12月29日放送

 自分が仕事をしている未来像。60歳、70歳前半位まではおぼろげながらもイメージしていたが、70歳後半から80歳以降となるとほとんど霞がかかって判然としない。
 現在自分が50代半ばというのも我ながらびっくりする現象で、ここまで来ればそれ以降の年齢など「あれ、今いくつだったっけ?」と、見て見ぬ振りをしていこうかというのが正直なところなのかもしれない。
 ただひとつはっきりしている理想は、「若い時には年上に可愛がられ、年をとったら若い人に慕われる」ということ。
 そのためには何が必要なのだろうと考える時に、「元気びと」の数々の言葉や姿勢がヒントになる。

彩木雅夫さん 今回の「ほっかいどう元気びと」のゲストは、北海道在住の作曲家で1960年代から80年代にかけて数々のヒット曲を世に送り出した彩木雅夫さん、80歳。
 彩木さんと言えば、「長崎は今日も雨だった」や「年上の女」「なみだの操」など、昭和の人間なら今でもすぐに口ずさめる歌謡曲およそ300曲を手がけてきたヒットメーカーだが、その曲の多くが会社員時代の二足のわらじで生み出されたものと聞いて改めて驚く。
 彩木さんが北海道放送に入社したのが1958年(昭和33年)。17年勤めた後1975年には退社されているので、1979年入社の私はHBC局員としてご一緒することはなかったが、彩木さんという作曲家が社員だったという話はよく先輩から聞かされていた。
 私が新人のその当時は放送創世期を担った人たちもまだまだ意気盛んで、美術や音楽、芸術に関しての造詣の深い人たちもおり、さすがに放送局は文化の送り手なのだなと思ったことがある。

彩木雅夫さん 彩木さんは、静かな口調で、社員当時は毎週金曜日だけはお酒を飲まずに土曜日朝早く起きて作曲をしていた二足のわらじのエピソードや、技術職で入社後ラジオの制作のディレクターとなり、当時流行っていた曲へのリスナーの反応が作曲をする時の大きなヒントになったという感謝の思い、そして皆に愛された歌のひとつひとつの背景なども訥々と話してくれた。
 静かな口調が、一転してぐっと温度を帯びたのが、今最も夢中になっている「初音ミク」の話をし始めてから。
 ボーカロイド(音声合成技術)としてインターネットの世界で一躍ブームを巻き起こしている「初音ミク」。“彼女”に歌わせる曲を作っているひと時がとても楽しいとその口調がどんどん明るいものになる。
 「あなたの宝ものはなんですか?」のコメント聞き取りの際にも、ニコニコしながら、「それはもう、初音ミク!おじいちゃんは恋してしまいました」とご満悦。その存在は、「ハートがあるひとりの女性歌手として認めたい」。
 何でもネットの世界では、初音ミクに楽曲を提供する80歳の「まさP」は、若者の間で話題になり、ニコニコ動画での再生は10万を超えて「殿堂入り」を果たしたのだとか。
 「若い人たちに“カッケー!”と言われるのが嬉しくて」と顔をほころばせる。
 「現在の彩木さんの“宝もの”は初音ミク。では、これまでの彩木さんの300を越すヒット曲は?」と尋ねてみると、彩木さん、「それらはもう、皆さんのもの。その“宝もの”は、皆さんの心のどこか、片隅にあるんでしょうね」という答え。(その言葉、カッケー!)

 年齢を重ねても何か新しいことに挑戦し、未だワクワクする心を失わない人は、「過去」より「今」、そして「未来」を大切にしている。若い人に迎合するのではなく、自分のアンテナを磨いて、自由な心でこの先を楽しもうとしている人が若い人たちに一目置かれる「格好いい」大人なのだ。
 昭和のヒットメーカーの彩木さんも、やはり時代をつかまえるセンスが健在。「長崎は今日も雨だった」は過去でも、どっこい「今」をちゃんと捉えているのが流石だ。
 初音ミク×彩木サウンドは、北海道出身×北海道出身で、また何かやってくれるかもしれないと感じさせて貰ったインタビューだった。

(インタビュー後記 村井裕子)

※2013年も、北海道で活躍している人たちの原動力、前に進む力、気づいた人生観をお届けしてきたHBCラジオ「ほっかいどう元気びと」。
新しい年2014年も引き続き放送とインタビュー後記にお付き合いいただければ幸いです。
新春第一弾、1月5日の放送は、80歳でエベレスト登頂を成し遂げた三浦雄一郎さんがゲスト。年齢をプラスにして、ひたすらに夢を叶えてきたその「思いの力」をインタビューで紐解き、ラジオをお聞きの皆さんに今年一番の元気をお届けします。どうぞお楽しみに。

HBC TOPRadio TOP▲UP