3月9日放送

 先月、立て続けに2本の邦画を観た。
 『永遠の0』と『小さいおうち』。どちらも第二次世界大戦に日々を翻弄されながらも精一杯生きた人々の姿を描いていて、(クローズアップするものは全く違うが)“戦争の悲劇を繰り返してはいけない”という思いが真っ直ぐに伝わってくる作品だった。
 ベストセラー小説『永遠の0』の原作者と、『小さいおうち』の映画制作のメガホンをとったベテラン監督とは、戦争や時代の捉え方に対して考え方が大きく違うというのは、これまでのそれぞれの表現活動から察することができる。これからの日本は何処に向かって行けばいいのかという方向性や手法に関しての、いわゆる思想信条というものの違い。そんな立ち位置の違いも個人的には“注意深く”観てみたのだが、作品としてどちらも純粋に感動出来たのは、その思想信条にまつわる諸々の方法論云々を突き抜けて、最も大事にしたい「人の命の大切さとその営みの尊さ」が丁寧に描かれていたところだ。
 そして何よりも、両方の作品どちらにも共通していると強く感じられたのは、次の世代に「伝えなくてはならない」という立ち昇るような熱い思い。「伝えること」をきちんと考えるということが、これから益々問われていくのだろうと改めて実感させられた二作品だった。

佐藤真美さん 忘れないように「伝えていく」というのは、震災の教訓も同じに違いない。
 大切なのは何よりも命。それを守るために「どう防ぐのか」「備えはどうするのか」「経験はどう生かすのか」「二度と同じ間違いをおかさないために何が出来るのか」・・・今生きている者達が、未来に生きていく者達へ果たさなくてはならない責務だ。
 3年前の3月11日に発生した東日本大震災。あの時を境に人はどうあの震災に向き合い、何を考え、何を選択してきたのだろう。そこから何を伝えていくことが出来るだろう。
 3月9日の「ほっかいどう元気びと」でお話を訊いたのは、根室市立花咲小学校教諭の佐藤真美さん 23歳。福島県相馬市出身の佐藤さんは、ふるさとから遠く離れた場所で「震災の語り部」になっていこうと道東で教職に就く進路を選んだ理由を話してくれた。
 佐藤さんが先生になるため単身釧路の大学で学んでいた時に東日本大震災が発生。相馬市沿岸で「釣り宿」を営んでいたご実家が津波で流されるという辛い経験をされている。ご家族は無事で、その後再建に尽力され、現在は宿と食堂を営むまでに復興。自分だけ北海道にいることで葛藤もあったという佐藤さんだが、「地元を離れているからこそ出来ることもある」という恩師の助言もあり、道東で教職に就くことを決意。未だかつて経験したことのないふるさとの震災のことを「語り部」として子供達に伝えていきたいと、根室の花咲小学校で教諭生活をスタートさせたという。
 小学校の先生を選んだのは、「大人が絶望感を抱いても、子供達は将来を見つめ、明るく生きている」ということに震災後気づき、その子供の力を高める先生になりたいと思ったからだそうだ。

佐藤真美さん 「自分も伝えていかなければ」という突き上げられるような思いは、初めて遭遇するご実家の被災やふるさとの痛手を目の当たりにした中から出てきた思いなのだろう。
 今居る道東は地震や津波被害に備えなければならない土地だけに何かの役に立ちたいと話す佐藤さん。とはいえ今は新米の先生として覚えることを覚えて一人前になるのが先決と、あどけなさの残る笑顔で話してくれた。
 ふるさとの代弁者として、それをつぶさに調べ、聞き取り、正しくわかりやすく説明する表現力を自分のものにするまでには沢山の努力も経験も必要になるだろう。教育者として悩むことも向き合わなければならないことも山ほどあるだろう。だが、役割は人を成長させる。先生としてのキャリアと、ふるさとの復興の1年1年を大事に積み重ねた中から、“語り部”の初心を貫いて、実のある「防災教育」に取り組んでいってほしいと、案じる母のような思いでインタビューを締めくくった。

 震災から3年。いろいろな思いを抱えながら前に進んでこられた渦中の方々に思いを馳せると、何年経っても胸が詰まる。他の都市が何事もなかったかのようにいろいろなことを忘れ、何事もなかったかのようにどんどん前に進むのを見せられるだけで、辛い現実を抱えたおひとりおひとりは置き去りにされたような気持ちになるだろう。
 3年の時が経ち、そして、“そこから先”に何が必要になってくるのか。
 前述の映画二作品の、もうひとつの共通点をふと思い起こす。
 どちらの作品も、「あの時代の人々」と括るのではなく、「あの時代の個人」の様々な思いや機微をつぶさに拾い上げようという気概に溢れていた。歴史の中で束ねられて手垢が付けられ「事実」とされてきたものではなく、ひとりひとりが実際に体験して実感したほんとうの「事実」を伝えたいとの気概が。
 東北のひとりひとりの思いもまた、「被災者」と一括りに束ねることなく丁寧に拾い、伝えていかなくてはならない。「死者」「行方不明者」と何度も繰り返す束ねた表現の中にも、そのひとりひとりに大切な人や思いを込めた仕事、叶えたい夢があったという事実を忘れないように伝えていかなくてはならない。
 3年、そしてそこから先は、さらにそんな段階に入っていくのではないかと思う。これまで以上に、それぞれの“人間力”を総動員して向き合う段階に。

(インタビュー後記 村井裕子)

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