9月30日放送

 自分がどんな仕事に就こうか、どんな職業で生きていこうか。
 そんな「職業選択」は誰の身にも突きつけられる大切な課題だ。今まさに転職を考えている人、これから社会に出ようとしている十代の若者にとっては特に切実な課題だろう。
 少し自分を遡ってみて、「小さい時の私は何が好きだった?」という問いかけをすることが、案外自分の特性を紐解くヒントになる。
 私の場合を振り返ってみると至極単純だ。小学校に入って間もなくの記憶。国語の教科書の文章を声に出して読むのが大好きだった。すらすら読みたいために辞書を引いて漢字を調べるということを知り、その予習はたいそう先生に誉められた。
 大人になって放送局のアナウンサーになった。今も、辞書を引き引き、やはり何かを読んだり伝えたりしている。
 「三つ子の魂百まで」「雀百まで踊り忘れず」である。

市川茂樹さん この「ほっかいどう元気びと」では、様々な分野の方になぜ今の仕事をするようになったかを聞かせていただくことが多いのだが、それぞれにいろいろな「三つ子の魂」が伺えて面白い。
 今回のゲスト、岩見沢「市川燻製屋本舗」の市川茂樹さんの「三つ子の魂」は、地元の人達に美味しい食を提供するのが両親の仕事だったという環境に、大いに影響を受けたということが伝わってきた。
 昭和30年~40年代の高度経済成長期に岩見沢市の第三中央市場内で営まれていた「市川食料品店」。塩干物を扱うそのお店で小さいときから手伝いをしていた茂樹少年は、試食用の美味しい道産の筋子やタラコを味わって育ったのだそうだ。思い出に残るのは、スモークサーモンのマリネ。

市川茂樹さん 20代で職業を選ぶ時に、迷わず食に携わる仕事をと希望し、スモークサーモンを作る大手に入社、25年間営業や販売に奔走する。しかし、市川さんの胸の中には「みんなが喜ぶ美味しいものを作って、販売したい」という三つ子の魂が消えていなかった。悩んだ末、時代の流れで大量生産へと向かっていった企業から独立して、原点である岩見沢に戻り、燻製屋を立ち上げた。50歳を迎える少し前だったそうだ。
 雀は百歳まで覚えた踊りを忘れない。
 市川さんも、自分の中に根ざしたものを大切に、自分のフィールドで自分らしく踊りたかったのだろう。

 「あなたの宝ものはなんですか?」という問いに、市川さんはこう答えている。
 「開拓で入植した先祖や両親の経験が宝もの。その中で育った自分にすべてつながっている」と。
 市川さんが今、自分の手で「人生をより豊かに感じられる美味しいもの」を作っているのは、幼い頃に根ざしたものを超えて、前の世代から受け継がれた遺伝子のようなものがあるのかもしれない。そんな、ロマンを感じさせてくれるお話だった。
 燻製は、日常の食卓に必ず出てくるような食品ではないが、なぜか人を喜ばせる楽しい食べ物だ。なぜ燻製は心躍るのかと市川さんに訊くと、「燻製は味のタイムマシンだから」と、楽しいキーワードが返ってきた。
 燻製の煙は、北海道に入植した先祖の記憶を呼び起こすのだろうか。これから新しいことを生み出す未来へ思いを馳せるのだろうか。すべてがつながっていることを思い出す、魅惑の食べ物なのかもしれない。

 こうやって、毎週一回「インタビュー後記」を書き続けて早1年半。
 ゲストの方々の言葉から沢山のことを触発されるおかげで、書きたいことは山ほどある。
 「文章を書く」ということは、時間もかかるし組み立ても難しい。毎週毎週あっという間に巡ってきて四苦八苦しながら書いているが、苦痛ではない。それどころか、私にとっては毎回宝もの探しをするようでほんとうに楽しい。
 そう言えば、中学生の頃はSF小説に夢中だった。あの頃一斉風靡した眉村卓の「なぞの転校生」、筒井康隆の「時をかける少女」の世界にどっぷりと浸り、読むだけでは飽きたらずに自己流のSF小説を創作の宿題で嬉々として書いていたこともあった。

 小さい頃に好きだったものは、やはりその人その人の真ん中にある。
 充分「燻された」年代になっても、子供の頃にわくわくしたことに取り組めているというのは、嬉しく有り難い。
 何かを始める「原点」のようなものについて市川さんと語らい、そしてこのインタビュー後記を書いていて、改めてそんなことを思った。

(インタビュー後記 村井裕子)

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