2月23日放送

 2月が終わって3月の暦に変わると、まもなく東日本大震災から丸3年の日を迎える。
 この番組「ほっかいどう元気びと」がスタートしたのが、2011年の4月。インタビューは事前収録なので、第一回目の放送の作家・小檜山博さんの収録がすでに3月15日と決まっていた。あの、日本じゅうが茫然自失となり悲しみで立ちすくんでいる真っ只中での番組作り。“被災していない”自分は一体何が出来るのかとおそらく被災地以外の皆が自問自答していた中、この番組に携わる私たちも全く同様の思いに揺れていたが、今出来ることは当初の方向性通りに人の中の力にクローズアップして人が前に進む普遍的なヒントを丁寧に発信していこうということをぶれさせないことだと、関わる皆で確認し緊張気味で取り組んだことを昨日のことのように思い出す。そして、おそらく、あの震災があったからこそ、「私たちにとってほんとうに大切なものは何か」が大事なテーマとなり、この「ほっかいどう元気びと」の“船底”にもそんな外せない“錨”が取り付けられたのではないかと思っている。
 あの直後、北海道に住む私たちは“当事者ではない”という事実に引け目のようなものを感じながら、「何か出来ることを探さなくては」と焦りと行動力と無力感ごちゃ混ぜの心境の揺り返しの中に立たされていたような気がするが、時間が経って見えてきたのは、大それたアクションを起こせなくてもそれぞれが継続して出来ることを探し続けていくことなのではないかということと、「忘れない」と何度も決意し続けていくということなのではないかということ。そして、番組作りの皆で話し合った共通認識も、この時期は「人はあの震災とどう関わり、この先どう関わっていけるか」ということを発信し続けようということだった。

宮竹眞澄さん そんな思いの中、この3月を前にまずお話を聴かせていただいたのが、人を笑顔にさせる人形作りに取り組み、巡回展をする中で被災地の慰問展も続けているという東川町の人形作家 宮竹眞澄さん。
 石粉(せきふん)粘土で作られる30センチほどの人形は、農作業をする人や腕白そうな子供たち、ふくよかなおばちゃんたちの談笑など、どれもこれも懐かしい日本の風景が背景に見えてくるような佇まい。昭和の時代、こんなおおらかな笑顔の人たちが人と人の繋がりを大切に暮らしていたんだった・・と温かい気持ちになる。
 九州出身の宮竹さん、結婚後暮らしていた神奈川から一家で上川郡の東川町に移り住み、その農村の風景や、近所のおばあちゃんたちの気さくな人付き合いに触れるうちにそれまで趣味として手がけていた人形作りのテーマがふるさとを思い起こさせるものになっていったという。人形作家・宮竹眞澄の和の作風は東川町から始まった、と。
 そして、作るだけではなく、「心のふる里人形展」と題して全国の巡回展を実施し、2011年の夏にすでに予定してあった岩手県盛岡市での人形展を葛藤の中で開催。来てくれる人たちの話を涙とともに聞く中で是非とも慰問展を被災地でも催したいと思いたち、三陸地方や宮城県などでの開催もそれから毎年行っているという。
 宮武さんの口からは何度も「こんな時に人形展をしていいのかとも思った」という言葉が出てくる。そして、『復興へ』とタイトルをつけた人形を出展する時も「震災を題材にして作った人形を見て貰っていいのかと悩んだ」とも。
 だけど、どんなにか大変な目にあったかしれない人がわざわざ訪れてくれて人形の前でじっと佇み、涙ぐみ、思いを話し、そして、人形の笑顔と同じような笑顔が浮かんだ時に、「来て良かった。もっと私に出来ることはないか、もっと作れるテーマはないか」と思うのだと言う。そして、あの人たちにまた会いに行き、話し、一緒に涙したり笑ったりして、自分も人のために何か出来るのだと力を貰っているのだと思う、と。

宮竹眞澄さん 粘土から作った人の形の造形物。見る人はそこから何を受け取るのだろう。
 宮竹さんの人形の微笑みが「あのおばちゃんに似ている」とか、「まさに自分の子供時代だ」とか、「ふるさとが懐かしいな」といった郷里への思いや絆をストレートに思い起こすきっかけになるという楽しみもあるだろうが、例えばそんな造形物、絵画、文学、音楽といった“人の創作”に触れる意味合いというのは、もっともっと心の奥の部分から何かが引き出されるというところにあるような気がする。
 人の心の奥。そこには沢山の記憶が何層にも折り重なっていて、時とともに埋もれ忘れていく。しかし、何かの揺さぶりによって記憶の奥のカプセルが割れてはじける。遠い記憶のその断片がその当時の景色や空気感と共にプチっとはじけると、奥底にあったその人の“まだ見ぬ力”も炭酸の泡のようにともに湧き上がってくる。その“揺さぶりの装置”としてあるのが音楽や美術や文学といった創作物で、人が精魂込めて創り上げたそれらを聴いたり、見たり、読んだりすることで、知らず知らずに心の底からエネルギーが湧いてくるというのはそういう引き出され方をするということなのではないだろうかと思ったりする。
 あの震災の後、芸術・文学に携わる人たちの多くが、あまりの事実の重さに「今こんなことをしていていいのか?自分がやってきたことが果たしてこういう時に必要なのか」と葛藤し自問自答していたが、人の感受性を揺さぶる仕事は、だからどんな時代でも絶対必要なのではないかと思うのだ。

 そして、芸術家でも音楽家でもない私たちもまた問われ続けるのだろう。
 「あなたはあの震災で何を考えましたか?」「あなたにとって大切なものは何ですか?」「忘れないために何が出来ますか?」
 どこまでいってもその問いかけは続く。
 そして、ふと、私たちは確かに“震災後”を生きているのだなと改めて思う。

(インタビュー後記 村井裕子)

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