される。
 「この仕事を大変だからとか、人間関係に悩んでとか、何かに行き詰まって辞めたいと思ったことは一度もない。犬の訓練は、きちんと技術を身につければそれほど難しい仕事ではない。大事なのは、やはりひとりひとり状況も環境も性格も違う視覚障がい者の方々にどう生き生きした活動を取り戻し、盲導犬をいかにうまく使いこなして貰えるかということ」
 田中さんは、この仕事の最も重要課題は、「利用者にどう伝えるか」と、そういう存在を多くの人にちゃんと知って貰うために「社会にどうアプローチするか」だと言い切る。
 広く伝えたいことのひとつは、例えば「街で盲導犬を連れている人を見かけたら、どうぞ“優しい無視”をしてください。しっかりと見守りつつ、もし何か困っていそうだったらさりげなく手をさしのべてください」といったこと。
 盲導犬一頭一頭を訓練するその先にはユーザー一人一人の暮らしがあり、不自由さを克服して活動が出来る幸せがある。盲導犬の訓練士と言われる人達の目線はしっかりとそこにあり、取り組む先のより良い社会を見据えている仕事なのだということが改めて伝わってきた。

田中尚子さん 大きな偶然に導かれる人は、日々の小さな偶然にも助けられる。
 田中さんの「宝もの」は、「人の支え」。これ以上続けられるか…と思い悩んでいた時に、とても絶妙なタイミングで手紙や温かい言葉に救われてきたと言う。「盲導犬と歩けて良かった」とか、「田中さんが担当してくれて良かったです」「ずっとこの仕事を続けてくださいね」という、人の思いのこもったメッセージに。
 悩んでいるなんて他の人に言っているわけでもないのに不思議ですよねと笑う田中さん。その何か大きなものに支えられる実感を一つ一つ得ていくことで役割や使命感も大きくなっていったのだろうということが、導かれた仕事に就いた人の静かな語り口から感じられたインタビューだった。

 私事の古い話。36年前の就職試験の際、全国の放送局のアナウンサー試験を掛け持ち受験した時に自分で自分に約束していたのは、「一番先に結果の出たところに行く」ということだった。出来れば出身地がいいのか、いやもっとふさわしい場があるのか…といった迷いや邪念を一切振り払って臨もうと。潔さと言うより、おそらく一生を生きることになるであろう場所を自分で決めてしまうことへの畏れがあったのだと思う。
 「人事を尽くして天命を待つ」そのままに、サイコロを天に委ねる心境だった。
 その結果、北海道放送の合格が1番先に出たために親戚縁者の誰ひとりいなかったこの新天地で生きていくこととなったが、今振り返っても北海道以外の人生は考えられなかったし、しっかり育てて貰ったこの局以外は考えられない。HBCラジオだからこその、この今の私だ。天に委ねたサイコロの先には生涯の伴侶との出逢いもあり、30年以上経っても有り難いことに日々笑いながら暮らしている。
 その人その人、行くべきところ、するべき役割、出逢うべき人達は予め決まっているのではないだろうか。たとえ寄り道があろうが苦難があろうが、何処かやがて到達するところへの一里塚。だから、その都度選んだ結果も「これでいい」と受け入れられる。
 人生の選択肢。右か左か…その秘訣は、目の前のメッセージに気づき、素直に従うことか。そして、案外、「ふと思い立つ」といった自分の中でスイッチが入る感覚を信じてみるということも、ひとつの方法なのかもしれない。
 根拠も無いし立証も出来ないが、たぶんそう。…きっとそうだ。

(インタビュー後記 村井裕子)

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