3月2日放送

酒井政明さん 「ほっかいどう元気びと」、今回お話を聴かせていただいたのは岩内町のNPO法人「ホーストラスト北海道」マネージャーの酒井政明さん 40歳。
 酒井さんは、引退した競走馬を預かり自然に近い環境の中で余生を送らせる「養老牧場」の運営に力を注いでいるが、2011年の東日本大震災の直後には福島で被災した馬を北海道に避難させて欲しいという依頼を受け、被災地まで自らトラックを駆って引き取りに行ったという経験もしている。人と馬とのどんな共生を目指しているのか、人間のために一生懸命走った競走馬のその後にどんな思いを抱いているのか、馬のいる北海道の将来像をどう描いているのか、訊いてみた。

 酒井さんは、騎手になりたいという夢を抱いて「門別競馬場」で厩務員を努めたが、希望は叶わずにその志を断念。一旦違う仕事に就いたが、やはり馬の世界に関わっていたいとニセコの乗馬クラブに勤めたのち、ご自身で「ニセコ乗馬ビレッジ」という乗馬施設を立ち上げたという。そんな流れの中で2009年に馬の養老牧場であるNPO法人「 ホーストラスト北海道」の設立に奔走したのは、「馬で仕事をさせて貰った自分が、馬への恩返しをしたかったから」だったそうだ。

酒井政明さん 全国で年間7000頭が産まれる競走馬。「その馬たちは現役を終えると現状どうなっているのか?」との問いに「最終的には大部分が処分されてしまいます」と答える。「馬はいわゆる“経済動物”の立場ですから」と。競走馬の役割を終え、乗馬クラブなどに引き取られるケースも多いが、そこで使えなくなった馬はやはり処分されてしまう。道内にも十箇所ほど「養老牧場」を営むところがあるが、いずれも個人の強い思いで運営しているだけで組織的な成り立ちにはまだなっていない。酒井さん達は、NPO法人にすることで少しでもその「仕組み作り」をし、北海道に「養老牧場」を広げていきたいという夢があるという。競走馬にとって人のために走ることが第一の人生なら、乗馬クラブなどで働くのが第二の人生。その後の第三の人生を穏やかに送れる場所を作ってあげたいのだ、と。何も競走馬のその後に関しての今のあり方をすべて変えようということではない。当然全部の引退馬を引き取れるわけではない。だが、せめて自分の所にやって来た馬との出会いを喜び、最後の時を過ごさせてあげたいのだと話す。
 そして、競争馬のその後について一般の方にもちょっとでも意識を持って貰い、この仕組みが定着して行けば、北海道という場所で「引退した競走馬が自然の中で過ごせる牧場」という地域の取り組みにも繋がっていくのではないかと将来への思いを語ってくれた。
 とはいえ、その背景には、「馬の養老牧場」の認知度が低いために、誤解や反感をかうこともあり、「趣味でしょ?」とか「動物愛護?」といった受け取られ方や、「死んでいく動物を飼うなんて」といった冷ややかな声も中にはあったそうだ。
 酒井さんは、定着への難しさも含ませながら、何度も「恩返しのつもりで」という言葉を繰り返す。「養老牧場」はいわば彼らが数年間余生を過ごすところ。寿命を迎えるまでそこで過ごせる時間は限られていると思うと、こういう形で出会った馬にはせめて幸せになって貰いたいと、何度も馬への思いを語る。

 動物とどう共生していくかはとても難しいテーマだ。
 東日本大震 災の直後に、原発地域から避難させた馬を北海道に連れて来るために東北へ出向いた際にも、様々な声があったという。
 千年も続く祭りで神事でもある「相馬野馬追」が毎年開かれる福島県南相馬市。競走馬の引退後を個人で引き取ることも多いその周辺の土地が帰還困難区域や居住制限区域になり、人も馬もその場所を追われ、その避難させた馬を一手に預かっていた人からの酒井さんへのSOSだったそうだ。
 まだ交通もマヒし、人の救助もままならない地区もある中で、「馬を引き取りに行くなんて何を考えているのだ?」とも言われた酒井さん、その時どんな思いだったかを訊くと、「ただただ“どうにかしなければ”」と思ったのだと言う。「あの大震災と原発被害の中で、他の人の馬をも避難させ預かっていたそのおじさんをなんとか助けたいと思ったし、自分の立場で出来ることがあるならば・・という強い思いだった」と。

 “あの時”とった行動。あるいは、とらなかった行動。
 それについて良かったのかそうじゃなかったのか・・その答えは誰にもわからない。悲しい出来事の只中で、人はやったこともやらなかったことも悔やんでしまう。自分を責めてしまう。3年前の3月11日、そしてその直後。おそらく、自分のしたことに自信を持って「良し」と思えた人はひとりもいなかったのではないか。しなかったことを引きずっている人もほとんどではないのか。無力、非力を突きつけられた未曾有の出来事。
 ただ、「強い思いでトラックを走らせていた」と話す酒井さんの話を聞いて、大事なことは「人がどう思うか、どう言うか」ではなく、「自分はどうしたいか?」の心棒を持つことに尽きるのではないだろうかと改めて思う。そこに「誰かのために」や「何かのために」という動機付けがあり、その行動が「私利私欲」ではないというモノサシがありさえすれば、真っ直ぐな心棒から底力が涌いてくるのではないか、と。

 あの震災で私たちはいろいろなことを考え、悩み、学んだ。そこから導き出した数々のヒントは、3年という時間を経て日常の取り組みにも少しずつではあるが生かされているのではないだろうか。
 酒井さんの今始まったばかりという「馬の養老牧場」作りへの思いを聞いて、改めてそんなことを感じた。 

(インタビュー後記 村井裕子)

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