7月3日放送

 札幌の中心部。南1西9界隈のビル群に埋もれるようにこぢんまりと建つオーダーワイシャツの工房「長野シャツ」。昭和初期にでも迷い込んでしまったかのような、小さな木造家屋だ。

 長野茂寿さんは、この場所で昭和42年から44年間、お客さんの注文に応じてオーダーワイシャツを作り続けている。

足踏みミシン ふたりがすれ違うのもやっとの空間でその存在を大きく主張しているのが、開業以来壊れることなく動き続けている足踏みミシン。当時、家庭用ミシンで創業した長野さんにお父さんがプレゼントしてくれたという業務用ミシンだそう。公務員が肌に合わず、手に職を付けようと洋品店へ丁稚奉公した末に自分の店を持った長野青年を、どれほど誇りに思っていらっしゃったかがうかがえる贈り物だ。

 ミシンの前に座ると、窓の外の棚には沢山の盆栽や鉢植えが並んでいる。ミシンを踏んでいる長野さんの目線を思いやった、ほっと心の和む緑。

 「どなたのご趣味ですか?」と伺うと、「いやいや、女房がね」とにっこり笑う。

 何でも、この奥さんがシャツの仕上げを一手に引き受けてくれているそうで、「もうこの人無しではやっていけないよ」と、73歳のワイシャツ職人は破顔一笑、奥さんのことをそれはそれは嬉しそうに話す。

長野茂寿さん 「長野シャツ」には、ご夫婦二人三脚の絆の歴史があり、お父さんの思いのこもったミシンあり。昭和の香りのする工房は、いろいろな人の愛が感じられる場所でもあった。

 オーダーワイシャツの個人の仕立て屋さんは、消えゆく昭和の手仕事だ。
 長野さんの技術も工夫も、長野さん一代でおしまいとのこと。
 時代の流れで変化するものに対して、良い悪いを一概には言えるものではないが、大量生産・大量消費が当たり前になり、職人と言われる仕事をひとつずつ追いやってしまった時代の流れというのは、いったい何だったのだろうかと思ってしまう。仕事がない、就職先がないと言われる今の時代、どんなボタンの掛け違いをしてしまったのだろう。
 私たちは高度経済成長の経験によって何を得て、何を失ったのだろうか、と。

 ふと、作詞家、故阿久悠さんの言葉を思い出す。
 『東京オリンピック以降の日本は、歩幅にたとえると、80センチから1メートルの歩幅で歩んできてしまった。もしかしたら、70センチとか、75センチのところにいいものがあったかもしれないのに、それを見逃してしまったかもしれない』

 河島英五さんの歌「時代遅れ」を作詞した時の思いを語ったものだそうだ。
 「時代遅れ」という意味を、こうも表現している。

 『今の世の中、皆われ先にと人を押しのける勢いで、先を急いでいる。最先端のことを求めて。例えて言えば、1メーターの歩幅でスタスタ闊歩しているようなものだ。でも、80センチの歩幅のひともいれば、50センチの歩幅が精一杯なひともいる。自分はとても1メーターの歩幅では歩けない。けれど、1メーターの人が早足で置き忘れた大事なものを拾い集めていきたい。大事なもの?それは、人間として、また地球に生きる一員として忘れてはならないものなのかもしれない』

 大きな歩幅で、早足で、置き忘れた大事なもの。
 人間として、また地球に生きる一員として忘れてはならないもの。

 まさに、今に投げかけられた大きな「問い」だ。
 無理に広げた歩幅。太りすぎた欲求。身の丈を超えた発展。
 スピードアップで縫い合わされた糸を丁寧に丁寧にほどいていって、もう一度、私たちはどんな「布地」で、どんな「型紙」で、どんな「糸」を使って、私たちの身につけるものを創っていけばいいのだろう。誰かが、ではなく、ひとりひとりが、なのだ。ひとりひとりの手仕事でこれからを繕っていかなくては何も始まらない。
 そんな時代の曲がり角に、確かにきているということを、「消えゆく昭和の手仕事」が改めて感じさせてくれた。

 オーダーワイシャツを作り続けて44年の長野さんは、職人と呼ばれるのを好まない。
 「だって、気恥ずかしいよ。まだ満足いく仕上がりが出来ないもの」と言って謙遜する。
 年齢には逆らえないと言いつつ、お客さんが満足してくれるうちは、父から贈られたミシンが動く限りは続けるよと笑顔を見せる。
 きっと、この人の「歩幅」は開業当時から、数ミリも変わっていないのだなと感じた。

(インタビュー後記 村井裕子)

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