7月15日放送

 「ほっかいどう元気びと」を担当していると、道内各地、野に山に里に海にいろいろな人の暮らしがあり産業があるなあと、今更ながらこの土地の奥深さを再認識させられる。
 今の時代だからそれぞれの地域にはそれぞれに何らかの課題も抱えているのが現実だが、だからこそ前を向きながら知恵を出し合い、その町で暮らしていこうとする人達の魅力が温かく伝わってくる。

相馬龍平さん 今回は日本海を望む増毛町。海草類が育たなくなる「磯焼け」対策として、北海道大学と共同研究で藻場再生に取り組む、株式会社オーシャングリーン開発増毛事業所 所長の相馬龍平さんにお話を訊いた。
 相馬さんが仲間達と共に肥料として開発した発酵魚粉を、産業副産物である鉄鋼スラグと混ぜて海に沈め、鉄分を始め海に必要な栄養素を補おうという実証試験は、北海道のみならず全国各地の「磯焼け」を救うホープになり得るのではないかと注目されている。

 お話を聴いていて、ここ百年の日本というのは急速な進歩で発展も遂げ、暮らしもその分豊かになったが、それと同時に「ボタンの掛け違い」でバランスを崩したり、失ったりしたものがなんと多いことかを考えずにはいられなかった。

相馬龍平さん 相馬さんの話はこうだ。
 海草類が育たなくなる海の栄養不足の原因は、例えばひとつには山の木の伐採。山と海は繋がっている。森が無くなれば、そこから生み出される養分は川から海へと流れなくなり、護岸のコンクリートや道路のアスファルトによって更にそれは阻まれる。すべてが繋がって絶妙にバランスが保たれている。
 そして、昔は余った魚や魚カスを適度に海に捨てたりして、それが海中の栄養にもなっていたとも。時代が変わって、海に何かを撒いたり捨てたりするのは全国一律に違法とされたので、漁師の知恵でやってきたことも法の名の下に出来なくなってしまった。
 しかし、これ以上環境が破壊されるのを食い止めなくてはと、現代の知恵を「産・学」の力を合わせて集め、「栄養の元」を海に撒く方法を研究し、今出来うる方法で「磯焼け」対策に取り組み始めたところなのだ、と。
 「鰊取り」の末裔である相馬さんは言う。「昔の漁師は、海が鉄分不足になると海草が育たないことは科学的に知らないだけで感覚として知っていた。木を切ると海がだめになるというのも、明治の初めから言われてきたこと」。
 そして、「今豊かな海を取り戻すために我々が取り組んでいることの根本は、実は祖父の代にやっていたこと。だから、鰊取りの原点に戻ることが大事」と。

 昔の人達の知恵。原点。科学など知らない時代に、経験を積み重ねて受け継がれた事実の中に真実があるという大切さ。
 ふと、東日本大震災の後で聞いたこんな話を思い出した。
 津波の被害に遭った土地の歴史を調べると、明治時代以前の生活圏は津波が及ばない地域に作られていた。興味深いことに、お寺は完全に丘陵地や内陸部に、神社は津波が来る境界にあたかも目印のように建てられていた。そして樹齢何百年とも推定される古木は、ちょうど海からの水を堰き止めるように植わっていたということだ。
 「ここから海側では生活をしてはいけない」という遙か昔の人達の知恵と言葉を超えた言い伝えには崇高な志のようなものも伺え、科学を万能の打ち出の小槌のようにしてしまった私達が、今何を思い出せばいいのかのヒントに溢れている。

 昔がすべていいのではなく、どの時代であってもいいものもあれば良くないものもある。新しい時代の新しい発見で幸せをもたらしたものも沢山ある。その「玉石混淆」を見分ける普遍的な目が必要なのだと思う。ヒントはやはり、時代を超えて掘り下げられた人の叡智。それをキャッチできる度量とセンス。

 「変えた方がいいこと」と「絶対変えてはいけないこと」を、今、このターニングポイントの時代に、気を引き締めてひとつひとつ考えなくてはならないとしみじみ思う。
 海も山も百年のスパンで守り、次に繋いでいかなければならない。

 果たして、今、この時代に生きている私達は、百年後の人達に誇りを持って語られるだろうか。
 百年前の人達は、知恵という大切な宝ものを百年後の私達に残してくれた、と。

(インタビュー後記 村井裕子)

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