5月29日放送

川守田巌さん 1975年(昭和50年)。ベトナム戦争が終結したこの年、メキシコでは国際婦人年世界会議が開催され、日本女性エベレスト初登頂成功のニュースで賑わった。
 札幌は冬季オリンピックから3年目。地下鉄や地下街も整備された近代都市札幌にこの年、ファッションビル「パルコ」が誕生している。街にはキャンディーズの「年下の男の子」が流れていたあの頃だ。
 この年、私は17歳。出身地の岩手県盛岡市でセーラー服に身を包み、「アナウンサーになろう」と決心していた。
 あれから36年が経つ。時代はこの後、ロッキード事件があったり、第二次オイルショックがあったり、80年代のバブル、そしてバブル崩壊・・と、当時と今とを線で結ぶと、ずいぶん長い年月が流れたものだと実感する。

 札幌の中心部にある中央バスターミナルの地下食堂「南京亭」は、そんな年にスタートしている。店主の川守田巌さんが、36年間土日も祝日も休まずに、安くて美味しい食事を提供し続けてきた。
 脱サラでお店を始めたという川守田さんの背中を押したのは、奥さんの力強い一言。
 「私が働くから、お金の心配はしなくても大丈夫!好きな仕事を始めてください」
 それまで4年周期で会社を辞めたり、会社自体が無くなったりしたというが、その奥さんの愛溢れる一声が、すべての「時」を引き寄せ、中央バスターミナルの地下食堂という「場」を引き寄せたのだろう。
 「体が小さい自分が人並みに稼ぐために、倍働けばいいのだ」という仕事観で、若い時はフルに体を使って働いたそうだが、やはりこの思いが原動力となって、お店を軌道に乗せていく。年中無休は、来てくれたお客さんをがっかりさせないという、自分との約束だったそうだ。
 看板メニューになったカレーは、当時五番館デパートの地下にあった評判のカレー屋に足繁く通い、自分の舌で覚えた味を何度も何度も作って完成させた。
 ターゲットは高校生。1日100人という時もあったが、36年の時代の流れは常ならぬ。地下鉄延長でバスターミナルから高校生が離れ、売り上げは最盛期の3分の1に。しかし、それでもひとりせっせとカレーを、生姜焼きを、焼きそばを、安くて美味しい味で作り続ける。
 そのうちに、サラリーマンの店になり、その古さが逆に「レトロだ」と話題になり、TVや誌面で取り上げられ、札幌で無くてはならない店になっていく。

川守田巌さん 川守田さんは何も変わっていないのだと、ふと思う。
 お店をおしゃれにしたり、グルメを追いかけなかったのが、「継続は力なり」に繋がったのだと思う。
 とかく、周りが変わっていくと、どうやって自分を変化させ、合わせていこうかということに気を取られがちだが、「自分の中に定番を持つ」ということこそ、静かな底力になっていくのだと気づかされる。

 「人と自分を比較しない。自分が20万目標で18万しか売れなかったら、不足の2万を売るための努力はするけど、100万200万のためには努力しない」というのが川守田さんの経営理念。
 必要なだけ、稼ぐ。
 「足を知る」の潔さも、ご自身の中で身につけた人生観、仕事観なのだろう。

 来る日も来る日も、多くの人のおなかを美味しいもので幸せにしてきた南京亭の店主は、この36年、旅は勿論、デパートに行くこともなかったそうだ。
 5月30日でお店を閉めた後は、支え、支えられた奥様とゆっくり過ごす至福の時間が待っている。
 札幌を、安くて美味しいごはんで元気にし続けてくれた川守田さん、お疲れさまでした。
 心を込め続けた味は、ひとりひとりの記憶の中に、思い出と共に刻まれていますね、きっと。

(インタビュー後記 村井裕子)

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