9月9日放送

 今年の8月はオリンピックがあったからか、広島、長崎の原爆の日、そして終戦記念日までも、あっという間に過ぎていったような印象がある。「戦争を絶対に起こさない」という志を語り継いでいくドキュメンタリーもドラマも民放では不思議なくらい少なく、もう少し皆で考える時間があってもよかったのではなかったか、放送の仕事に携わるひとりとして少しもどかしい思いも感じていた夏だった。

二神敏郎さん 「ほっかいどう元気びと」の今回のゲストは、お好み焼きの「風月」を札幌の3坪の店から興した二神敏郎さん。
 生い立ちを伺うと、終戦の中で育ち、学び、戦後の復興とともに商売を一から作り上げてきた道程と、日本が焼け跡から復興を目指して歩んできた道がぴたりと重なり合うようで、考えさせられることが多かった。
 二神さんの表現を借りれば、「家が裕福だったのは、昭和20年3月13日の夜中までだった」という。終戦間近の3月13日深夜、大阪大空襲によって大阪の首都は壊滅。多くの犠牲者が出た中、まだ1歳だった二神さんの家も家財道具もすべて焼け、そこから貧乏な少年時代を経験する。勉強どころではなく、中学に上がる頃から働きに出るようになったのだと。
 多感な時期にさぞ貧しさは辛かったでしょうと質問してみると、戦後生まれの私にとっては少し意外な答えが返ってきた。「いいえ、貧しいのはそんなに苦ではない」。なぜならば、「みんなが貧乏だったから」。
 「みんなが貧乏だった」、そう、ものの無いのが当たり前の時代が確かにあったのだ。そうして、日本人は底力を発揮してその後の経済を目まぐるしい勢いで発展させてきた。

二神敏郎さん 二神さんは、学校に行くという「学生時代」が無かった代わりに、本を沢山読んだという。宮本武蔵や坂本龍馬、松下幸之助など、歴史に名を残す立志伝中の人達の本を読むうちに、「人生を変えたい」と思い、ふとしたきっかけで「少年よ大志を抱け」の空気溢れる北海道へと惹きつけられて来道する。
札幌でお好み焼き屋を始めようと思ったのも、「人生を変えたい」という二神さんの強い思いが何かを引き寄せたのだろう。わずか3坪の小さな店舗がたまたま見つかり、5~6人座ればいっぱいになる「風月」1号店をスタートさせる。
 すべてが一から。1日千円や二千円という売り上げの時が続き、お店を閉めてから新聞配達やアルバイトも同時にこなす日々だったそうだ。
 ここでも、明日がどうなるか先行きの見えない日々は不安ではなかったかと質問すると、二神さん、再びケロリとして答える。「言葉にすると大変そうだけど、それがね、楽しかったんだよね」。
 明日はきっと良くなるという希望に溢れる日々。どうしたらお客さんが来てくれるのかを考えて、そのうちに周辺の学生さん達が来てくれるようになり、その人たちが次々と人を連れてきてくれたのが楽しかった、と。十代のお客さん達に二神さんは一生懸命にお好み焼きを焼き、そして、鉄板を挟んで彼ら彼女らの話をひとつひとつ聞いてあげることで、学生達にとってのほっとする場所になっていった、と。50代、60代になったお客さんが未だに自分たちの同窓会に誘ってくれるというエピソードが、どれだけいい触れ合いがあったかを物語っているだろう。
 収録後にふと、こんな言葉が呟かれた。「人生を変えたい」と思った時から、もう、私は北海道でお好み焼き屋をやるということが決まっていたのだと思う、と。
 当初、売り上げが少なくても、先行きが全く見えなくても、気持が前に前に向かっていたのは、「導かれた」ことに沿って進んでいけば、きっとどこかに辿り着くという確信があったからなのだろう。
「人生を変えたい」という強い思念を持つことで、そこからもう何かがすでに始まる。二神さんの人生訓を言葉にすると、そんな「思いの大切さ」なのだろうと思う。

 終戦と共に時間を重ねてきた、68歳の二神さん。
 ふと思う。「ものが無く、みんなが同じように貧乏だった」という世代、ましてや、「戦争を体験した」という世代の割合がどんどん減っていくことを。
 「ものがあるのが当たり前」の世代で、やがて占められていくのだ。
 昭和30年代生まれの私自身、親世代、祖父母世代が戦中戦後は貧しかったという話をするのを聞くと、またその話かと思ったものだが、そうやって子供の頃に伝えられたものは確かに心の奥深くに残って、自分を作っている。
 「ものが無く、みんなが同じように貧乏だった」という戦争体験世代は、しつこく語る役目があるのだと、今わかる。

 「ものがないことが、そんなに苦ではなかったのはなぜなのか」
 「あの後、日本人が経済発展のために頑張った流れの中で、得たものは何で、失ったものは何なのか」
 「皆が無我夢中で進む中で、忘れてしまったものは何なのか」

 ものが溢れた中で生まれ育った私達に、聞かせて欲しい。

 今、この国のかたちを、私達はどう「変えたい」のだろう。その軸をはっきりさせるヒントは、戦争という時代、そのあとがむしゃらに生きてきた人達の言葉の中にきっとある。

(インタビュー後記 村井裕子)

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