3月4日放送

 「人はこの世に生まれ落ちた瞬間、全員が天から封書を貰って生まれてくる。その封書を開いたら、あなたはこういう生き方をしなさい、と書いてある。しかし、せっかく天から貰った封書を一回も開かないままで死んでいく人が多い」
 哲学者である森信三さんの言葉だ。
 私の封書にはどんな言葉が書かれているのだろう。きっと何行にもわたっての文言ではないだろう。だが、それがたとえシンプルな一行としても、ちゃんと封書を開いて、それを全うして死んでいきたいと、この言葉に触れてからことあるごとに思い出している。

 医師という心身共に過酷な仕事と、音楽家というこれまた精神力が必要な仕事とふたつ天職として与えられた人は、2通の封書を天から貰って生まれてきたのだろうか。そして、その2通とも開くにはどんな強い力が働いたのだろうか。
 今回のゲスト上杉春雄さんにインタビューすることになり、そんなことをふと思った。

上杉春雄さん 上杉さんは、現在、札幌麻生脳神経外科病院の神経内科医長として勤務するかたわら、ピアニストとしても活躍されている。子供の頃から天賦の才があったピアノは、それを弾くことはもはや「空気を吸うようなもの」というのがご本人の談だ。
 きっと、これまでの人生で「すごいですね」という賞賛は、人の2倍、いやそれ以上浴び続けてきたに違いない。2つの宝を同時に仕事にする人には必ず、「天は二物を与えたのですね」という羨望の眼差しが注がれるものだからだ。
 インタビュアーとしても、「その2つの仕事をどんなふうに自分のものにしていったか」「その2つの仕事をどんなバランスでこなしているのか」「2つの仕事がご自身の中で融合することはあるのか」など、訊いてみたいことが沢山あった。
 お話を伺ってみての私の印象だが、上杉さんの「医師」という仕事は、私たちが生涯の仕事を選ぶのと同じように「職業の選択」として引き寄せたもの。それぞれが仕事に対して、社会への貢献や役立ち感を深めながらその職業を極めていくのと同じように、上杉さんにとって「医師」は、自分の学んだ知識や知恵、技能をフルに活かせるもの。
 もうひとつ、「ピアニスト」という仕事は、これも一生極めていく「仕事」なのだろうが、「職業の選択として引き寄せた」のではなく、もうすでに、ご本人の中にあるもの。パソコンに喩えると、電源を入れた時からすでに「インストールされたもの」なのではないだろうか。職業として医者への道を究めようとしていた道筋に、なぜかいろいろな偶然の重なりがあってピアニストとしての道筋も繋がっていったと上杉さんは語っていたが、自分の中からほとばしり出てくるものは、確実に、どこかへ繋がっていくものなのかもしれない。

 そして、何か2つの天職を持っている人には、「羨ましいですね」という言葉もついついかけたくなってしまうものだが、収録後さらに話された幾つかのエピソードを聞いて、それは決して安易なことではない、それこそ、「インストール」されているからこその大変さは並大抵のことではないのだろうと感じた。
 上杉さんが進路を考えた中学2年から3年へ向かう春に、こんな2つのことを考えたそうである。
 「例えば70歳で死ぬとして、自分の一生はほんとうにこれをしたかったのだと、後悔しないですむ生き方は何だろう」。そして、「もし3日後に地球が終わるとしたら、納得できることをしていると言える自分であるために何ができるだろう」と。

上杉春雄さん 時は過ぎ、ある時、スティーブ・ジョブズの有名な講演の一節に触れ、ジョブズも同じようなキーワード「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」に感銘を受けていることを知り、やはり自分の気づきと選択は間違ってはいなかったと確信できたという。

 何かの才能を持っているから尊いのではなく、その持てる力を最大限に咲かせる「意志の力」、それこそが大事な要素なのだ。
 封書で言うと、「2通、開いてしまった人」がそれを全うするためには、きっと、いろいろな岐路でたくさんの覚悟が必要だったのだろうから。

 上杉さんはこれまで、医師とピアニストは、対外的にも自分の中でもきっぱりと分ける意識で続けてきたそうだが、「この先、それをどう融合させていくかというのも、また新たな課題かもしれない」と語っていた。
 医の道と音楽の道、それが交わった時、どんな化学変化が起こるのか。興味は尽きない。

(インタビュー後記 村井裕子)

HBC TOPRadio TOP▲UP