7月17日放送

阿刀田高さん 「物には心がある」・・昔はよくそう言われたものだ。
 「机に落書きしてはダメ。机が泣いていますよ」とか、「ズック靴のかかとを踏んでは、靴が悲しみますよ」とか、当たり前のように「物の気持ちになって」という教えがなされていた。
 何年も前になるが、作家の阿刀田高さんの新聞のコラムにいたく共感したことがある。
 『物にも心がある ~邪険に扱えば仕返しする 非科学的だが1つの科学~』というオピニオン記事。要約してみると、こんな内容だった。
 「『物にも心がある』という考えがいつの頃からか脳味噌に染みついている。物を邪険に扱うと必ずといっていいほど仕返しを受ける。例えば、10円玉をコロンと水溜まりに落としてしまい、-いいか。10円だもん-と行ってしまうと、直後、公衆電話をかけようにも10円玉が無く困惑する。5センチくらいの鉛筆を捨てると、次に大事なメモがとれないことがある。-仕返しを受けた-と合点する。物に心があるなんて非科学的なことを本気で信じているわけではないが、そう信じて生きることはけっして悪くない。
 科学者の発明発見の現場などで、1つのことを徹底的に研究していると、その目的とはべつに、その近くにあることを発見したりする『セレンディピティ』という偶然の恵みがあるが、この『セレンディピティ』と『物には心がある』はどこかでつながっているように思えてならない。1つ1つの物を大切にしていれば、いつか大きな恵みが別な作用となってもたらされる。不断の研究を続けていれば、いつか、別な大きな恵みが降り落ちてくる。」
 阿刀田さんは、このコラムを「神様はちゃんと見ているといえばわかりやすいだろうか」と締めくくっている。

阿刀田高さん 今回の「ほっかいどう元気びと」のゲストは、札幌で建築事務所を営む一級建築士の江崎幹夫さん。50歳でそれまでの会社を離れ、今後の仕事を必死に模索する中、引き寄せられるように出会ったのが「古民家の再生と活用」だったそうだ。
 古い物を壊し、新しいものをどんどん生産してきた戦後の建築の常識から、持続可能な循環型の家造りへのシフトチェンジ。国産材の木造住宅は「宝」という視点で、50年以上前に建てられた古民家の再生や、古材の活用(昔の木材は今と違い自然乾燥だった為、古くなればなるほど強度が増すそうだ)などを仕事の中心に据えている。
 北海道の各地に残る古民家は、歴史は浅いが、本州にはない個性的なものが多いという。
 開拓民が入植後に財を成して建てる家は、出身地の様式や木材を使うことが多いので、家にもそのルーツの特徴が表れていること。明治開拓使時代の洋風建築の影響か、床の間付きの和室に洋風の開き窓が付いているなどの斬新なデザインの古民家もあるとのこと。古民家の魅力を次から次へと紹介してくれる江崎さんと話していて、ふと、「江崎さんと出会った北海道の古民家や、昔ながらの柱や梁はさぞ喜んでいるのだろうな」と、感じた。

 江崎さんは50歳で独立し、最初は方向性が定まらなくていろいろ悩まれたそうだが、「増毛の古民家移築の仕事をオーストラリア人から請け負って以来、いろんな出会いがあって、古材施工技術士や古民家鑑定士の資格に辿り着いたり、人が人を紹介してくれたりで、面白いようにつながってきた」のだそうだ。
 好きな言葉は「初心忘るべからず」。そして、「努力をすれば報われる」。
 大きな組織から離れてひとりで動き出した江崎さん、古民家という存在に出会わされて、価値ある古い物たちをどう再生・活用しようかとひとつひとつに思いを込めているうちに、心ある物たちから愛されたのかもしれない。

 「1つ1つの物を大切にしていればいつか大きな恵みが別な作用となってもたらされる」「不断の研究を続けていれば、いつか、別な大きな恵みが降り落ちてくる」

 捨てられ、忘れられる運命だったかもしれない古民家を再生する仕事に取り組み始めて、それまで以上の恵みがもたらされた・・など、どう考えてもそんなふうに結びつけて語るのは、何の根拠もない、非科学的な夢物語だろう。

 でも、阿刀田高さんがコラムで書かれたように、「そう信じて生きることはけっして悪くない」と私も思う。1つ1つの物を大切にしていれば、不断の努力を続けていれば・・・
 「誰かが、きっと、ちゃんと見ている」。

(インタビュー後記 村井裕子)

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