4月21日放送

 世界で読み継がれている絵本がある。
 スーザン・バーレイの「わすれられないおくりもの」。
 年老いた主人公のアナグマは、自分が死ぬのはそう遠くないことを知っているが、それを恐れてはいない。やがてアナグマは旅立ちの時を迎え、森の生き物たちは悲しむが、それまでアナグマと触れ合ってきたキツネやカエルたちは、ネクタイを結ぶのが上手だったり、スケートがうまく滑れたりする事に気づいてゆく。それは全て亡くなったアナグマから教わった事。
 命あるものが、この世に生き、死んでいくということは、亡くなった後も何らかの形で残された者の中に息づいているという、生きることの価値が優しく伝わってくる物語だ。

森まゆみさん 今回の「ほっかいどう元気びと」のゲスト森まゆみさんは、「その絵本のアナグマのようになれたらいいな」と話す。人生観はどういうものですか?という問いへの答え。「人生観」というより、「死生観」と言ったほうがいいかもしれない。
 「私が発信したパンの情報を通じて、私のことは忘れても、誰かの中にパンに対する何かが少しでも残ってくれたらと思っています」
 そう話す森さんは、北海道で活躍するパンコーディネーター。パン好きが嵩じてパン屋めぐりを続けたことが森さんならではの「引き出し」となり、道内各地のパン事情の取材やパンのある暮らしの提案を通して、パンの美味しさや楽しさを発信し続けている。
 そういえば、「わすれられないおくりもの」の中にも、アナグマに料理を教わったウサギの奥さんが出てくる。しょうがパンの焼き方を教わったウサギの奥さんは、「はじめてりょうりを教えてもらった時のことを思い出すと、今でも、やきたてのしょうがパンのかおりが、ただよってくるようだ」とアナグマから貰った知恵や工夫を大切な宝ものにしている。

森まゆみさん 自分がこの世からいなくなった時、人の記憶に宝もののように残っていて欲しいという思いは、森さんが2011年と12年に癌を経験したこととも無縁ではないだろう。
 自分のケースを知って貰って、同じような経験の人達に「こういう選択もあるのだ」という選択肢を提供できたらとの思いで公表したという癌治療の体験を、森さんは理路整然と感情を入れずに話す。
 抗がん治療のため味覚障害が出た時に大好きなパンの味もしなくなり、「ここのパンはこういう味がした」という記憶で食べたと言う。抗がん剤を続けることで味覚が戻らない可能性があるのならと、主治医と相談して6回のうちの5回を終えたところで抗がん剤を止める選択をし、その後味覚が戻って仕事に復帰できたのだそうだ。
 収録後にもその話がしばらく続いたが、時には深刻な思いにもなったであろう癌の経験を森さんはさらりと話す。その強さ、明るさはどこから来るのだろう?

 恒例の「あなたの宝ものは?」のやりとりをする中で、その森さんの考え方が紐解かれていった。
 森さんの「宝もの」は「経験」。話された言葉をそのまま引用すると、「私の人生にはどうもアクシデントが多く、難問が降ってくる回数が他の人より多いらしい。どうやら、いろいろな経験をさせられているみたいなんです」。
 若い時にはそのひとつひとつに翻弄されたこともあったそうだが、年を重ねるうちに「受け入れる」ことが出来るようになってきたそう。そうして、「これは私にとっての『宿題』なのだと受けとめるようになって、前向きな対処法に変わってきた。大事なことは自分がそれをどう受け入れるか」。
 年齢というのはほんとうに宝ものだと私も思う。
 森さんが、ふいにいたずらっ子のように「自分のこの一生で、答えを出そうと頑張って取り組むことは勿論だけど、し残す宿題があってもいいかなと最近は思っている」と話す言葉に触れて、その力の抜け方が「年齢からのおくりもの」なのだとつくづく共感した。
 「最後は、随分頑張った一生だったと思いながら終わりたい」と話す森さんの人生の締めくくりのイメージは明確だ。人生観は勿論、死生観をこうやって言葉にすることはいろいろな気づきに繋がることであり、これからの高齢化社会、「どう生き、どう一生を全うしたいか」というエンディングのビジョンをさり気なく交わせることはとても大切なのではないかと、改めて思うやりとりだった。

 「アナグマのようになれたらいいな」という言葉の深さを噛みしめているうちに、ふと、ドラッカーのある言葉を思い出した。
 「何をもって憶えられたいか」
 ドラッカーの恩師の言葉だそうだが、子どもや孫、或いはまわりの仲間たちに、「自分はどういう存在として記憶にとどめておいてもらいたいか」を意識しなさいということだそうだ。
 「今の自分よりちょっとだけよい自分を思い浮かべながら、日々を過ごすようにする」そうすることで、毎日の一挙手一投足が自然と「なりたい自分」へと向かっていき、5年後、10年後には自分が確実に変わっていくことを実感出来るようになるという。

 自分がいなくなった後を考えるということは、「今」をより良く生きるということに繋がっている。
 書いていて、鼻の奥の付け根がツンと痛くなった。
 「自分の人生、なかなかよかった」・・・その時そう思えるように、今がある。

(インタビュー後記 村井裕子)

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