2月26日放送

 私が北海道放送にアナウンサーとして入社した新人時代、もう遥か33年前になるが、毎日毎日仕事を覚えていく中で日々深く感じていったことがある。
 「私はひとりで放送の仕事を担っているのではない。マイクを持って伝えるのは私だが、それが何事もなく始まって終わるまでに、数多くの人の手が掛けられ、数多くの人に支えられている」ということ。
 吹雪の朝のテレビ中継や何日も駆け回っての取材、早朝のラジオのステーションブレイク(録音された短い番組を繋ぎながら、合間の時間に話題や天気などを入れていく生運行が、当時新人の主な仕事だった)などをこなしていくなかで、未熟ながらも、いや未熟だからこそそれは忘れてはいけないと肝に命じたものだ。
 番組を構成する制作スタッフやそれを売ってくれる営業スタッフは勿論だが、いわゆる技術スタッフへの敬意と感謝。出来るならこの技術さんを唸らすようなレポートやナレーションを、おしなべて無口なこの人たちをクスリと笑わせたり心に届くような喋りをという気持ちを募らせていった。
 だって、いくら頑張って喋っても、音を、映像を、電波を確実に送る技術陣がいなければ私の仕事は成立しない、そんな専門分野への尊敬があったからなのだと思う。

海渕祥さん そう、世の中の仕事は絶妙に多くの人の手や仕組みによって、支え、支えられている。特に、多くの技術技能職に。

 そんなことを改めて気づかせてもらったのが、今回の元気びとのインタビューだ。
 「技能五輪全国大会」に北海道で初めて高校生で参加した、札幌琴似工業高校3年の海渕祥さん。
 金属や機械、電子技術、情報通信、建設・建築、そして調理・洋裁・理美容などサービス・ファッション系の合わせて40の職種を23歳以下の若い技能者で競うこの大会に、海渕さんは工業高校の情報技術科で学んできた「電子機器組み立て」で参加した。

海渕祥さんの作品 すでにメーカーなどで活躍している社会人が圧倒的に多い技能五輪、大会当日には「火災報知器の制作とデータの測定」という応用力が必要な課題も出され、超難題実技へのチャレンジだったという。
 (スタジオに作品を持参してくれたが、「なにやらすごい精密電子機器!」ということだけはわかった)
 海渕さんにとって難易度10のうちどの位の難しさ?と訊くと、「もう、それは10でした」と即答し、「冷や汗流しながら頑張りましたが、結果、49人中49位でした!」と爽やかな笑顔で答える。
 この大会の実技のために休みの日も返上して海渕さんを指導し、大会にも引率した小川経一先生がインタビュー収録にも付き添って来てくださったが、小川先生の収録後の一言になるほどと思った。
 「海渕君が先駆者として初めて高校生で参加することによって、次に続く人が出るのです。社会人に交じってチャレンジすることによって、どんな技能が必要かを学び、私達教える教師も何を伝えていけばいいのかがわかる。大事な、大事な49位なのです」と。
 小川先生は、収録後にもご丁寧なメールで、日本のものづくりを担う後継者を育てることの意義を熱く伝えて下さった。
 「今、私達ができることは『若き技術者の卵達』にできる限りの経験をさせ、ものづくりを通じて社会に貢献をする強い意識を持った生徒を送り出すことだと思っています」と。

海渕祥さん 海渕さんの真っ直ぐな熱意と素直なものの考え方、そして仲間達と励まし合って切磋琢磨できたと語る明るさ。さらに彼らを支える先生達のぶれない軸の強さと、未来を引き継ぐ人達へのあたたかい眼差し。そういったことを感じさせてもらい、「工業高校の青春、いいなあ」と爽やかに感じた収録だった。

 そして、ものづくりは整理整頓、道具を大事にする基本こそ肝心と話すおふたりの人柄に触れて、「技術は人である」ということも再認識。
 ただ、ものを作るだけにあらず。人を作ってこその技術なのだ。
 私がこれまで出会った技術の専門職たちの、例えば使用後の機材を仕舞うときの綺麗、且つ効率的なコードリールの巻き方やケースへのきちんとした納め方、無駄なく音なく手際よく、立ち居振る舞いも見事な後片付けを思い出し、そんなことも考えさせられた。

  やはり、「技術職」は奥深い。

(インタビュー後記 村井裕子)

HBC TOPRadio TOP▲UP