4月20日放送

 今から2年半前の2011年9月18日の「ほっかいどう元気びと」は、置戸町から管理栄養士の佐々木十美さんをお迎えして、学校給食を日本一にまで導いたその取り組みの原動力を聞かせていただいた。地元の食材を使い、添加物を排除した手作りが信条で、食本来の美味しさを子供達に提供したいとの熱い思いは熊の出る山へも分け入って山菜やキノコを採ってくるほど。自称「給食の鬼」とその矜恃を語ってくれた。
 自慢の手作り味噌で作る味噌汁や名物カレーにも惹かれたが、その心尽くしの給食を地元の工芸品である「オケクラフト」の器でいただくという話に、「先割れスプーン」世代としてはなんと心豊かな取り組みかと羨ましく思った・・と、インタビュー後記に書いた記憶がある。

佐々木寛之さん 今回の「ほっかいどう元気びと」は、そのオケクラフトの作り手である佐々木寛之さん 38歳。札幌での会社勤めを辞め、オケクラフト職人を育成する養成塾での2年間の研修を終えて、この4月から新人職人としての一歩を踏み出したばかりのUターン組だが、寛之さんは佐々木十美さんの息子さんだ。親子二代で地域の文化を牽引することになった「元気びと」にお話を訊いた。
 後で振り返った時に、あの時がターニングポイントだったとわかる時があるが、佐々木さんはまさに今だったと、後々振り返ることがあるのではないだろうか。本州の大学を出て、札幌の鞄・靴修理会社に勤務していた佐々木さん。コツコツとその与えられた仕事をこなし、同級生だった奥さんと仲良く暮らしていた日々に、同郷の奥さんの妹さんから何気無い話で「置戸のオケクラフト職人養成の募集をしている」との連絡を受ける。その時は何となく聞いていたが、一日経っても二日経ってもそのことが頭から離れない。もしかして自分がやりたいことはそれだったのではないだろうかと思い立ち、面接と実技試験を受けて合格。2年の研修を受けて、この春職人としてスタートすることになった・・・という成り行きだったそうだ。
 実際に故郷にUターンして取り組み始めてみると、当初「工房でひとり黙々と作れればいいかな」と思っていた思惑はちょっと違うことに気づいたと言う。オケクラフト職人イコール“置戸のまちづくり”を一緒に考える人。人と話すのが苦手と言う佐々木さんだが、オケクラフトを作る職人も、お客さんとの接点も求められるし、いわゆる誰が作っているかがわかる「顔の見える職人」の打ち出しも必要と感じるようになったそう。そして、去年30周年を迎えたオケクラフトも、地方の抱える高齢化、後継者不足、指導者の確保、原料の調達などで新たな取り組みが求められているということも、帰ってきて初めて実感として迫ってきたそうだ。

 あるひとつの流れの中で、あれよあれよというまに「まちおこし」の担い手になっていたということなのかもしれない。人生って、そういうもの。何かに引っ張られるようにその道を進むことがよくあるが、それが“その人の与えられた役割”と、これも後で気づくことがある。

佐々木寛之さん 恒例、録音終了後の「あなたの宝ものは何ですか?」の問いには、おっとりとした雰囲気で「運がいいのが僕の“宝もの”かな。人に恵まれてここまでやってこられた」と答える。これまでの38年間、家を出るまでは“好きなことをどんどんやりなさい”とバックアップしてくれた両親の支えがあり、その後もトラブルもなく平穏にやってこられたのはいろいろな人の支えがあったから、と。そして、「一番の奇跡は結婚。こんな自分とよく一緒になると言ってくれたと思う」と、謙遜しながらも思いを語ってくれる。
 静かで穏やかな物言いの中にもちょこちょこっとユニークな言葉が出てくるので、思わず“B型的”な質問をしてみた。
 「ガスの火で言うと“トロ火”でコトコトという印象ですが、これまでの38年間、ガーッと強火にしたことはありますか?」
 人懐っこい笑顔になった佐々木さんは、「それが無いんですよ」と言う。でも次の瞬間、
 目がきらっと光って、「でも、それが“今”だと思うんです!」とキッパリ。
 会社も辞め、これから職人として食べて行かなくてはならない。そして、真剣に町のことも考えていかなくてはならない。話し下手も変えていかなければ・・と、決意表明とも取れる「強火宣言」が飛び出した。
 いいなあ・・人が変わっていく、変わろうとしている瞬間。

 母親が尽力してきた置戸の子供達のための食作り。期せずしてバトンを受けて、食を美味しく演出するオケクラフトの職人としてふるさとに生きる次の世代の静かに燃える志。
 「きっと、そういうふうになっていたんでしょうね」と、縁(えにし)をしみじみ感じていたのが伝わってきた。
 その人その人の「強火」は、それぞれに“その時”がある。
 それぞれに備わっているエネルギーをどう使ってどう燃焼させるか・・・その取り組みこそが、その人の生まれてきた意味なのかもしれない。

(インタビュー後記 村井裕子)

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