12月23日放送

 「ほっかいどう元気びと」でいろいろな分野の方にお話を伺うのは、その方その方の経験や役割の積み重ねで出来た「引き出し」を開いて見せて貰うようなものだと思っている。
 表面の、例えば「陳列棚」に乗っている、皆がすでに見知っているものではなく、その奥に大切に仕舞われているその人の価値観や本質のようなもの。
 見せて見せてとねだるのではなく、ご本人が自然と開けたくなるようでなくてはいけない。そうしているうちに、「あら、私の引き出しって、そんな奥に自分でも気づかない『小箱』があったのね」なんていう気づきを起こしていただければインタビュアーとしての冥利。手品師のように人を喜ばせ、幸せにする役割が自分の仕事でもできるのだと、とても嬉しくなる。

尾高忠明さん 暮れも押し迫った「ほっかいどう元気びと」のゲストは札幌交響楽団の音楽監督で指揮者の尾高忠明さん。
 東京の演奏会を直前に控えてお忙しい中、都内にお訪ねしてお話を伺った。
 尾高さんのプロフィールは、プリントアウト2枚ぐらいにわたってぎっしりと埋め尽くされているほど、指揮者、音楽家としての業績は数限りない。権威ある賞や大学教授としてのお立場もあり、まさに尾高さんの「陳列棚」はきらびやかで眩しいほどだ。「引き出し」の中はさぞや重厚なもので埋め尽くされ、沢山「鍵」も付いているのでは・・・と思いきや、お会いした途端、「私たちは尾高さんを慕って遊びにお訪ねしたのだったかしらん」と錯覚するほど、気さくで温かいお人柄から沢山の人生観を聞かせていただいた。

尾高忠明さん 尾高さんの「引き出し」の真ん中にあるのは「音楽の力」。ご自身がそれを心から信じているというのが言葉の端々に溢れている。
 音楽という文化も、今のこの時代においては逆風と無縁ではいられない。北海道経済を襲った90年代末の拓銀破綻、4年前にはリーマンショック、事業仕分け、そして東日本大震災に、尖閣諸島を巡る中国とのにらみ合い・・・。
 尾高さんは、その度に「音楽の力」を強く確信してきたのだという。
 震災後、ここで音楽をあきらめたら日本は駄目になるとの思いで奔走してきた演奏会やオペラ公演を通じ、人はお腹を満たすだけではない、文化で心を満たすことがどれほど大切なことかを感涙の中で再認識し、尖閣諸島問題で揺れる渦中の中国での公演では、客席の中国人たちの心からの「ブラボー」を受け、政治がどうあれ人と人は音楽でひとつになれると確信し、それに携わる人はそれを信じることが大事と、熱く、ほとばしるように語る。

 そして、尾高さんの「引き出し」の真ん中にあるその「音楽の力」をふんわりと支えている「敷物」は、温かくて、優しく、しなやかな力強さに溢れている。
 それは、ともに最高のものを作り上げる札響の仲間たちへの、次の世代の子供たちへの、国を越えた世界の人たちへの「愛」といったような揺るぎのないもの。

 尾高さんは、未来に生きる子供たちの心に音楽という文化の種を蒔くことがどれほど大事かを語る。
 札幌の小学校6年生を招待し続けてきたチルドレンコンサート。「大人が一生懸命に取り組めば必ず子供は打たれる」との一念で、楽団員たちと熱い演奏を重ねてきたという。子供に対しても大人と同様に真摯に向き合えば、そこに深い感動の意志疎通が生まれ、この子たちは必ずキタラホールにまた音楽を聴きに帰ってくるという確信のもと。
 「そうやって、このあと僕が辞めても50年続けてくれたら、全札幌市民がキタラで札響を聴いたことになる。これは世界的にも例の無い文化財産になっていくだろう」と尾高さんは話す。

 「音楽の力」が真ん中にあって、それを「愛」が支えている。
 だから、沢山の音を奏でるオーケストラがひとつにまとまり、時には作曲家の霊にも背中を押されるという尾高さんの音楽は、心を動かす波動となって届くのだろう。

 困難なことがある度に音楽の素晴らしさを思い知らされ、世の中としても益々音楽の力が必要になっていると、尾高さん。
 若い頃の恩師による「指揮者は50になって初めてよちよち歩き始める」という教えがいつも胸の中にあるという。せめて指揮者として二十歳までは棒を振らなくては。あと5年以上を目指して理想の指揮者に近づいていきたいと語る。

 最後に、「あなたの宝ものは何ですか?」という問いの答えに、とても素敵な「引き出し」の中の宝箱を見せていただいた。
 尾高さんの「宝もの」は、「夫婦の間柄」。
 「子供がいないからか、ふたりはもう『ひとつの人格』のようになっている」と。
 「引き出し」の大切な場所に、「ふたりでひとつの人格」という夫婦の宝箱。
 どんな分野で何に取り組もうとも、人が最も身近な人を大切に思うことは最高の徳であるだろう。
 多くの人が尾高さんに惹かれるのは、そんな当たり前の日常の積み重ねからの賜物なのだと、私もすっかり「尾高ファン」のひとりになっていた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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