9月4日放送

簑谷修さん 小樽は、私にとって思い出深い地だ。
 34年前、本州出身の私は、放送局の最終面接で初めて札幌を訪れることになった。その時通っていた関東の短大のクラスメートに小樽から来ていた女性がいたので、何気なくその話をすると、ご両親にすぐ連絡してくれ、試験終了後に私はあれよあれよというまもなく彼女のお父さんに小樽に連れていかれ、家に泊めてもらい、それはそれは温かいもてなしを受けた。会ったその日からもう娘のように。振り返ると、あの出会いがあったおかげで縁もゆかりもない北海道が大好きになり、こういう人たちの土地なら住んでみたいと思えたのだ。
 アナウンサー試験に合格し、札幌に住むことになった時も住む家を探してくれ、なんて温かく、楽しく、おおらかで、器の大きい人たち…それが、私の小樽の人たちへの第一印象だった。

 小樽と聞くと、未だに心の底があったかくなる。
 今回のゲスト、小樽で昆布専門店「利尻屋みのや」を営む簑谷修さんも、いつも「ほら話」を考えて人を楽しませる、頼れる豪快なお父さん…という、小樽の空気そのものの人だ。
 簑谷さんは利尻島出身。小樽に憧れて16歳で出てきたそうだ。サラリーマンとして働いて、50歳で故郷利尻への恩返しの思いで、昆布をたくさん食べてもらえるような昆布専門店を立ち上げた。観光街の真ん中、「7日食べたら鏡をごらん」「お父さん預かります」などのユニークな看板を掲げ、手軽に食べられる昆布製品のおいしさはもちろん、楽しい店として人気を呼び、今では古き良き小樽を守る事業や、若い起業家をバックアップする取り組みも精力的に行っている。
 自慢のお店は、商品を売るスペースよりも、お客さんに昆布茶や昆布のおつまみを出して休んでもらい、話ができるスペースのほうが広いのだというから、とにかく、人が好きなのだということがよく分かる。

簑谷修さん 人には適材適所がある。
 蓑谷さんは、缶詰の缶を製造する会社で働いていたそうだが、40代で機械の設計をする部署へ異動したのがターニングポイントの始まりだったそうだ。「周りにはこんなに頭のいい人がいるのか」と、蓑谷さん曰く「自分の頭の悪さに初めて気づき」、自分に出来ることは何かを模索しながらとにかく本を読みあさったそうだ。設計の頭が無いのなら、自分は雑学を身につけようと、歴史の本、人物の本を読む中で、昆布の歴史へ辿り着いていったと。
 「ここではない」自分の「居場所」を探すことで、故郷の特産である昆布を生かし、自分の特性を生かし、今いる場所へと繋げていったのだ。借金などの苦労も当初は抱えたそうだが、蓑谷さんにとって「ここではない」居場所にとどまる方が、苦痛だったのだろう。
 サラリーマン生活の40代で「この先、自分の人生どういう方向転換をしようか」と悩み、その後準備期間を過ごして、50歳からの転身。年齢に「もう・・」をつけなければ、 自分に最適な場所は見つかっていくのだ。
 若い人たちの起業を応援するのも、「居場所探し」のお手伝い。
 蓑谷さんが利尻で子ども時代を過ごしていた頃、仕事を終えた漁師さん達がお酒を片手に集っては「ほら話」を繰り広げていたそうだ。夢を語ることの楽しさ、大事さ・・そんなものを若い人たちにも伝えて行かなくては、という思いがあるという。
 「こんなふうに世の中を悪くしてしまった責任は、今の70代の自分たちにあるんだ」と、ぽつりと語った言葉が印象的だった。

 今、小樽という場所も、北海道の中でどういう特徴を出していくかの「居場所探し」を続けているように見える。3月の震災以来の観光客落ち込みに、どんな知恵が出せるか、方向転換を迫られている。
 小樽には、小樽にしかない空気がある。私が33年前に強烈な人懐っこさと温かさに衝撃を受けたような、かなり熱い空気。お店を見て回るだけではない、その懐に入っていくような旅を小樽に来る人たちにはしていって貰いたいとつくづく思う。

 歩き疲れて、「ちょっとあやしい店」と店主が自ら言う「利尻屋みのや」に立ち寄れば、話し好きの店主が、きっと自分の娘のように、息子のように迎え入れてくれるだろう。そしてきっと誘われる。「昆布茶飲んでくかい?!ついでに、店主のほら話聞いてくかい?!」と。
 そうして、小樽好きがひとりまたひとり増えていく。
 古き良き「小樽らしい」熱く濃い空気。それがこの街の不思議な魅力。

(インタビュー後記 村井裕子)

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