6月15日放送

 5月25日放送分のインタビュー後記で、「風景そのものは、変わらない“事実”として万人の目に等しく映るが、その意味する“真実”はとなると、見る側の経験値や視点、なによりその人の心の高低浅深によって変わる」という、“ものの見方”について寄せていただいた感想をご紹介した。ものごとをどう見てどう判断しているか、そのものごとと自分とをどうコミットさせているか、その人自身が経験や学びを元に作ってきた“引き出し”(或いは“壺”、或いはパソコンで言う“フォルダ”)が試され、生き方そのものが試される重要な要素だ。
 例えば、「北海道」という場所。「空気が綺麗」「大自然に囲まれた大地」「歴史が浅い」「フロンティアスピリットに溢れた場所」「美味しい食べ物」「人気の観光地」・・などなど、どれもこの場所の象徴的な見方ではあるが、「その昔、アイヌ民族が自然と共存しながら神と暮らしていた大地」という視点で見てみると、ぐっと歴史の濃度が増す。暮らし方の知恵の多様性にあふれる。
 北海道という大きな“引き出し”の中には、確かにアイヌ民族が生きた歴史があり、その奥に仕舞われた“小箱”の中には、自然や生きもの、大地と生きる方法や、自然と織りなした文化があり、神話という宝ものによって受け継がれてきた伝統がある。世界の先住民族に言えることだが、そこには「今」まさに必要な知恵、思い出すべき叡智があるはず。

結城幸司さん そんな思いで、「ほっかいどう元気びと」今回のゲストに、「アイヌアートプロジェクト」の代表を務める結城幸司さんをお迎えした。
 現在札幌に住み活動する結城さんは、版画家、ミュージシャン、アイヌ文化の語り部と沢山の顔を持つが、伝えたい思いは明確だ。現代に生きるアイヌとして、アイヌの文化や伝統を今の時代のやり方で受け渡していきたいということ。先住民族が営んだ昔の暮らし方にそっくり戻すことは現代では難しいが、脈々と受け継がれてきた「自然と共生する大いなる知恵」を今に生かすために働きかけていきたいということ。声高に価値観を主張するのではなく、北海道に生きるすべての人達が、溶け込み、混ざり合い「共に生きる」という未来を目指したいのだと話す。
 結城さんは、家庭の事情もあって、8歳の頃に一旦北海道を離れて関東で育ち、東京で仕事を得て普通に働いていた時期があったそうだ。しかし、バブルが弾けて会社が立ち行かなくなった30代の頃に、自分の生き方と真正面に向き合うことになり、苦しむ中でネイティブアメリカンのことを書いた本に出会ったことが転機になったと言う。アメリカの先住民族、その受け継がれる暮らしの知恵や考え方、神話の意味合い・・読み進めるうちに、これは小さい頃にアイヌのおばあちゃんが聞かせてくれたことと同じだと気づき、改めてルーツを深く考えるきっかけになったと。「再び、アイヌ文化に出会った」と結城さんは言うが、社会全体が何かのきっかけで揺らぐ時、やはり人は、先人が培った普遍的な知恵や大事な精神性に立ち返っていくのかもしれない。
 そして、その“培ったものに立ち返る”という時、それは何もアイヌ文化だけに限らないのだと付け加える。日本人の祖先が土地と共生するために育んだ叡智の中にも実はヒントが沢山含まれているかもしれないと。
 ネイティブアメリカンとアイヌ文化に共通項があるように、もしかしてこの地球で何かを踏みにじらないで多くのものが共生して生きていく気づきの根っこが、手繰っていくと皆ひとつの叡智につながっているとしたら、それをどう思い出すかなのだろう。私達の国が近代化を進める中でマイナスだと思って排斥しようとしたものの中に、実はその土地や生きもの、それと繋がる人をも再生する大いなる知恵が隠れているとしたら、それは何なのかと丁寧に思い出すこと。
 「ほっかいどう元気びと」では、様々な分野の方にお話を伺っているが、それぞれのアプローチの仕方でその大切さに気づいている人の多さに何度も感激させられてきた。そして、結城さん然り。
 ものをみる視点は多様性に溢れている方が真実に近づける。
 北海道はまさにそういう多様性を包含できる可能性を秘めた大地であり、そういう気づきの人達の集合体になっていく可能性の高い大地なのかもしれないと改めて思う。

結城幸司さん 「あなたの宝ものは何ですか?」その問いかけからも個々の視点のバリエーションが伺えるが、結城さんとのやり取りを通して感じたのは、まさにその“多様性”。「ものを見る視点に想像力こそ必要」・・ということだ。
 結城さんは、「北海道が宝もの」と答える。「北海道のこの空気、見るもの感じるもの、イマジネーションもここから生まれてくる。“この土地の意識と繋がること”・・そう思えることが僕の宝ものかもしれない」と。
 “土地の意識と繋がること”とはどういうことかと紐解いていくと、「葉っぱも“伸びたい、あのお日様を目指したい”と毎日思っている。川もそう。自然の中のひとつひとつに意識がある」との答え。結城さんは落ち込んだり人に疲れたりすると、川に行って流木を拾いに行くそうだ。「流木は様々な森から流れてくる。流木を見ていると余分なもの全部取り払われて最後に残った形なので、こういう人間になりたいなと思えて気持が落ち着いてくると話し、そうして続ける。「流木のような言葉を出し、流木のような人間になりたい。それは、削ぎ取られていて、シンプルな、でも伝わるものがあるから」と。
 語り部はこうも表現する。
 「どこの森から来たのか、激しい流れの中を越えて来たんだなと想像が膨らむ。流木自体が語り部であり、いろいろなものを与えてくれるんです」
 “自然が生むものには皆意志がある”という言葉を聞いて、私は自分が深く傾倒してきた宮沢賢治もそういう考え方でしたと伝えると、自然の側や生き物の側に立って、“そちら側から物語を伝えていく”という意識が実はとても大切なことなのだとさらに話が弾んでいく。川が喋る、熊が話せるという“擬人化”ではない、そっち側に立てる身体を持つ・・ということだ。
 そうか、宮沢賢治を深く手繰り寄せていくと、根っこの先がアイヌ文化の神話とも繋がっている。その交わる普遍が「今に生きるヒント」だとしたら・・・ほんとうに面白い。
 何かと出会っていく、共感する、繋がっていくということこそ、人がこの理解し尽くせない世の中で探り当てる“ほんとうのさいわい”だ。

(インタビュー後記 村井裕子)

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