1月1日放送

 何から書いたらいいだろう…。
 あれもこれも書きとどめ、どれもこれも紹介したいことばかり。そう、今回の北島三郎さんのインタビューのひとつひとつに、私は想定以上に感動している。

北島三郎さん 芸能生活50年、男性演歌歌手の最年長、大ベテラン、今なお新曲に舞台にと活躍を続けているとなると、最高のパフォーマンスを支える関係者の周りはたえずピリピリとした緊張感が漂う。
 我々番組スタッフがインタビューのために都内某所に伺った時も、北島さんの半径5メートル近辺には強力な電気を帯びたシールドでもあるかのごとく、ピンと張り詰めた空気がそこかしこに。その「大物オーラ」だけで、いつもは心の奥にしまってなんとか抑え込んでいる小心者の虫がひょっこり顔を出し、「失礼しました」と逃げ帰ってしまいそうな気持ちになる。
 それでも、長年放送現場で鍛えられたはずの我が心臓を信じ、やってきた準備を信じ、ええい、ままよ!心からぶつかれば必ず何かが味方してくれる、と武者震いを隠しながら歩みを進めると、私たちだけになった場でさらりとみせてくれたのは、紛れもなく『サブちゃん』の優しい顔。一瞬にして、静かな中にあったかい空気が漂った。
 「北海道の放送局から来てくれて嬉しいからいっぱい話すよ」「村井さんは何年この仕事しているの?へえ、30年以上?それは長いね」
 きっと、演歌の大御所である『北島三郎』という自分に会う人は例外無く緊張する。だから自分からほぐすことで相手も楽になるだろうと、誰にでもそうなさっているのだろう。一瞬で場が和み、私は納得した。弟子となった人たちが皆、「おやじ」と心を込めて呼ぶ理由を。
 「今日は、北島さんの歩んだ人生の深い言葉を語っていただきたくて来ました」と伝えると、「おおっ」と低く一言。人生というキーワードに一瞬きらり輝いた力強い目が、インタビュアーとしての私の背中を強く押す。

 2011年は日本にとって大変辛い1年、ちょうどその年に芸道50年を迎えた心境、被災地への思い、更なるご自身の役割、故郷知内を旅立って下積みを耐えて身に付いたもの、辛いことの先には必ず幸せや喜びが待っているという人生観、故郷北海道への思い…サブちゃんはとても丁寧に、熱く、明るく語ってくれた。
 ひとつひとつがポジティブで、前向きで、とにかく様々な出来事を糧にして熟成されたであろう言葉の力に、私は何度かうるっとしながら聴かせていただいていたが、質問者として、心の奥深くにビリッと電気が走ったのが後半のくだりだった。

北島三郎さん 「歌や芸を深め続けるには、見えないところでのご苦労もおありだと思います。今、人知れず、密かに取り組んでいることはありますか?」という問いに、北島さんはこんなことを語りだしたのだ。
 「最近、出番待ちの時などに大野穣(みのる)がね…出てきて、北島三郎と対話するんだよね」
 ゾクゾクっと来た。
 素の北島さんが、芸道50年の北島三郎さんの楽屋にすっと現れて、肉親のように、親友のように会話をするというのだ。
 鏡に映った『北島三郎』に「何だか顔色悪いな・・。今日は歌いたくないんだろう」と『大野穣』が問いかける。「そういう時もあるだろうな・・」と化粧を続けながら会話を交わし、そうして、幾つもの思いを受けとめた『大野穣』が「さあ、行くよ」と先に立ってステージに『北島三郎』を連れて行くのだ、と。
 舞台に立つと、『大野穣』はす~っと姿を消して、いつもと何ら変わることのない力溢れる『北島三郎』が観客の前で歌い始めるのだ、と。

 ゾクッとした後、胸が熱くなった。
 苦難を乗り越え、半世紀という長い年月第一線で歌い続け、山の頂上を極め、極めてもなお歩み続ける、その孤高の心情に触れたような気がした。いや、『北島三郎』を芯から支える『大野穣』の太く深い根っこの確かさ、人としての滋味を感じて心に響いたのだ。
 本名『大野穣』が辿ってきた75年。
 『北島三郎』という才能を開花させ続けていくために地中に伸ばしていった根を、どれほどの時間とどれだけの思いでしなやかにしていったのだろう。

  「人は能力が優れているから価値があるのではなく、困難に毅然と立ち向かって生きていくことにこそ価値がある」という言葉を聞いたことがある。人としての崇高さはそこにあるのだと深く感動したものだが、『サブちゃん』の内面に少し近づけた対談後、その人生哲学を自分のものにしていく意味が改めてストンと腑に落ちてきたような気がしている。

(インタビュー後記 村井裕子)

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