8月24日放送

 坪川拓史監督作品の映画『ハーメルン』を観た後のカフェで、女性がふたり、やはり観た直後らしく映画について興味深げに語り合っていた。
 「あの銀杏の樹から降ってきたのは千羽鶴・・・?」
 「・・・だよね」
 「・・・なぜ千羽鶴が降ってくるのかな?」
 「なんでだろう・・・?」
 「△△と○○のシーンって、同じ時?」
 「○○が過去・・・ってことじゃない?」
 「あ、そうなんだ・・・」
 会話は「???」だらけである。でもその確認し合う空気と間合いがとってもいい。「わからない」と言って放り投げてしまわないその向き合い方が。映画の伝えたいことと自分の感受性がどうリンクするかを確かめる余韻は映画好きならこたえられない時間だ。
 実際に私の頭の中もはてなマークだらけだったし、初めのうちはあまりにテンポがゆったり過ぎて、間(ま)の長さや説明の少なさにふと船を漕ぎそうになったところもあったが、“美しいもの”や“毅然としたもの”を見た時に動く心の部分が少しずつ揺さぶられていく・・・そんな心地よさが感じられる映画だった。
 そして、観終わってしみじみ思ったのが「年寄りには年寄りの役割がある」ということだ。誰かが戻って来られる場所に居続けるとか、その場所の目に見えぬ価値を守り続けるとか・・・それぞれに、それぞれの役割をそれ以上でもそれ以下でもなく、それぞれの場で丁寧に果たしていけばいいのだと、年齢を重ねる意味をも考えさせられた。

坪川拓史さん 「ほっかいどう元気びと」の今回のゲストが、その監督・坪川拓史さん 42歳。ご本人にそんな感想を伝えたら、「自分の映画は、説明が少ない、わからないと観終わった人に怒られたこともあったけど、そんなふうに個人個人の感性で感じてくれることが嬉しい」と本当に嬉しそうに答えてくれた。
 映画作りをしていて、その説明の多寡には最も神経を使うのだと言う。し過ぎず、しなさ過ぎずのギリギリの線はどこかと探っていくのがこだわり、と。
 説明が少ないと、「わからないじゃないか。不親切だ」と思われてしまうのが今の時代。過剰に説明が加えられ、テレビでもご丁寧にスーパー文字で「どういうことか」を教えてくれる。坪川さんは、映画の中に監督として伝えたいメッセージはあるとしても、受け取った人ひとりひとりの中にいろいろな記憶があったり体験があったりするわけで、それと照らし合わせていろんなことを考えて貰っていい。どんどん自分の世界に入って行ってくれてもいいと言う。
 なるほど、映画は触媒で、あるいは“乗り物”で、それぞれが持つ記憶のポケットを開いていくというエキサイティングな心の旅なのだ。

 今回、出身地の室蘭に家族と共に移り住み、西胆振を舞台にした映画「モルエラニの霧の中」を制作しているとのことで「元気びと」に出ていただいたが、これまでのいろいろな思考の積み重ねからの気づきや、作り手としてギリギリの崖っぷちに立たされてはその都度何かに救われてきたであろう人ならではの表現がとても面白く、どんどん深いポケットを覗いてみたくなった。

坪川拓史さん 坪川さんの映画は、歳月を丁寧に積み重ねることで形作られる。海外の映画祭での評価が高かった『美式天然(うつくしきてんねん)』は9年、福島県が舞台の『ハーメルン』は東日本大震災を挟んで5年もの歳月を費やしている。それどころではないという状況下での最も深刻な中断を始め、銀杏が黄色に色付く直前の思わぬ降雪などの中断もあり、それでも人の不思議な繋がりで完成していく撮影秘話は坪川さんの書かれる文章や講演などで是非とも触れてほしいものだが、なぜ、困難に次ぐ困難に見舞われても作り続けるのか?
 原動力は「人」だと言う。何かに取り組むその過程で人に恵まれる。自分は「や~めた」と言わないだけのこと。もし、“あの時”“あの人”が自分の前に現れなければ今に至っていないことが沢山あると言う。「だから、いつのまにか口癖が“大丈夫”になっていました」と。

 危機に瀕すると、決まってどこからともなく救いの手が差しのべられるというのは、「撮っている」のではなく、何かに「撮らされて」きた人なのかもしれない。
 室蘭では、坪川映画を媒介にどんな偶然が人と人を繋ぐのだろう。3年前に移り住んだ室蘭周辺は、「ほんとうに素敵な場所」と話す。地元の人達は「何もないところ」と言うが、手付かずの自然の風景と工場群などの両極の景色が映画の舞台として興味をそそられるし、「文化もない」となぜか皆が言うが、実際にはそれを支えている人々の魅力も尽きないと語る。見えない空気までも映し、記憶の深いところで何かを感じさせようとする丁寧な映画作りの中から何が見えるのか。「目下、順調に撮影は遅れています」と笑わせるが、楽しみに待つ北海道発の映画がまたひとつ出来た。

 最後に、坪川さんの「宝もの」の聞き取りで心に残った言葉を。
 「宝もの」である息子さん9歳を去年ポーランドの映画祭に連れていった際、足を伸ばして一緒にアウシュビッツ強制収容所の「ビルケナウ博物館」を訪れたというその思い。
 「子供には可能性がいっぱい詰まっている。今は難しくて全部わからなくても、10年後20年後に思い出してその時々で何かを感じられるはず。そして、戦争は誰が加害者・被害者ということ以上に、人は戦争によってこんなふうにもなるんだということを忘れないでほしい」

 この収録と放送の間に69回目の終戦記念日が訪れたが、私も全く同感の思いで、今年さらに考える意味合いが濃くなったその日を迎えた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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