6月2日放送

 夢を叶える方法は、人それぞれいろいろな取り組み方があるが、これまで「ほっかいどう元気びと 」に登場した何人もが言っている共通キーワードがある。
 「夢は言葉に出すこと」。
 言葉に出すことで、同じ志の人たちが集まり協力してくれる。言っているうちに必ず方法が見えてきて、偶然の出来事が連鎖していく・・・そんな「法則」があるかのように、皆確信を持ってそう話す。
竹津宜男さん 今回のゲスト、札幌の音楽文化を長年に渡って牽引してきた竹津宜男さんもそのおひとり。
 広島県福山市出身の竹津さんは、1961年札幌交響楽団創立楽団員のホルン奏者として来道し、以来、「札響」事務局長、「PMF」組織委員会のオペレーティング・ディレクター、「札幌コンサートホール kitara」の創設にも関わり、現在は「NPO法人北海道国際音楽交流協会(HIMES)」副理事長、「PMFを応援する会」会長を務められている。
 竹津さんが音楽の道を全うし、その後も札幌の街を文化の香り豊かな都市にするために力を注いでこられた原動力を伺うと、「思ったことを口にすることかな」と経験からくる確信を話してくれた。こうしたいと思ったら口に出して言う。そうすると、同じように思っていた人が必ず現れる。それはもう不思議なくらい。だから沢山の人のお陰なのだと。
 そうして竹津さんは、付け加えてこんな表現もされた。「口にした言葉は、自分の耳も聞いている。それが原動力になる」と。

竹津宜男さん 「夢は口にすることで叶う。なぜならば、それは自分の耳が聞いているから」
 それはほんとうに真理なのではないだろうかと、私も強くそう想う。
 言ったからには人は動かなくてはならない。有言実行。大人としての、人としての鉄則。人は、口に出すことで重い腰を上げるスイッチがONになるのではないだろうか。
 人は、いくら人に「こうしなさい、ああしたほうがいい」と言われても、自分で納得しないことは行動につなげることができない。自分の腑に落ちて口に出した言葉は、案外そのハードルを飛び越える。その気概こそが周りを感動させ、より良い方に巻き込んでいく。

 そうして、自分の言葉は自分の耳に届き、それは脳にも伝わっているという説もここのところよく聞かれるようになっている。現代の脳科学が説明するまでもなく、昔から言われてきた「人にバカと言うと、自分がバカになるよ」という戒めなどはまさにそのことだ。
 もし、自分の口で相手も自分も卑下し、否定し、先行き絶望的な言葉を言い続ける実験などがあるとしたら、その人はやがて孤独という牢獄の中で、自分にも世界にも未来にも絶望してしまうだろう。(そんな実験はあるはずもないが、想像するとほんとうに怖い)
 反対に、毎日夢を叶える言葉を口にし、それを実現出来る自分を信じる言葉を口にし続けていたら、きっと、その人の心は満たされ、幸せなエネルギーから発せられた言葉は周りの人の心をも支えるだろう。
 仮に「夢を叶える」目標の途上であっても、その人の周りには魅力的な人達が引き寄せられ、自分の役割を果たせている感謝の思いで「夢を叶える」ことと同等の心の豊かさを実感しているのではないか。
 希望的な言葉は人を生かし、絶望的な言葉は人を萎えさせる。
 言葉の力は偉大。
 私は、「言葉にすることは、宇宙にオーダーすることだ」と感じている。
 自分の口で言ったことは、宇宙の中に解き放たれ、やがて巡り巡って何かのエネルギーとともに自分に返ってくると。まるで、通販で気に入った洋服をオーダーするように、言ったことは必ず宇宙に届く。だから、その「発注」には細心の注意を払わなくてはならない。そんなのどう実証するのだ・・と言われても説明のしようがないが、真偽の程よりも言葉の力やそれによって引き出される人の中の可能性を信じるという心のありようこそが大事だと思っている。

 札幌の音楽文化を長年支えてきた竹津さんの北海道での人生の一歩も、「最初に言葉ありき」だったそうだ。
 「藤原歌劇団」の東北・北海道演奏旅行のホルン奏者に請われて参加した際、始めて足を踏み入れた札幌の街が魅力的だったために最終日の交流会でふとこんな言葉を発した。
 「札幌は美しい街、こんな街にオーケストラがあったら飛んできます」と。
 竹津さん、25歳の若かりし頃。
 その翌年、札響創立にあたって「みんなの前で、札幌に来てくれると言ったのは本当ですね」と声がかかって来札することになったというエピソードを楽しそうに話してくれた。
 竹津さんが自分で宇宙にオーダーしたのだ。ご自身が北海道で役割を全うするという未来を。

 「大変な時代」と言われ続けて久しいが、良き想い、良き言葉を溢れさせる日常の積み重ねはきっとより良いものを引き寄せてくれる。
 夢を叶え、尚その先に行こうとする「元気びと」が教えてくれるたいせつなこと。

※竹津宜男さんは、2014年7月5日に急逝されました。
札幌を愛され、文化の街にする ための数々のご功績に敬意を表し、心からご冥福をお祈り致します。

(インタビュー後記 村井裕子)

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