5月13日放送

 家業を引き継いで、その土地で代々の仕事を守っていく。
 跡を継ぐということは、いろいろな決心や覚悟、そして巡り合わせのような絶妙なタイミングによる気づきなど、沢山の思いがそこにはあるのだろうと推察する。
 「ほっかいどう元気びと」でも、小樽の老舗あめ店「澤の露本舗」の三代目高久文夫さん、赤平市の「植松電機」を引き継ぎながらも新しくロケット開発の「カムイスペースワークス」を立ち上げて北海道の未来事業に尽力する植松努さん、岩見沢の葬祭業を継ぎ、グリーフケアという遺族への新しい寄り添い方を模索する斎藤聡さん、東京からUターンをして帯広の印刷会社を継ぎ、「スロウ」といった北海道人の心の豊かさを発信する雑誌を手がける高原淳さんなど、気概を持って家業をオリジナルに発展させてきた跡継ぎの方々にお話を伺ってきた。
 共通しているのは、「イノベーション」。古いものの土台に、自分だからこそ出来ることを模索して作り上げ、未来への土台をさらに強固にしている。いや、強固にというより柔軟さが鍵になると言えるかもしれない。

徳永善也さん 今回のゲストの徳永善也さんは、札幌のお米屋さん「千野米穀店」の三代目店主。
 徳永さんは、お米屋さんを継ごうとは思っていなかったそうだ。初代であるお祖父様からも「これから米屋は大変だから、継がなくてもいい」と。
 今から12年前、36歳の時に米穀店を引き継ぐことを決めたのは、それまで従事していた酒類食品卸問屋の将来を考え次の仕事を考えた時に、「自分の家は米屋だったことを思いだした」からと、なんともフレキシブル。

 ただ、私が面白いなと思ったのは、徳永さんがお米屋さんを継いだ頃が、ちょうど北海道米の変革の時期ということだ。

徳永善也さん 研究者や農家の方々の尽力のおかげで格段に美味しくなっていった北海道米。10年前に新品種「ほしのゆめ」の美味しさに衝撃を受けた徳永さんは、お店のお客さんや飲食店などに積極的に北海道米への「コメチェン」を勧め、大丸百貨店には道外へアピール出来るようにお土産用のパッケージを工夫し、「コメチェン」の旗降り役になっていく。

 巡り合わせの妙。
 徳永さんは、新生北海道米ともに歩んでいるというのが、果たすべき役割なのだ。
 人それぞれの役割、使命。たとえ、たまたま与えられた場所であっても、一所懸命に進んでいると見えてくるものなのかもしれないと、徳永さんの取り組みを聴いていて深く感じた。

 徳永さんの「宝もの」は、沢山ある。「家族」「培った信用」、そして「出会ってきた人たち」。
 「自分は、ほんとうに『幸運な出会い』をしてきているんですよ」と話す。
 「節目節目でなぜか、こういう人にいてほしいなと思うと、誰かがやってきて助けてくれる。こういうことをしたいと言っていると、協力してくれる人が現れる。だから、感謝。自分の力でやれていることなんか何一つない」と。
 そしてその、『幸運な出会い』を引き寄せられる秘訣は何かと訊くと、「それは、素直でいることかな」という答え。
 「チャンスを掴む人を見ていると、アンテナをピーンと張って、進んでそれを掴んでいる。けして、そんなことは無理だと言わずに、素直に面白がったり喜んだりしている。そういう人は一緒にいると楽しい。楽しいからいろんな人が繋がっていく」と。
 心を開いて、受け入れる「素直さ」があれば、その時々で人の出会いに恵まれ、道は拓かれるという考え方に大いに共感した。

 「ただ・・・」と、収録後のやりとりで、ふと、ため息と共に言葉を漏らす徳永さん。
 「ただ、幸運な出会いが多い分、気づいたらあれもこれもと繋がって、やらなければいけないことや大変さも多くて」。
 聞けば、新しく始めたばかりのおむすび屋さんが、想像以上の大変さ。その真っ只中にいるのだと。
 「幸運な出会いを引き寄せる人の苦労は、さらにその人を磨く大事な『磨き砂』かもしれませんよ」とお伝えすると、目をきらりと輝かせて、「そうか! 大変さは『磨き砂』と思えばいいんだ!」。
 そう、満面の笑顔で言った。
 千野米穀店三代目は、やはり「素直さ」が身上だ。

 おむすびも、美味しいお米の味がより一層引き立つのは、辛(から)い塩があるからこそ。
 その人の人生を磨くものは、時として厳しく、辛く、そして、ほろ苦い。

(インタビュー後記 村井裕子)

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